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映画「逆鱗」イ・ジェギュ監督 10asiaインタビュー&チョ・テヒ扮装室長インタビュー記事

2014-06-07 17:00:17 | ヒョンビン インタビュー記事


「逆鱗」イ・ジェギュ監督“酷評ばかりだったが…観客たちの存在に勇気づけられた”


多くの韓国国民の期待が集まり、映画の制作が始まるというニュースが報じられた時から期待作に浮上した。「チェオクの剣」「ベートーベン・ウィルス~愛と情熱のシンフォニー~」(以下「ベートーベン・ウィルス」)などを演出したスタープロデューサーイ・ジェギュ監督の初の映画演出作であり、ヒョンビンの軍除隊後初の復帰作、そしてチョン・ジェヨン、チョ・ジェヒョン、ハン・ジミン、チョ・ジョンソク、パク・ソンウン、キム・ソンリョン、チョン・ウンチェといった豪華なキャスティングまで、何一つ足りない物はなかった。このように、「逆鱗」に対する期待はますます高まっていった。

しかし、期待が大きいほど失望も大きくなる。マスコミ試写会の後、「逆鱗」はメディアと評壇から酷評された。社会的な雰囲気のため、これといったプロモーション活動ができず、このような酷評は更に目立ってしまい、監督として当惑した。「逆鱗」を通じて伝えたかった観客と一緒に共有しようとした物語は、注目されず埋もれてしまった。もちろん、酷評とは関係なく多くの観客が映画館に足を運んだ。イ・ジェギュ監督はそれに安堵した。そして、「逆鱗」の本質に気づいてくれた観客は多いはずだと信じていた。イ・ジェギュ監督に会い、彼が伝えようとした話に耳を傾けた。

―まず、興行成績がどうなるかとても不安だったと思うが、現在の興行成績についてどう思っているのか?

イ・ジェギュ監督:損益分岐点を越えたというメッセージを受け、一安心した。最初、酷評ばかりだった時は当惑した。同じようなフレーズと言葉が繰り返される中、その表現のレベルがますます高くなった。数日後、それらの記事をじっくり読んでみて、その人たちの映画を見る視線が僕とは違うのだと思った。それに、観客たちはきっと複数の視線で映画を見るだろうから、映画の長所や存在理由に気付かれる方もきっといらっしゃるだろう。何よりも、僕はこの映画を信じた。映画に対する確信があったので、「逆鱗」を楽しみ、共感してくれる観客もいるはずだと信じていた。そんな観客たちの存在に勇気づけられたと思う。

―酷評について聞きたい。正直に言ってその中で釈明したいと思う酷評はあるのか?

イ・ジェギュ監督:映画を見る観点が違うし、映画を表面的な部分だけしか見ていないのだと思う。

―実際、そのせいでこの映画が伝えようとするメッセージが注目されず、埋もれてしまっていると思う。

イ・ジェギュ監督:それがこの映画の運命なのだと思う。一部の意見があまりにも大きくなり過ぎて、まるでそれが全てであるかのように見えて悔しかった。でも、映画の本質が完全に歪曲されることはないだろう。映画の成功や失敗について語ることはできても、「逆鱗」の本質は変わらない、そのことは信じていた。

―映画の制作に入るというニュースが報じられた時から「逆鱗」は期待作だった。そのため、撮影途中に不安になったこともあるだろう。また、「良い映画を作らなければ」という周囲の言葉もプレッシャーになったと思うが。

イ・ジェギュ監督:制作会社や投資会社は一度もそんなニュアンスの話をしてきたことがない。僕が不安になっていると逆に僕を慰めてくれたくらいだ。もちろん、僕の判断が確固たるものであっても、ドキドキしたり怖さを感じることもある。良い映画を作れると確信しながらも、ある瞬間不安になったりもした。でも撮影や編集を終えてからは少しずつ気が楽になった。

―元々歴史への興味は高かったのか?

