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韓国映画「私は幸せです」上映会のお知らせ

2012-06-21 00:10:07 | ヒョンビン ファン・イベント

 

 

 

 

 

Korean Movie I Am Happy. 2008#" Trailer

 

 

 

 

THE SPACE JAPAN より、お知らせが発表されましたね!!

 

 

去年の上映予定から、今年のビニちゃんのお誕生日に上映が決定されて、

本当に嬉しいお知らせですね、

ファンがいっぱい増えて素敵な上映会になります様に!!

 

 

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 【第13回PIFF】PIFF閉幕作『私は幸せです』、ヒョンビン&イ・ボヨンが大変身

第13回釜山国際映画祭の有終の美を飾る閉幕作が、9日午後公開された。韓国映画『私は幸せです』を閉幕作に選択した釜山映画祭は、映画祭の最後をヒョンビンとイ・ボヨンの新しい姿で終えた。多様なジャンルと作品を開幕、閉幕作で披露してきた釜山が今年選択した『私は幸せです』は、『鳥肌』と『青燕』のユン・ジョンチャン監督が演出を務めた作品。今まで制作に対して一切知らされてこなかった『私は幸せです』は、映画祭を通じて初めてベールを脱ぎ、切ないストーリーを表わした。

痴呆にかかった母と賭博にはまっている兄と住みながら、生活に疲れて狂ってしまった男“マンス”役を演じたヒョンビンと、彼の面倒を見る精神病院の看護婦“スギョン”役を演じたイ・ボヨンが、今までのイメージとは全く違う演技を披露する。素朴な青年だったが、狂ってしまい精神病者になったマンス役のヒョンビンは、爆発するようなエネルギーを発散する。怒りと狂気、無邪気さが行き交う演技を、思う存分見せている。

イ・ボヨンも、今までの清純ハツラツとしたイメージとは違い、寂しくて憂鬱な女性の姿を加減なく演技、新しい変身を試みた。トップスターヒョンビンとイ・ボヨンの新鮮な姿と深みのある演技力が引き立つ映画『私は幸せです』は、故イ・チォンジュン作家の短編『チョ・マンドクさん』を映画化した作品だ。  

 

映画『私は幸せです』主演のヒョンビン

 ジャンパーを着てぼさぼさに伸びた髪をしているからといって、二枚目俳優のヒョンビンが「変わった」とは言えない。
 
しかし、映画『私は幸せです』で彼が見せる姿は、間違いなく違うものだ。目つきで、全身で、そう語っている。ドラマ『私の名前はキム・サムスン』のヒョン・ジンホンを演じた彼と、『彼らが生きる世界』のチョン・ジオを演じた彼に何か違いを感じたなら、見当がつくかもしれない。
 
2つの作品の間にある映画『私は幸せです』は、ヒョンビン自ら俳優人生において「学校のようだった」と言うほど、愛着をみせる作品だ。次期作『晩秋』(1966年)のリメイク作を米国で準備しているが、試写会に合わせ、撮影の合間をぬって帰国したことからも映画への思いがうかがえる。16日午前、ソウル市内のあるカフェでヒョンビンに会った。
 
『私は幸せです』は、昨年に<釜山国際映画祭>のクロージング作として上映されてから、1年がすぎた今月26日に公開される。しかし、ヒョンビンは「いつ公開されるか、どれだけの観客を動員できるかはあまり重要ではありません。自分を見つめ直す大切な時間だったし、たくさん学びました。だから愛着があります」と打ち明けた。
 
同映画を撮ったユン・ジョンチャン監督は、現場で厳しいことで有名だ。ヒョンビンに言わせると、監督は「アメとムチ」の使い分けがうまい。「カメラの前に立っているのに、恥ずかしくなるほど怒ります。ただ怒るというより、刺激を与え、感情を引き出すような感じです。OKしてからはよくやったと褒めてくれるし。そうしながら多くを学びました」
 
『私は幸せです』で彼が演じたのは、厳しい現実に耐えられず誇大妄想をするようになり、やがて精神病院に入院するマンスだ。認知症にかかった母親、ギャンブルにはまりカネを要求する兄を黙々と受け入れる青年だったが、兄が借金だけを残し自殺してから現実に耐えられず、精神を病んでしまう。
 
