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高価な帯を持ち主に返した裴度ー運命は変えられる?《三字経》第十八単元

2019年05月20日 | 歴史上の中国
高価な帯を持ち主に返した裴度ー運命は変えられる?《三字経》第十八単元


《三字経》第十八単元 裴度還帯

有連山  連山(れんざん)有(あ)り

有帰蔵  帰蔵(きぞう)有(あ)り

有周易  周易(しゅうえき)有(あ)りて

三易詳 三易(さんえき)詳(つまび)らかなり

有典謨  典謨(てんぼ)有(あ)り

有訓誥  訓誥(くんこう)有(あ)り

有誓命  誓命(せいめい)有(あ)り

書之奥  書(しょ)の奥(おう)なり



《連山》《帰蔵》《周易》

この三冊の総称を三易(さんえき)という

三易は卦(占いの図象)を用いて

万物の変化の理を予見し

いかに身を静め 心のより所を得るかを教えている

典 謨(ぼ) 訓 誥(こう) 誓 命

これらは尚書の中の項目で

中には優れた奥深い道理が含まれている

人の運命は 生まれる前から

知らず知らずのうちに定められている

でも、もし徳を積んだり修煉すれば

運命を変えれるかもしれないよ

裴度(はいど)が帯を返した物語はこの道理を証明した

裴度がどうやって運命を変えたのか

一緒に見て見よう

【注釈】

・連山=夏の時代の易の名。

・帰蔵=殷の時代の易の名。

・周易=周代の易の名。

・裴度=唐時代の文人




伝統文化教材≪三字経≫について

正に伝統文化教材とも言える『三字経』は、台湾・益群書店から出版されている。本書は『弟子規』や『千字文』、『千家詩』の後に続いて出版された、伝統文化教材詳解シリーズの第4作である。

概要

『三字経』は、宋朝の私塾でテキストとして使われたことが始まりで、現在の小学校の教科書に相当する。ただし、このような毎句3字という形式を最初に用いたのは一体誰なのかについては、意見が割れている。宋の王応麟撰という説も有れば、宋末の区適子の撰とする説も有る。

“経”とは不変の道理であり、古人がある本のことを“経”だと称せば、その本は間違いなく価値がある。中国古代には経典書が非常に多いが、中でも『三字経』は最も読みやすい書物と言える。文学、歴史、哲学、地理天文、道徳倫理、忠孝節義など幅広い分野を題材としており、内容は豊富だが、文章構成は簡潔であり、一句が3字なのでリズム良く読めて面白い。さらに、心に響く内容になっており、初学の児童にとって、『三字経』を覚えることで常識や国学、歴史的故事を数多く学び取ることができ、さらに人としての道理も身に付けられる。だから、『三字経』は児童啓蒙教材として常に1位に選ばれている。

本書は全部で44単元に分かれ、八句ごとに1単元となっている。毎単元の内容には、原文、発音練習、語句解釈、参考訳文、問題討議が盛り込まれている。発音練習は、注音字母表記とピンイン表記の2種類ある。語句解釈は、語句の文章中における意味に注釈を加える他に、特殊な意味のある語句については、その背景を紹介している。参考訳文は、白話翻訳の部分を指し、読者に一句ごとの意味をより理解してもらうことを目的としている。最後に、八句の内容に基づいて、読者諸君が少しでもヒントを得られるようにと願って考えた問題をまとめてある。こういった討論の機会を通して、読者諸君に毎回の単元の主旨をより深く把握してもらうことがねらいである。その他、各単元の終わりには、単元の内容と関係の深い物語と、その物語から感じ取ったことをまとめてもらう作文問題を設けた。

『三字経』は学びやすく、覚えやすい。多くの人に長年愛され続けているのは、この教材を学ぶことで中国伝統文化の気質を養えるだけでなく、学んだことを人としての在り方や世渡りの手本とすることもできるからである。

文化大革命時の狂気じみた〇〇 「そこには卑劣な理由が」|新唐人|文革|中国情報 | 真相|びっくり

2019年04月29日 | 歴史上の中国
文化大革命時の狂気じみた〇〇 「そこには卑劣な理由が」|新唐人|文革|中国情報 | 真相|びっくり


多くの人々が命を奪われた文化大革命期間中、虐殺のほかに、広西チワン族自治区ではさらに食人の嵐も吹き荒れました。民間の統計によると、その被害者数は421人に上っています。