イ・ジェギュ監督:あまり好きではなかった。実はクラシック音楽についてもよく知らない。ただ、よく知らなくても(クラシック音楽を)よく聞いていた。歴史的人物を調べながら興味が湧いた人物の一人が正祖(チョンジョ:朝鮮王朝の第22代目の王)だった。彼の人生の一部をドラマや映画にしてみたいと思った。映画では正祖の一日を描いているが、その裏側が非常に強く胸に響いた。

―ドラマのプロデューサーとして名声を得て、作品性と大衆性の両方を手にした。そして、安定したドラマのプロデューサーではなく、新たに映画を選んだわけだが、その理由が知りたい。

イ・ジェギュ監督:ドラマを演出するなかで、映画をやってみたいという気持ちがあった。もっと年を取る前に一度挑戦したいと思いつつ、ドラマをやっているうちにそんな考えも薄くなっていった。そうするうちに、ドラマ「ベートーベン・ウィルス」の時、再び映画を演出してみたいという気持ちが芽生えた。「ベートーベン・ウィルス」はシノプシス(ドラマや舞台など作品のあらすじ)にキ・ヒョンド詩人の「埃だらけの青い紙」を加えて演出に乗り出した。あの詩は「ベートーベン・ウィルス」を企画してストーリーを作り上げていく上でとても素晴らしいモチーフになった。そうするなかで、「ベートーベン・ウィルス」のキャラクターがそうだったように、僕が忘れているものは何だろうと考えてみた。だからその後シナリオを受け取ったり、昔から考えていた題材に着手したりした。そうしているうちに「逆鱗」に出会った。今考えると「ベートーベン・ウィルス」は僕の人生に本当に大きな影響を与えた作品だった。それからもう一つの理由として、僕はやったことのないことに挑戦する時、楽しさを感じるタイプだからだ。何か新しいことに挑戦すると常に得るものがあるし、反省もするようになる。今回もそうだった。

―「ベートーベン・ウィルス」の後、映画の制作を考えるようになり、その過程で「逆鱗」に出会ったと言ったが、演出を担当するようになるまでの過程についてもう少し具体的に聞きたい。

イ・ジェギュ監督:当時、自分が持っているアイテムのうち、3、4つに着手しようとしていたし、原作も6、7作品ほど検討していた。また、20~30本のシナリオも受けた。その中から「逆鱗」を選んだのは、最初のシノプシスに強く心惹かれたからだ。感情的に節制された状態でストーリーが進んでいくことに魅力を感じ、映画全体を貫く悲劇が非常に気に入った。脚本家が当時の社会を深く掘り下げて研究したような印象も受けた。それに、僕は友情の物語が入った題材が好きだ。そして、正祖とガプス、ガプスとウルス、ウルスとウォルヘなど、全キャラクターが共通したトラウマを持っており、そこも良いと思ったポイントだ。このように、「逆鱗」は様々な面で僕が演出してみたいと思う最適のシナリオだった。果たして僕が上手く表現できるだろうかという心配はあったが、やってみたいという欲求の方が強かった。だから映画会社の代表に草稿を作りたいと申し出て、脚本家と1ヶ月で草稿を完成させた。

―ところで、映画会社の代表と長年の親交があるようだ。普通は草稿か完成したシナリオを持って映画の制作を提案するのに、「逆鱗」はシノプシスだけで話を進めたことになる。

イ・ジェギュ監督:チョイスカットピクチャーズ(「逆鱗」の制作会社)のチェ・ナクグォン代表とは昔から付き合いがある。もし僕が映画を演出することになったら、最初の作品は代表とやりたいと前からよく話していた。だから実際に演出したいと思う原作を代表に見せ、代表も前向きに考えて原作を買った。それが「Palantir」という作品なのだが、これはプリプロダクション(映画などの制作において、撮影前の作業の総称)だけでも数年かかる作品なので、「キング~Two Hearts」を先に演出することになった。それで、構成が良くて面白い物語の映画を作りたいと思っていたが、代表がチェ・ソンヒョン脚本家にシノプシスを要請し、読むことになった。ちなみに「Palantir」は今も進行中だ。

―丁酉逆変(王の暗殺を企てた反乱)という歴史的な土台に架空のキャラクターが加わっているので、それらをバランスよく表現することが重要だったと思う。クァンベク、ガプス、ウルス、ウォルヘ、ボクビンなど架空の人物が大勢登場するため、各人物の分配やバランスの調整が難しかったと思うが。