精神病院でのマンスは、スイスでホテルを経営する母親がいるため、小切手にサインさえすればカネが入ると思い込んでいる誇大妄想症患者だ。
 
どのシーンも容易ではなかっただろうと見当が付くが、ヒョンビンは「死ぬほど大変だった。今思えば、どうやってできたのかが不思議」と話した。
 
最後に撮った、夢の中で水に溺れているシーンは深さ5メートルのプールで撮影が行われた。夜に始まり、終わったのは朝方。監督には「最後まで楽にさせてくれない」と不満を漏らしたという。
 
しかし、そんな肉体的な苦労のせいで大変だったと言い立てているわけではない。アクション映画でもないのに体重が4キログラムも減り、最初に撮影したシーンは後で取り直したほど、気苦労が多かったという。
 
撮影で最も大変だったのは、カーセンターで無言で車を修理する日常的で平凡なシーンだった。「最初のシーンだったためプレッシャーがあったようです。マンスというキャラクターをつくるため監督とたくさん話しましたが、それが正しいかどうか悩みながら試験台に上がった気分でした」
 
人がうらやましがる、多くのものを持っていそうなヒョンビンに、映画のタイトルを質問としてぶつけたら、予想外の答えが返ってきた。
 
「私も最初から映画タイトルの言葉について深く考え込みました。つらかったのは、幸せを深く考えるともどかしくなったことです。答えがありません。今でも断定して言うことはできません。コインの両面のようだと思います。すべては自分の心次第ではないかと…」

 

 

 

 イ・ボヨン、「疑いではなく信頼感ある俳優になりたい」

 いつのまにかデビュー8年目になったイ・ボヨンは、今や演技が「私の仕事」と感じるという。イ・ボヨンは最近インタビューで、「ある瞬間から演技が上手くなりたくて、非難されることが嫌になった」、「どうせなら信頼を与える方が良いではないか。疑問を与える俳優にはなりたくなかった」と語った。

デビュー序盤は演技者イ・ボヨンと、人間イ・ボヨンを分離させなければなければならないと考えたという彼女は「演技を遅く始めて、自我が確実に軌道に乗った状態だったために、演技者と自分自身を分離させれば、私生活を守ることができると考えた」、「それで、私生活を守ることに敏感だったが、時間が経ち“演技”が私の人生になった。私の生活として受け入れなければならない仕事で今は私自身だ」と考えを語った。

俳優を長く続けると思わなかったというイ・ボヨンは、「以前は“ある程度までして止めよう”と思っていた」、「ところが俳優という職業は、中毒性が強い職業だ。演技で何かを創造して、私がもう一人の人物を創りだしたということに満足感があった」と語った。イ・ボヨンはまた「演技に対してよく分からなかったが、今は映画でキャラクターを創り出すことが楽しい。これが演じるということだとも感じるし…」、「作品に対してますます愛着を持つようになった」と付け加えた。

演技に対する愛着と意欲で挑戦した映画は、今年封切られる『私は幸せです』。イ・ボヨンは『ウォンス・アポン・ア・タイム』以後、大衆的な作品に出演すれば演技力の評価が遅くなりそうで、『私は幸せです』の暗鬱で難しいキャラクターに挑戦したという。そのため次の作品に神経を遣うのは当然だった。軽いメロー映画『悲しみよりもっと悲しい物語』を次期作に選んだのは、自身の演技力に対する自らの評価のためだったという。

イ・ボヨンは『悲しみよりもっと悲しい物語』について、「全身で演技した後に、力を完全に抜いて自然に演じられる作品だった。私が以前よりどれくらい良くなったかを知りたかった」、「何より私の固定的イメージから脱皮したキャラクターなので、この作品以後また違う私の姿をお見せすることができるだろう」と説明した。

 

 

インタビュー記事の抜粋

ドラマでは主演を何度か演じてきたイ・ボヨン。映画女優としてもこの数年で可能性を見せ始めている。今作品はウォン・テヨン監督と対話しながらキャラクターを練り上げる映画で意味があったという。『マイ・ブラザー』『卑劣な街』は実際のところ男性の映画に自分が混じった映画だった。「うまく演じなければと決心したのは『ワンス・アポン・ア・タイム』から。『わたしは幸せです』ではユン・ジョンチャン監督に演技の基礎から鍛えてもらい、『悲しみよりもっと悲しい物語』は最初から積極的に取り組みともに作り上げた映画だ」。 

 

 

 

 

 

 

 



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