中国人作家の鄭義(てい・ぎ)さんは広西チワン族自治区を2度訪れ、5つの県で調査を行い、文革中に発生した食人行為を世界で初めて明らかにしました。鄭さんは『紅色紀念碑(食人部分の邦訳『食人宴席―抹殺された中国現代史』 (カッパ・ブックス))』の中で、広西省で行われた食人の過程を3段階に分けて記しています。

第1段階では食人は陰でこっそりと行われていましたが、ピークに達した時には、生きた人間から心臓や肝臓を取り出すという行為がいたるところで公然と行われるようになりました。最終的には群集心理の暴走段階に入り、人々の心にかろうじて残されていたひとかけらの罪悪感や人間性が、中国共産党が発起した「12級台風の階級闘争」によって根こそぎ奪われてしまい、一般大衆が食人の狂宴に巻き込まれていきました。

宋永毅(そう・えいき)教授とその研究チームが編纂(へんさん)した『広西文革機密檔案資料(広西文革機密文書資料)』には、文革中に広西チワン族自治区の31の県と市がこの狂気の嵐に呑み込まれていく過程が記されています。政府の機密資料によると食人の犠牲者数は302人ですが、研究者による民間統計ではその数は421人に上ることも併せて記されています。

米カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校図書館、宋永毅教授
「一番ひどかったのは武宣県で、文書統計によると75人が犠牲になった。ここでの食人は市場で発生した。武宣県の人口は約30万人で、その市場には少なくとも数万人が集まっていた。人が集まったころに地主や富農、反革命分子や右派とその家族、もしくは反対派と呼ばれた人々に対する批判闘争が行われ、彼らは殺害された。するとその場にいた人々が死体の腹を裂き、肉や肝臓を貪り食った」

食人をした人々の中には未成年も含まれていました。桐岭(とうれい)中学副校長の黄家凭(こう・かひょう)さんは批判闘争中にこん棒で撲殺されました。次の日の午前、黄佩農(こう・はいのう)という生徒が黄さんの死体から肝臓を取り出すと、張継鋒(ちょう・けいほう)という女子生徒など数人が肉を切り裂き、最後は骨しか残りませんでした。午後にはこの中学校の調理室付近や宿舎の軒下などいたるところで、瓦を熱して人肉を焼く様子が見られたと記されています。

研究者により、広西チワン族自治区で吹き荒れた食人の嵐は民間から沸き起こったものではなく、国家により組織的に行われたものだったことが分かりました。なぜなら、広西チワン族自治区の当時の第一書記兼同自治区軍区第一政治委員の韋国清(い・こくせい)だけが、文革中でただ一人、攻撃にさらされなかったからです。当時、彼をトップとして省委員会、軍区、警察から武装民兵までの国家組織が完全に維持されていました。

文革当時、広西チワン族自治区には全国的にも類を見ない2つの特長がありました。それが「完全な国家組織」と「大規模食人の発生」です。

宋永毅教授
「人民公社の革命委員会主任も武装部部長もその場(殺人現場)にいて、人々は彼らに『(食人を)止めさせろ』と言った。だが彼らは『これは民衆運動だ。なぜ止めなければならないのか』と答えた。つまり、彼らは人肉食を支持していたのだ。さらにこの間、武装部長がしばしば先頭に立っていた。武装部は文革中に国家組織の役割を果たしていた。国家組織が直接関与し、手本を見せる力量に終わりはない」

隆安県(りゅうあんけん)のある民兵の話から、国家組織が人々を食人へとどのように駆り立てて行ったかを知ることができます。

宋永毅教授
「零有源というある末端民兵がいた。彼は人を殺してはいたが食人には手を染めていなかった。ある時、黄以荃という武装部長から、誰々を殺してこいと言われた。殺したら肝臓を切り取って持って来い、それを焼いて食べるからと。零は当然、そんなことができるわけがないと思って最初は手ぶらで帰った。すると武装部長から『次に命令に従わなかったら、お前を食ってやる』と脅された。最終的に、零は人を殺してから内臓を取り出すまでの一連の行為を積極的に行うようになった」