イ・ジェギュ監督:シノプシスの段階でキャラクターのバランスは既に決まっていた。正祖、ガプス、ウルスなどに識別された3つの人間のタイプのバランスは当然必要だった。正祖は集団の抑圧の中で人間としての存在価値や本性が抑えられている状態であり、ガプスやウルスも同じだ。そんな彼らが識別された人生から逃げ出すためには、誰かの利他的な助けがないと不可能だ。そんな風に自分を犠牲にした人生を生きている3人がお互いにぶつかるその日、運命がどう変われるのかを見せる映画だ。このポイントが、正祖が私たちがよく知っている正祖に変わるきっかけになると考えた。王として苦しい現実の中で明日を考えるという教科書のような物語だと思うかもしれないが、それが「逆鱗」の本質の一つだ。その内容を上手く伝えられたかどうかは監督の力量だが、物語が散漫だとか、一つの話に集中すべきだという評価は違うのではないかと思う。また、モチーフとしては「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」「ドライブ」などと似ている。「リア王」もそうだ。多数の人物が登場し、お互いに殺し合う悲劇的な歴史が描かれているが、それと同じ状況だと思う。家族が家族を殺すしかなく、人間とは一体何かを問いかけている。

―この映画に対し、それなりの期待はあったと思う。

イ・ジェギュ監督:「逆鱗」はアンチヒーローが明確ではない話だ。集団が作り出した表面的なアンチヒーローのキャラクターだけが登場する。貞純王后は絶対悪のように見えるが、実際はそうではない。しかし、そのような状況でも覚醒や変化はあり得るということを伝えたかった。おそらく誰かが犠牲になるだろうが、それを通じて人々が望むリーダー像が出てくるという話が盛り込まれている。この映画ではガプスとウルスの犠牲が正祖を覚醒させたと思われる。小さなことに誠意を込めれば叶えられるというのは表に描いたメッセージだ。

―実際、多くの観客がイ・ジェギュ監督に新しい何かを期待していたと思う。監督はドラマを演出するたびにそのような評価を受けたからだ。自分でもそのことをよく分かっていると思うが、「逆鱗」で何か試みたことがあるのか?

イ・ジェギュ監督:映画が成功したかどうかは僕が判断できる部分ではないと思う。だが、韓国ドラマや映画のほとんどは感情の表現が過剰だと思う。作品に付随するものも過多すぎる。だからストーリーに直接緊張をもたらす設定を使わなくても、観客が十分夢中になれる映画を作りたいと思った。そのことをキャッチできたかどうかは観客によると思うが、僕がそのようなことを試みたということだけは言える。また、この物語は映画的ではなく、ドラマの文法や話し方に近いという評価もあったが、むしろ「逆鱗」はドラマとは正反対な作品だ。ドラマではできない手法で描いた。

―恐らく監督自身もドラマのスタープロデューサー出身として、そのような評価を受けないようにより熱心に準備したと思う。演出をしながら最も重要だと考えていたものは?

イ・ジェギュ監督:そんなことも時々考えた。そして、映画という媒体を通じて自分ができる話をしようと思い、それに集中した。極めてドラマ的な物語ではない、ドラマ的ではない空気で演出した。しかし、そのような目線で多くの人が僕の映画を見ているので、それについてはもう少し考える必要があると思う。まるで物を切るかのように簡単明瞭に説明できる問題ではない。

―必ず今の俳優たちが必要だったのか?また、俳優たちと直接交渉したと聞いたが、キャスティングが最も難しかった俳優と比較的簡単だった俳優は誰だろうか?

イ・ジェギュ監督:これまでの経験上、シナリオを作ることが一番大変だと思った。そして、その次に難しいのがキャスティングだ。でも、「逆鱗」の場合はキャスティングはあまり大変ではなかった。今までの作品の中で最もスムーズだった。提案した俳優のうち、断られた俳優が一人もいない。俳優全員が積極的に同意してくれた状態で制作を始めた。シナリオが良かったし、自分のキャラクターの存在意義を確実に感じることができたからではないだろうか。そして、彼らが必ず必要だったのかと聞かれたら、もちろん必要だったから彼らに提案したのだ。

―ドラマのプロデューサーとして俳優をキャスティングする時と異なる点はあったのか?ドラマの方が合う俳優がいるとよく言うし、映画のみに出演する俳優もいるが。

イ・ジェギュ監督:そのような先入観を持たないように努めた。できるだけそのキャラクターに一番合う俳優が誰なのか考えた。もちろん、ドラマの時は演出としてキャスティングする場合もある。(俳優たちの)以前のイメージや名声が演出上必要な場合があるからだ。例えば、「ベートーベン・ウィルス」のカン・マエのキャスティングがそうだった。誠実で信憑性のあるキム・ミョンミンさんにカン・マエのキャラクターを任せたら面白いだろうと思った。しかし、「逆鱗」の場合はそれが必要ではなかった。そして、ハン・ジミンさんに関してだが、全130シーンのうち、ハン・ジミンさんは6シーンだけ登場する。「逆鱗」で象徴性を持ったアンチヒーローの一人が貞純王后だが、その表現において以前とは違う手法を使ったので、観客が受け入れ難かったのではないかと思う。ジミンさんの演技には非常に満足している。すべての俳優が上手く演じてくれたが、その中でも演技が一番上手かった俳優を挙げるとしたらハン・ジミンさんだ。僕の観点と観客の観点は違っていたようだ。

