かつて摂津 和泉 河内の三国が交わる地であった堺の三国ヶ丘に
大阪城利休屋敷の茶室「御成の茶室」を当時の資料を基に復元された
お茶室「朝雲庵」です
利休の弟子「山上宗二」が文書で残していたのを
茶室建築研究の権威 中村昌生先生の監修で書院 日本庭園も
忠実に復元されたそうです
床の間三畳の客間 亭主が座る一畳にみたない台目畳の
点前座がある(深三畳台目と言う)客(秀吉)と亭主(利休)を
隔てるように造られた中柱と袖壁
これは床の間の前に関白秀吉を迎えることを念頭において
利休の点前が目立つ事の無いよう謙虚な気持ちを表す構えと
推定され利休の美学が生かされた構造だと記されていました
安土桃山時代の利休の大阪屋敷は現在の「大阪市中央区玉造」
辺りにあって 利休切腹後取り壊されたらしいです
その歴史ある420年ぶりに復元されたお茶室でお茶会が催され
お茶をいただいてきました
腰掛待合
待合に通じる露地 飛石
十字架とマリア像のある切支丹灯篭
濃茶席 薄茶席のお道具立ては後日致します
お楽しみに
大阪城利休屋敷の茶室「御成の茶室」を当時の資料を基に復元された
お茶室「朝雲庵」です
利休の弟子「山上宗二」が文書で残していたのを
茶室建築研究の権威 中村昌生先生の監修で書院 日本庭園も
忠実に復元されたそうです
床の間三畳の客間 亭主が座る一畳にみたない台目畳の
点前座がある(深三畳台目と言う)客(秀吉)と亭主(利休)を
隔てるように造られた中柱と袖壁
これは床の間の前に関白秀吉を迎えることを念頭において
利休の点前が目立つ事の無いよう謙虚な気持ちを表す構えと
推定され利休の美学が生かされた構造だと記されていました
安土桃山時代の利休の大阪屋敷は現在の「大阪市中央区玉造」
辺りにあって 利休切腹後取り壊されたらしいです
その歴史ある420年ぶりに復元されたお茶室でお茶会が催され
お茶をいただいてきました
腰掛待合
待合に通じる露地 飛石
十字架とマリア像のある切支丹灯篭
濃茶席 薄茶席のお道具立ては後日致します
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