何故か、大本山増上寺の三縁お菓子も頂きましたよ~(笑)
増上寺って、うぬぼれ、おごりたかぶる増上慢からきてるんですよね。
それではいきなり、増上慢と自信について
自信と増上慢に共通しているもの、その根底をなしているものは、「自分は優秀だ。自分は優れたる者だ」という、みずからの優秀性の自覚です。《中略》
優秀性の自覚自体はよいのです。ただ、その表れ方、表現形態、作用、行為において、いろいろな問題が出てくるのです。《中略》
自信と増上慢の違いは、必ず他者との関係に表れてきます。
その人が正当な自信を持っている場合には、周りの人は、なぜか、「うまく表現できないが、この人は大したものだ」という印象を受けるものです。
ところが、その人の持っている自信らしきものが、周りには、「少し不当な自信なのではないか」と感じられるときがあります。こういうときに、本人がそれに気づかないでいると、傍目には増上慢として映るのです。《中略》
ここで、自信と増上慢を見分ける基準を明らかにしておきたいと思います。
増上慢の人は、自分がほめられると、うれしいのは当然ですが、他の人がほめられると、うれしくありません。特に、自分の関心領域のあたりで他の人がほめられると、うれしくないのです。これが、いちばんよく分かるチェックポイントです。
たとえば、あなたが、人前で上手に話すことに自信を持っているとき、人前で上手に話している人を見て、「おもしろくない」などと思うようであれば、あなたの自信は少し怪しいのです。
ほんとうの自信は正当な自己評価です。それは、「自分は仏の子として独自の個性を持った者である」ということを充分に尊重しているものであり、絶対価値にかなり近いものです。
そのため、ほんとうの自信は、他の人に対する評価が上がったり下がったりすることによって揺るがないのです。
他の人に対する評価の上がり下がりに左右されるような自信は、真の自信ではありません。それを自信だと自分で強く思い込んでいるならば、増上慢の可能性が極めて高いわけです。
このように、「他の人に対する評価の上がり下がりで心が動くかどうか」ということが一つの基準です。
【書籍】感化力
―スキルの先にあるリーダーシップ・より