―広告の広報映画ではあるが、「インフルエンス」の監督を務めた。その時と変わったことがあるのか?

イ・ジェギュ監督:あの時は広告の目的がより規模の大きな映画だったので、演出方法において挑戦できる幅が狭かった。広告の主題を投げることが重要だったからだ。しかし、その時一緒に仕事をした人のほとんどが映画のスタッフだった。その時の経験が映画の撮影現場でのコミュニケーションや撮影方法に役立った。

―ドラマと映画の撮影現場で違う自分の姿は見たのか?

イ・ジェギュ監督:ロベール・ブレッソンの本を読むと、実装方法の種類が多くなればなるほど、結果は自分の確信から遠ざかるという話が出てくる。それはドラマの制作において一番警戒すべきことの一つで、当てはまることも多い。しかし、映画の制作ではその反対が多かった。映画は撮影現場でコミュニケーションを取るため、僕が見落としていた観点や考えもしなかったポイントを見つけられるようになった。人とぶつかることもあったが、その時間も好きだった。それで、共同の創作物だという印象を非常に受けた。最初は混乱もあったが、作品が深まって豊かになったことを感じた。僕の作品であると同時に、多くの人のものでもあるという印象を受けたと言えるだろう。ドラマの演出者の場合、映画監督よりも遥かに独断的だ。自分の判断をそのまま実行する場合が多い。

―ドラマのスタープロデューサー出身者の映画監督デビューは、頻繁ではないが持続的にある。しかし、評価の面ではあまり高い評価を受けていないと思うが、その理由は何だと思う?

イ・ジェギュ監督:それはよく分からない。試行錯誤の仕方は人によって様々だと思う。J・J・エイブラムスは映画とドラマを行ったり来たりするし、スティーヴン・スピルバーグも先にドラマを演出してから映画を制作した。また、ハン・ジスン監督もドラマを演出して高い評価を受けた。成功とは言えないケースもあるが、成功したケースもある。それなのに、一般化させようとするとそれがプレッシャーになる。ただ、僕はそれほど利他的な人間ではないが、ドラマと映画両方を演出できる監督になったことで、そんな環境を作りたいという夢はある。ドラマの演出を手掛けている後輩の中で、才能のある後輩が気軽に良い映画を作ることができるようになれば良いなと思っている。僕はそんな欲求が強いようだ。

―イ・ジェギュ監督の今後の歩みが気になる。

イ・ジェギュ監督:題材を明確に話すことはできないが、もしドラマを制作することになったらその題材として従来の社会体制が崩壊した状態で人々がどのように行動し、何を話すのかが気になる。米ドラマ「GALACTICA/ギャラクティカ」のような感じだ。地球が滅亡した状態で生き残った少数の人間が人間関係を再編していく過程を楽しく描いてみたい。そして、8~10話ぐらいの短いシリーズの物語を演出してみたい。また、次に映画を演出するなら、荒削りなストーリーをより面白く描きたい。「逆鱗」は完全な荒削りの物語ではない。感情も繊細に描かれている。次はより荒削りな状況、荒削りなストーリーを演出してみたい。しかし、現在はドラマにもう少し比重を置いている。

元記事配信日時 : 2014年05月23日06時43分 記者 : ファン・ソンウン、写真 : ク・ヘジョン、翻訳 : ナ・ウンジョン











「逆鱗」チョ・テヒ扮装室長、繊細な技術で生まれ変わるヒョンビンの新たな顔




大作の時代劇映画には必ず同じ名前が登場する。チョ・テヒ扮装室長だ。

19歳の時、ドキュメンタリー番組を通じて時代劇の専門メイクアップアーティストを初めて目にし、その人の手によって新たに生まれ変わる俳優の顔に魅了された。その頃はまだメイクは女性だけの物くらいに考えていた時期であった。チョ・テヒ室長は「おじさんたちが扮装を施している姿が不思議だった」と当時を振り返った。突然湧いた好奇心が彼の人生を変えた。最終的に自らその現場に飛び込むことを決心した。