宋教授は論文の中で、機密文書に記載されていた、人間の腹を切り裂いたり肝臓を切り取ったりした殺人犯やそれらの計画者200人の名前を整理したところ、その60%が国家組織のメンバーで、さらに武宣県(ぶせんけん)の食人者の84%が共産党員又は幹部だったと述べています。

国家機関がなぜ食人を行わせたのでしょうか。宋教授はさらに大量の事例を調査した結果、殺人者の隠れた動機は単なる「階級闘争」から生じたものではなかったという結論に至りました。大躍進や大恐慌の時に起きた食人は、餓えた人々が命をつなぐために行ったもので、人々は食べられるすべての部分を食べつくしました。ですが、広西チワン族自治区で行われた食人で人々が食べたのは、心臓、肝臓、生殖器だったのです。

中国政府の統計によると、文革中に広西チワン族自治区で殺人に直接関わった共産党員は約5万人で、文革時代の問題を当局が1984年から処理したところ、同自治区では約25000人の党員が除名されました。

しかし当時の革命政権のトップ、韋国清(い・こくせい)には何の処罰も下されず、それどころか最後は中国人民解放軍総政治部主任、人民代表大会副委員長にまで上り詰めました。ですが韋国清はこの出世にも満足せず、当時次のように漏らしたと言います。「人を食べた人間が、なぜ幹部の座に居続けることができないのか?」


NTD Japan


香港政府 法輪功学習者数十人を強制送還 台湾大陸委員会「遺憾に思う」

2019年04月27日 | 歴史上の中国
香港政府 法輪功学習者数十人を強制送還 台湾大陸委員会「遺憾に思う」



香港では4月27日と28日に、法輪功学習者による大型イベントが予定されていましたが、海外の学習者らが香港の空港で入国を拒否されました。台湾からは33人が強制送還されました。台湾行政院の大陸委員会は香港政府に説明を求めています。

香港でのイベント参加を予定していた台湾の法輪功学習者33人が強制送還されたことを受け、台湾の法輪大法学会は香港政府を強く譴責しました。

台湾法輪大法学会 張錦華理事長
「法輪功学習者だけが制限を受けていると考えないでほしい。法を守らない人権を迫害する政府の場合、その魔の手はいつでも他の人に伸びうる。香港政府のこのような行為は、中共から命令を受けた可能性がある。香港政府は国際社会から認められたければ、必ず法治を遵守し、信仰や言論の自由を尊重しなければならない。さもないと、国際社会から信用されなくなる」

今回、香港政府は事前に台湾から香港に向かった法輪功学習者のリストを入手していて、乗客の中から法輪功学習者だけを遮りました。これに対し、大陸委員会は関連機関に問い合わせると示すと同時に、遺憾を示しました。

中華民国行政院大陸委員会報道官 邱垂正氏
「我々大陸委員会は理解できないし、遺憾に思う。合法的な入国書類を持っている台湾人に対し、香港政府は優しく接するべきである。言論の自由、信教の自由といった基本的な人権は尊重されるべきだ」

台湾人が香港政府により入国を拒否され、小部屋に入れられたり、強制送還されたりするのは今回が初めてではありません。政治家や民主活動家、各領域の学者、ひまわり学生運動のリーダーや作家なども香港政府のブラックリストに乗っています。

台湾の法輪功学習者が受けた最大規模の強制送還は、2007年7月にありました。当時、およそ500人の台湾籍法輪功学習者が入国を拒否された上、暴力的に強制送還されました。ほかにも数百人がビザの発給を拒否され、およそ1000人が影響を受けました。

正義のためにーー江沢民提訴第一人者の勇気 |新唐人| ニュース| 中国情報|

2019年04月15日 | 歴史上の中国
正義のためにーー江沢民提訴第一人者の勇気 |新唐人| ニュース| 中国情報|


段巍さんは医学者の家系に生まれ 、中南海からも一目置かれる北京の名医でした。
中国軍の将軍から信頼されただけでなく、東南アジア各国の多くの将軍も彼女の患者でした。段さんは普通の女性とは違い、豪快でさっぱりした性格の持ち主でした。

