今日、
勤続20年のスタッフがひとり退職しました。
御家庭の事情で昨年の9月より退職を希望されていましたが、
今日まで私が彼女に無理を言って勤めてもらいました。
12月下旬に退職することは前から判っていたことでしたので
今日は明るく見送るつもりでいました。
数日前からお花を用意し、小さなメッセージも添え、今日の日を
迎えました。
今日は半ドンで勤務の無かった他のスタッフも午後集まって来て
医院の仕事が終わるまでスタッフ休憩室で談笑していました。
(皆の仲の良さが判り嬉しくなりました)
私は医院の仕事終了の12時半頃より、そわそわしだし、何だか落ち着かない気持ちに
なってきていました。
きびきびと最後の仕事を終える彼女を見つめていたら、
何だかすごく寂しくなってきて、思わず、誰も居ない待合室で泣いてしまいました。
ティッシュをポケットいっぱいつめて、何度も鼻をかんで、
どうにか泣き止んで
スタッフたちも用意していた綺麗な花束と私の用意していた花とで
皆で写真撮影をしました。
「さようならの会」は無事終了。
休憩室で私服に着替える彼女と残っていた数人で話をしていて
本当のさよならを言おうとしたら、また悲しくなって、涙がポロリ。
おばちゃんがコレ以上泣くと、かっこ悪いので、彼女を駐車場まで
見送る事は断念しました。
彼女の住まいは近いし、いつでも会えるのにね・・・。
今日のスタッフの退職により自分の若い時の卒業式が蘇ってきました。
若かった私は過去を振り返る事もなく、新しい世界に入るワクワク感に満たされていて
いつも前向きだったのか、卒業式で一度も泣いた事がありませんでした。
小学校も、中学校も、高校も、大学も。
月日は流れ、中学校の教諭をしていた20才代の約8年間、
卒業式の度に泣きました。
子供たちが無事巣立ってくれる喜びと別れの寂しさと色んな想いが交錯して
いつも卒業式は、つらい行事でした。
歳とともに涙もろくなったのは事実です。
そして、もうひとつ、
「去って行く人」より「残された人」のほうがツライのではないでしょうか。
(私の場合はいつもそうです)
私は今日は「残された人」。
さて、あなたは、どちらの立場がつらいと思いますか?