始まりはイム・グォンテク監督の映画「春香伝」だった。そこで彼は自分の未来を見つけたのかもしれない。当時60歳を越えていたホン・ドンウン先生が拡大鏡をかけて時代劇のメイクをしている姿を見て、匠の精神を感じた。その瞬間から彼は映画の現場から離れられなくなった。

時代劇のメイクを専門的に学んでみたいという意欲を胸にテレビ局に入社したが、すぐに映画の現場に戻った。映画「雲を抜けた月のように」「平壌城 Battlefield Heroes」「神弓 KAMIYUMI」「風と共に去りぬ」「王になった男」、そして韓国で30日公開の映画「逆鱗」まで、名前を聞いただけでも映画の規模が想像できる大作時代劇映画で、彼は俳優たちの顔に自分の人生そのものになった夢を重ねた。

現在イ・ジュンイク監督の映画「思悼(サド)」の作業で忙しい日々を送っている彼と江南(カンナム)のスタジオでお会いしたいとお願いした。忙しい中でもイ・ジュンイク監督の撮影現場はエネルギーに満ち溢れ、楽しく仕事をしているという彼の表情からは、自分の仕事に対する情熱がにじみ出ていた。

―フィルモグラフィーのほとんどが時代劇だ。

チョ・テヒ:僕の初めての映画はイム・グォンテク監督の「春香伝」(1999年)だった。10日間ほど実習を行った。以後、ドラマ「明成皇后」(2001年)と「太陽人 イ・ジェマ ~韓国医学の父~」(2002年)、そして俳優キム・ヘスが演じた「張禧嬪-チャンヒビン」(2003年)の扮装チームにも参加した。その後テレビ局を退社し、映画「雲を抜けた月のように」(2010年)、「平壌城 Battlefield Heroes」(2011年)、「神弓 KAMIYUMI」(2011年)、「風と共に去りぬ」(2012年)、そして「王になった男」(2012年)を経て「逆鱗」(2014年)に至る。まだ撮影に入ってないイ・ジュンイク監督の「思悼」にも参加する。

―ずっと時代劇の仕事を続けてきた。それだけ時代劇に魅力を感じているのだと思うが、特別なきっかけがあったのか。

チョ・テヒ:「春香伝」の時、僕はスタッフの中で最年少だった。初めて参加した作品で、エキストラの扮装を担当していた。主演俳優はチョ・スンウさんだったが、撮影しているうちに同い年だったこともあり、彼の方から「友達になりましょう」と言ってくださった。本当に気さくな人柄の俳優だ。当時僕の目にはイム・グォンテク監督の存在が不思議に映った。でも、何よりもその時扮装を担当していたホン・ドンウン先生の印象が強く残っている。年齢が70代半ばだったにも関わらず、拡大鏡をかけメイクを施している姿を見て巨匠だと思った。仕事に対するプライドも強い方だった。扮装一筋で生きてきた方の深い精神が脳裏に焼きついた。

―その後、テレビ局に入社したのか。

チョ・テヒ:映画「猟奇的な彼女」にしばらく参加して、その後KBSに入社した。時代劇の衣装メイク技術を学びたかったが、映画界で限界を感じてテレビ局に移った。その時参加した作品数は1年に多くて1、2本しかなかった。入社して色んなことを学んだが、一度映画界で仕事をしたからなのか、結局映画界に戻りたくなり、最終的にテレビ局を退社した。その後80もの映画会社に作成した履歴書を渡したが、どこからも連絡は来なかった。やはり、映画界はやや保守的で下積みから始めなければならないところだった。

―それでも最終的には映画界に戻って自分の地位を固めた。

チョ・テヒ:映画界で時代劇を専門的に行っている人があまりいなかったからだ。特に髭をつける技術。メイン監督がいらっしゃり、僕はアシスタントという形で採用され、仕事を始めた。

―保守的な映画界で地位を固めるまで苦労したと思う。

チョ・テヒ:何よりも人脈が重要であり、非常に狭い世界だ。特に、映画の演出部門では最年少だとしても皆、監督志望者だ。皆映画学科を卒業し、数年間自分の作品を撮った経験のある人たちで、何年か後には自分の作品でデビューすることができる人たちだ。制作部署も同じで、その現場での人脈が重要だ。もし真面目に仕事していなかったらあっという間に噂が広がる。