段巍医師
「男ぽい性格だったから、普通の男性は私に近寄ることもできなかったです。しかし彼だけは 『僕はちがう』と言って、追いかけてきました」

彼は北京の中央美術大学を卒業後、ビジネスに転向し、建築デザイン会社を立ち上げました。

二人が最初に出会ったのは1997年の冬でした。段さんは当時、海外から輸入した家具を修理できる店を探していました。

段巍医師の夫 朱柯明さん
「最初に会った時から、お互い相手が好きになり、意気投合しました」

趣味から料理の味に至るまで、二人は多くの共通点を持っていたのです。

当時の朱柯明さんは大酒飲みでした。仕事のストレスから不眠症になり、毎晩大量のお酒を飲んでいました。


ある日、段さんは甥の王傑さんを紹介しました。
当時、段さんも王傑さんも法輪功を修煉しており、二人とも心身の恩恵を受けていたので、不眠症に悩む朱さんにも、法輪功を薦めました。

企業家 朱柯明さん
「最初に本を読んだ時、この本は人に良い人になるように教えていると感じました。そして、宇宙に理に関して説いていて、私が模索していたものと一致し、私の人生に必要な本だと思いました。それから酒も飲まなくなり、会社の従業員たちも驚いていました。大酒飲みが酒をやめるなんて、あり得ないと」

十数年間悩まされてきた不眠症が、段さんとの出会いで短期間で治るとは思ってもみませんでした。

しかし、幸せな日々は長くは続きませんでした。

1999年7月22日、中国公安部が法輪功を取り締まる通告を出し、全国のメディアが一斉に法輪功を批判しはじめました。


なぜ?後を絶たない工場爆発 安徽・馬鞍山でも爆発|新唐人| ニュース| 中国情報|事故

2019年04月03日 | 歴史上の中国
なぜ?後を絶たない工場爆発 安徽・馬鞍山でも爆発|新唐人| ニュース| 中国情報|事故


中国では化学工場の爆発が後を絶ちません。江蘇省塩城市の工業団地の爆発からわずか10日後の3月31日、江蘇省崑山市の金属加工工場で爆発があり、7人が死亡。4月1日には、安徽省馬鞍山市の化学工場で爆発が発生しました。皮肉なのは、馬鞍山市政府は当日午前、化学工場に対する大々的な検査を実施すると発表したばかりでした。

4月1日午前、馬鞍山市政府は江省塩城市で発生した3月21日の爆発事故の教訓を汲み取り、市内の化学工業企業に対し、大規模安全検査を実施すると発表しました。しかし、当日午後3時ごろ、市内の化学工場で爆発事故が発生しました。

爆発が起きたのは馬鞍山市慈湖高新区の化学材料メーカー、明遠科技有限公司の工場で、爆発音とともに炎上し、黒い煙が立ち上りました。

安徽省人権活動家 汪さん
「爆発事故は毎年発生している。検査は形式的なもので、検査で問題が見つかることは不可能だ。多くの化学工場はその背後に多くの利益が絡んでいる。民衆は解決できないので、最終的に庶民が災害の受け身になる。制度が変わらない限り、誰でも次の犠牲者になりうる。本当に心が痛む」

中国では最近、化学工場の爆発が相次いでいます。3月21日の江蘇省塩城市での爆発に続き、31日には同省崑山市でも爆発があり、7人死亡し、5人が負傷しました。

江蘇省雲港市 譚さん
「ご存知のように、中国は官僚と企業の癒着、情報封鎖は当たり前で、事故が発生するとまず安定維持だ。事故で行方不明になり、遺体すらないのに、監視され、情報封鎖される。反対意見を言うと、連行される。条件があれば、みな移民したいと思っている」

中国の民衆は、当局が爆発事故の情報を封鎖するのは責任逃れが目的で、人為的な原因で事故が発生したことを隠蔽したいからだと示します。事故から教訓を汲み取ろうとは思わないので、事故が頻発すると指摘します。

安徽省 曹さん
「爆発事故は常態化していて、皆慣れてしまっている。一人一人の安危に関わることで、皆注目している。問題は多方面にあり、専門家が解決できる問題ではない」

情報によると、塩城市での爆発事故発生の前、地元当局の幹部は4回にわたり安全管理について強調し、問題が指摘された企業には生産停止を要求したそうです。事故発生後、中国各地では大々的な改善措置と検査が行われましたが、新たな悲劇の発生を防ぐことはできませんでした。

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