3日から5日の連休は福島の三春町に行ってきた。
三春町は中通りにある城下町で、梅、桃、桜の三つの春が一度にやってくるというのが町の名の由来だそう。
樹齢1000年といわれる滝桜をはじめとした桜の名所として知られ、春には毎年観光客で賑わう。
両親の友人がこの町で寺の住職をしているご縁で小さい頃から何度も訪れ、
ポレポレに来る前のヒマ期にはお寺に住み込みでお手伝いをさせてもらっていた時もあり
成人式のお経もあげてもらった、私にとっては馴染みの深い地だ。
福島第一原発からは約45km。事故の後ずっと気になっていた。
休みとれそう、行こうかな、と思いついたものの、ちょっと躊躇したというのが正直なところ。
でも、そこに人がいるんだから、会いにいくのは自然なことだ。
そう思えたので行くことにした。
新幹線で向かう途中、北上するにつれて瓦が落ちている家や
崩れている土壁がちらほら目立つようになった。
着いた三春は遅咲きの桜も少し残っていて、東京より少し肌寒い。
町は比較的いつも通りに見えた。車窓の風景同様の町並みとマスクをしている人が少し多いこと以外は。
3年ぶりのお寺。建物は大きく壊れていないものの、灯籠や墓石はごろごろと倒れ、揺れの強さを思わせる。
いつも台所仕事と電話番くらいしかわたしにできることはないので、今回も3日間そうして過ごした。
お寺で見聞きすることや、久しぶりに会ったお寺の人たち、友人と話すうちに感じたことを記しておきたい。
この町で生まれ育ち、仕事をもって、これからもここで暮らし続けるであろう友人は
「一生付き合ってかなきゃなんねえから」と小さな声で言った。
今回の災害のいちばんの恐ろしさは、底が見えないことだ。
原発は放射能を出し続けているし、未だ終息の目処は立たない。
ずっと「被災し続けている」。
放射能がある、ということ以外日常に戻りつつある今、被災をどう捉えて今後どう暮らしていくかに意識は移っていく。
地震前と地震では、未来の図は大きく変わってしまった。
少し落ち着いてこれからを思うとき、放射能があるなかで、未来をどう描くのか、途方に暮れてしまいはしないだろうか。
住職の奥さんはなぜここにいるか、と自分に改めて問い直したという。
人のせいにはできない、自分の選んだことだと認識しなければ
この先後悔で人生を送らなくてはならなくなる、そう思ったと。
放射能はそうやって、身体だけでなく、人の心にも影響をおよぼす。
原発事故が暮らしに及ぼすことについては、映画を通して考えてきたつもりだった。
だけどこうやって身近になってみて、やはり想像力は届いていないと思い知る。
ひとつの事故がたくさんの人の未来の展望を変えてしまうのだ。天災とは違った形で。
自然を前にしては怒れない、受け入れるほかない。
だけれど、原発事故への怒りや悲しみは、同じように受け入れることは出来ないだろう。
そのやり場のない感情、それが今、なにより気がかりだ。
原発から離れたところに住み、日常を過ごしていると、
ともすれば事故の現実を見ないようにして過ごすこともできるようになる。
見ないふりをして、忘れたふりをして、だんだん遠ざかる。
ポレポレ東中野の4.26原発特集上映を始めた初年度のチラシの文章に
チェルノブイリについて「見て見ぬふりで過ごしていることに少しでも近づくために」と書いた。
なんて他人事な文章なんだ、と今は思う。
でも何をどうしたらいいのか、まだ全然分からない。
福島にはまた行く。彼らがいる限りは今までとおなじように。
それしか今は言えない。
三春町は中通りにある城下町で、梅、桃、桜の三つの春が一度にやってくるというのが町の名の由来だそう。
樹齢1000年といわれる滝桜をはじめとした桜の名所として知られ、春には毎年観光客で賑わう。
両親の友人がこの町で寺の住職をしているご縁で小さい頃から何度も訪れ、
ポレポレに来る前のヒマ期にはお寺に住み込みでお手伝いをさせてもらっていた時もあり
成人式のお経もあげてもらった、私にとっては馴染みの深い地だ。
福島第一原発からは約45km。事故の後ずっと気になっていた。
休みとれそう、行こうかな、と思いついたものの、ちょっと躊躇したというのが正直なところ。
でも、そこに人がいるんだから、会いにいくのは自然なことだ。
そう思えたので行くことにした。
新幹線で向かう途中、北上するにつれて瓦が落ちている家や
崩れている土壁がちらほら目立つようになった。
着いた三春は遅咲きの桜も少し残っていて、東京より少し肌寒い。
町は比較的いつも通りに見えた。車窓の風景同様の町並みとマスクをしている人が少し多いこと以外は。
3年ぶりのお寺。建物は大きく壊れていないものの、灯籠や墓石はごろごろと倒れ、揺れの強さを思わせる。
いつも台所仕事と電話番くらいしかわたしにできることはないので、今回も3日間そうして過ごした。
お寺で見聞きすることや、久しぶりに会ったお寺の人たち、友人と話すうちに感じたことを記しておきたい。
この町で生まれ育ち、仕事をもって、これからもここで暮らし続けるであろう友人は
「一生付き合ってかなきゃなんねえから」と小さな声で言った。
今回の災害のいちばんの恐ろしさは、底が見えないことだ。
原発は放射能を出し続けているし、未だ終息の目処は立たない。
ずっと「被災し続けている」。
放射能がある、ということ以外日常に戻りつつある今、被災をどう捉えて今後どう暮らしていくかに意識は移っていく。
地震前と地震では、未来の図は大きく変わってしまった。
少し落ち着いてこれからを思うとき、放射能があるなかで、未来をどう描くのか、途方に暮れてしまいはしないだろうか。
住職の奥さんはなぜここにいるか、と自分に改めて問い直したという。
人のせいにはできない、自分の選んだことだと認識しなければ
この先後悔で人生を送らなくてはならなくなる、そう思ったと。
放射能はそうやって、身体だけでなく、人の心にも影響をおよぼす。
原発事故が暮らしに及ぼすことについては、映画を通して考えてきたつもりだった。
だけどこうやって身近になってみて、やはり想像力は届いていないと思い知る。
ひとつの事故がたくさんの人の未来の展望を変えてしまうのだ。天災とは違った形で。
自然を前にしては怒れない、受け入れるほかない。
だけれど、原発事故への怒りや悲しみは、同じように受け入れることは出来ないだろう。
そのやり場のない感情、それが今、なにより気がかりだ。
原発から離れたところに住み、日常を過ごしていると、
ともすれば事故の現実を見ないようにして過ごすこともできるようになる。
見ないふりをして、忘れたふりをして、だんだん遠ざかる。
ポレポレ東中野の4.26原発特集上映を始めた初年度のチラシの文章に
チェルノブイリについて「見て見ぬふりで過ごしていることに少しでも近づくために」と書いた。
なんて他人事な文章なんだ、と今は思う。
でも何をどうしたらいいのか、まだ全然分からない。
福島にはまた行く。彼らがいる限りは今までとおなじように。
それしか今は言えない。