―業界で扮装を担当する人たちに対する待遇はどうなのか。

チョ・テヒ:メインになるまでは大変だ。でも上位5%はたくさんの恩恵を享受することもできる。自分が使いたいと思う高価な材料を使うことができるような利点がある。今この業界で一番活発に活動されている方の中には70年生まれが多い。その地位まで達すると経済的な部分も解決できるみたいだ。

―初めて扮装メイクに魅力を感じ、自分の仕事にしようと考え始めたのはいつ頃なのか。

チョ・テヒ:19歳の頃だった。テレビで時代劇の扮装をするところを見た時、おじさんたちがメイクを担当していた。それが不思議だった。美容分野ではすでに男性も活躍していたが、扮装メイクの分野まで男性が活躍しているとは思わなかった。悩んだ末、実際に学ぶことを決意した。最初に感じたことは技術的なことも重要だが、やはり扮装は他人の顔に触れる作業だから人との関係、つまり俳優との関係が重要だと気付いた。

―これまでパク・ヘイル、イ・ビョンホン、ヒョンビンなどトップスターの時代劇扮装を担当した。

チョ・テヒ:パク・ヘイル、イ・ビョンホン、チャ・テヒョン、ヒョンビン、みんな初めて時代劇に挑戦した時だった。

―初めての時代劇で、俳優たちが感じる不安も大きかったと思うが。

チョ・テヒ:ほぼ20年ぶりに髭をつけるとあって、みんな期待半分、不安半分の気持ちだったようだ。そういう俳優たちとは十分に話し合う。たくさんスケッチをして見せたり、いろいろ試してみる。撮影に入ると修正が難しいので、テストする過程で十分にチェックしなければならない。ほとんどの俳優たちは最初の一ヶ月くらいは時代劇の扮装に馴染めないが、徐々に慣れてくる。慣れてくるとまるで自分の髭のように感じるようになる。慣れるまで平均して一ヶ月ほどかかるみたいだ。

―髭にも色んなデザインがあると思う。

チョ・テヒ:その通りだ。「王になった男」も「逆鱗」の正祖(チョンジョ)も、その俳優の顔の形に合わせた髪型や髭をスケッチして見せ、サンプルは30個以上作った。そんな風にしてたくさんの見本の中から選ぶ形式でやっている。

―さらに時代劇の場合は時代考証も考慮しなければならない。

チョ・テヒ:そうだ。新羅、高句麗、百済の三国時代が一番派手だ。装身具の大きさもとても大きく、衣装も華やかだ。朝鮮時代に入るとそれは弱まる。特に英祖(ヨンジョ)の時代はカチェ(朝鮮時代に女性の髪を豊富に見せるために被ったかつら)禁止令が出て、チョンモリという後ろに束ねた髪型が生まれ、女性たちのかんざしが発達し始める。朝鮮時代の中でも髪型は変わる。初期は豪華だが、だんだん質素な髪形に変わる。

―時代考証と同時に創造性も発揮しなければならないが、どの程度のレベルまで維持するのか。

チョ・テヒ:チェックをしてくださる教授の方々がいらっしゃる。以前は厳しく指摘されたが、最近は創造性もある程度認めてくださる。今回の「逆鱗」ではチョ・ジェヒョンさんの扮装でオリジナリティーを発揮した。簡単なヒントだが、避けるべきものを加えた。大胆に想像力を働かせた。

―アクセサリーもすべて関与しているのか。

チョ・テヒ:そうだ。今回の作品でもかんざしのために彫刻の専門家と遺物を復元する専門家はもちろん、工芸品を作っている方たちを訪ねてたくさん話し合った。その方たちと話し合った上でかんざしを製作する。かんざし一つ作るのにも手間がかかっている。

―中国や日本でも時代劇物が多いが、韓国とはまた違うようだ。

チョ・テヒ:それぞれ違う。中国の場合、人材が豊富でエキストラ1000人が出演するとしたら、扮装メイク担当者も30~40人採用される。ところが、韓国は8人の扮装担当者がすべてをカバーしなければならない。また、中国はかつらがとても発達している。日本のかつらも日本だけのスタイルで進化している。日本の大きなかつら製造会社を訪ねてみたら、30人程度の職員がかつらを作り、テストしていた。韓国はそれほどではない。でも髭に関しては確実に韓国のレベルが高い。日本で扮装メイクをしている方が一筋の髭を一本一本付けるのを不思議そうに見ていた。

―日本との交流が多いようだ。

チョ・テヒ:「のだめカンタービレ」の扮装を担当した方と継続的に交流している。また、「道~白磁の人~」という日韓合作映画に参加したことがあり、その後も日本の方と交流がある。当時、日本のある俳優が僕が作業した付け髭を見てとても感心していた。やはり、韓国の手際は最高レベルだと思う。

―時代劇の扮装は時間がかかるだけに、俳優にとっても大変な作業で忍耐を要すると思う。

チョ・テヒ:そうだ。髭を付けて髪を結うことは本当に大変な作業だ。自分にテストしてみたら苦しかった、ハハ。昔は一度に付けれる髭があったが、今はあまり使っていない。リアルさを出すために1本ずつ付けるので、さらに俳優の負担が大きくなった。昔よりは素材が肌に優しいものに変わったが、それでもまげを結うと依然としてたくさん髪が抜けたり、額に跡が残る。だから、もう少し肌に優しい素材に変えようと努力している。

―「王になった男」のメイクが話題になったのは、主演女優ハン・ヒョジュさんのメイクがとてもナチュラルだったからだ。ほぼすっぴんに近かった。ナチュラルに見せる方がより難しいと思うが。

チョ・テヒ:そうだ。最近の観客は濃いメイクだと違和感を感じるので、ナチュラルに見せようと努力しているが、それが非常に難しい。特に時代劇はメイクをナチュラルにすると不利な点が多い。現代物のような感じを与える可能性があるからだ。

―「逆鱗」の場合はどうなのか?今回も自然なメイクなのか?

チョ・テヒ:「王になった男」ほどではないが、それでもナチュラルな方だ。俳優のほとんどが素顔に近い。でも、「王になった男」の作業をしている当時、実はこの部分についてとても悩んだ。最初は僕も半信半疑だった。女優がアイラインを引かず、まつげもつけなかったら体の具合が悪いように見えるかもしれないという懸念もあった。だが、従来のメイクに対する疲労感のせいか、新鮮できれいに見えるという意見が多かった。「逆鱗」の場合は「王になった男」ほどではないが、やはりナチュラルな雰囲気を強調した。基本的に最近の女優は皆きれいなので、素顔のまま映っても清楚に見える。観客が違和感ない程度のトーンを維持する必要があると思う。

―これまで多くのトップスターと一緒に作業してきた。彼らと人間的に近く作業しただけに、彼らのことをよく知るようになったと思う。彼らとのエピソードを聞かせてほしい。

チョ・テヒ:今まで作業が大変だった俳優はいなかった。皆僕を信じて任せてくれるので、ストレスを受けることもなかった。作品が終わっても連絡するほど仲良くなる。パク・ヘイルさんとは最近も連絡している。「神弓 KAMIYUMI」の時に初めて付け髭を付けて最初ぎこちないようだったが、後で馴染んで気に入っていたのが記憶に残る。

イ・ビョンホンさんは俳優として10年以上見てきた僕にとって依然として芸能人のような存在だった。昔から好きだった俳優だからさらにそうだった。イ・ビョンホンさんの顔は角張っていてとても男らしい。一緒に「王になった男」の作業をした時、従来の王といえば定型化されたデザインの髭や髪形をしていたが、今回は大胆にあごや頬まで髭を付けてみようと試みた。最初は王の品格に相応しくないと心配した方もいたが、本物の髭のように自然に付けたら大丈夫だった。今後の作品の扮装にもリアリティを生かしたい。あ、イ・ビョンホンさんからハリウッドの扮装システムについても話を聞いた。アメリカの扮装システムについて知りたいと話したら、イ・ヒョンホンさんが「G.I.ジョー」の扮装車を写真で撮って見せてくれた。非常に大きなサイズで口が開くほど驚いた。写真で見るだけでもとても羨ましかった。韓国の扮装システムも早く発展してほしい。

リュ・スンリョンさんは多くの作品で一緒に作業して本当に仲良くなった。気さくで優しい感じのお兄さんだ。

童顔であるチャ・テヒョンさんは「風と共に去りぬ」の会議の時、あまり真面目に見えないキャラクターにしたいと話した。それで、どう扮装したら真面目に見えないだろうと悩んだ。長い髪とまげの2つのコンセプトで悩み、テストして似合う方に比重を置こうと思った。そして、まげのほうが似合ったので、映画序盤の20%は長い髪にして残りの80%はまげにした。観客がチャ・テヒョンといえば思い浮かべるイメージから外れないように可愛く付けた。

ハン・ヒョジュさんは先ほど話したように、できるだけ化粧を薄くした。ハン・ヒョジュさんは大胆だなと思うほど喜んでOKしてくれた。髪型のコンセプトも色んな意見を出したら、「一度やってみましょう」「あんなふうにもやってみましょう」と言った。実は「王になった男」で王妃のメイクは最初からできるだけ薄くすると話していたが、監督からもっと薄くしてほしいと注文された。だが、それさえもハン・ヒョジュさんは大丈夫と言った。その代わり、ヒョジュさんの場合はかんざしを独特なものにした。従来の時代劇で使われたことのあるかんざしはできるだけ使わなかった。時代劇の盲点の一つが、以前映画で使ったかんざしを違う映画で再び使うことだ。僕はそれが嫌いで、90%以上は新たに製作した。「王になった男」の時はイ・ビョンホンさんの龍の形をしたかんざしを作るために韓国の有名な彫刻家のところを全部回った。みんな非常に忙しい方で、映画作業についてはよく知らなくて興味もない方が多い。でも、幸いにもある方が話を受け入れてくれて1kgを超える龍のかんざしを製作してくれた。そして、それを軽くするために、再び軽い材質で作れる方を探し回った。そしたら、今度は金の色が出なかった。それで、再びカラーリングしてくれる方を探しすごく苦労した。それでも、完成物を見ると胸がいっぱいになる。俳優たちもポスターにきれいに写ったし、映画でもそのかんざしの比重が高く取り上げられているのを見て嬉しかった。

「逆鱗」のヒョンビンさんは礼儀と謙遜が身についた正しい青年だ。顔のラインがとても細くて、昔の王特有の重厚な感じよりは洗練された感じにしようと思った。かんざしの長さも最大化させた。かっこよさを強調するためだった。もし、テレビだったらフレームに入らなかっただろうが、映画では大きくても全部映る。今回もかんざしやアクセサリーの90%をすべて自分でデザインして、時間がかなりかかった。特に今回は、韓服のアクセサリーのために手縫いで作業をしてくれるおばあさんを訪ねた。独特のパターンを作る方だ。高齢の方で、面倒くさいから断ると言うおばあさんに一生懸命頼んで製作してもらった。たまに、連絡が繋がらない時もあって本当に焦った。それでも、とても素敵に作ってくれた。たまに文句もぶつぶつ言われたけど。ハハ。このように、毎回各分野の専門家と意見を共有して作業している。この作業は決して一人ではできない。例えば、まげを一つ作るとしても、自分でデザインをしても後は共同作業である。

「逆鱗」のハン・ジミンさんはまるで天使のような方だ。女優なのにこんなに気さくな性格なんだと思った。ヒョジュさんとジミンさんは本当に気さくな女優だ。

―最後に、扮装で最も重要なことは何だと思うのか?

チョ・テヒ:技術は2番目だ。1番目はやはり人の心構えだ。僕の場合、特別なことがない限り、作品に入る前に出演俳優が演じた作品をすべて探して見る。そして、これまでやった扮装をパートごとに分けて、電話で好きだった部分と嫌いだった部分を徹底的に調査する。また、日常的な部分までも事前に調べて撮影現場に行く。これにより、約2時間の扮装時間でお互いのことをよく理解できるようになる。でも最近、扮装の仕事をする後輩を見ていると、90%以上が途中で辞める。撮影現場は冬は非常に寒く、夏はとても暑い。自分が思った華やかな作業ではない現実に直面し、わずか1~2ヶ月で辞めてしまう。あ、不思議なのが女性の後輩はそれでも耐えるのに、男性の後輩はなかなか耐え切れない。本当に残念だ。だから、最近は映画の撮影現場に男性スタッフがあまりいない。僕の記憶では、室長級の男性扮装スタッフは3人か4人ぐらいだ。一度挑戦しようと決めたら簡単に辞めずに粘り強く頑張ってほしい。少なくとも2~3年は学ぶという心構えで取り組んでほしい。

元記事配信日時 : 2014年04月24日06時44分 記者 : ペ・ソニョン、写真 : ク・ヘジョン、ロッテエンターテインメント、翻訳 : ナ・ウンジョン






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