切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

《戦後75年目の節目の年を迎えて今思う事は》 ④

2020-08-22 00:05:00 | 社会



  「先の戦争は日本にとってやむを得なかったものだ。そして日本は軍隊の規律がしっかりしており、各地での虐殺や無意味な殺戮などはしていない。南京大虐殺?  そんなものは中国の嘘の作り話に過ぎない。」・・・「歴史修正主義」の台頭について。


 表題のような主張が日本で現れたのは確か1990年代だったと思う。現役で社会科の教員をやっていた者として、このような主張がなぜ出てきたのかと思いつつもばかばかしいで片付けていた。でもこれ以前に伏線になるような主張や報道が時々行われていたのは事実だし、自分としても結構よく覚えている。

 もうかなり前になるが、当時NHKテレビ放送では一般市民が参加する公開討論番組が盛んに放送されていた。その時々のテーマによって、賛成派、反対派、中間派みたいな形で主張の異なる者が論争を繰り広げると言うものだ。それだけでは収拾がつかなくなるので、とりあえずテーマに即した専門家の大学教授やジャーナリストなどが、一般市民の前に陣取って補足をすると言うよりは、自分たちの主張を繰り広げ、それに対して一般市民が賛成意見や反対意見を述べるといった形式のものが多かったように思う。

 ある時、教科書の歴史に関わるテーマが取り上げられた。私自身の仕事に直結するテーマだったので、約1時間の番組を全て見た。一般市民以外に専門家として誰が出ていたのかはほとんど忘れてしまったが、ただ1人だけ覚えている。それまで日本テレビのアナウンサーを務め、この頃にはフリーのジャーナリストをしていた櫻井よしこ氏だった。言うまでもなく今現在も右翼系雑誌に常時、似たり寄ったりの文を投稿しているジャーナリストだ。主張する喋りの様子は比較的丁寧でゆったりしており、それを見ている立場の人たちからは決して悪い印象は与えないだろう。そういった意味ではファンも多かったようだ。最近テレビに出る事はほとんどない。彼女の居場所はもっぱら右翼系の月刊誌が中心だ。後は書店に行くと単行本で彼女の著作が置いてあったり、百田直樹氏ら右派系の人等との対談の書物が並んでいたりする。つまり彼女自身の立場は何一つ変わりは無い。

 さてNHKのその討論番組において歴史教科書の内容が、日本がすべて一方的に悪いと言う書き方になっており、これはもはや「自虐史観」に過ぎない。このような思想を学校教育の場で押し付けられて育つ子供と言うのは、日本は悪であると言う思想につながっていく。そういった意味では教科書に記されている歴史的な内容を根本から見直す必要がある、との主張を繰り広げる。司会者(NHKのアナウンサーだったが)がそれに基づいて一般市民にマイクを向ける。すると何人もが挙手する。司会者は知ってか知らずか、明らかに女学生と思われる人にマイクを渡す。なんと見事に彼女は、櫻井よしこ氏の主張にそのまま沿った発言をした。すなわち「私が習った歴史では日本が中国を侵略したように教えられたが、とても違和感を覚えた。日本はあくまでも追い詰められて仕方なく大陸に進出せざるをえなかったのだ。」と言う趣旨のことをしゃべった。しかもその喋り方が実におどおどして、声も小さく顔の表情も緊張の極致。この画面を見ていて明らかに「組織的に動員されて」参加した学生だと思った。続いて別の大学生にマイクが渡る。同じような主張だ。次も同じ。適当なところで司会者がマイクを戻し、次の視点に移そうとする。ところがこれらの主張に対してそれは違うのではないかと言う意見が全く出なかったのだ。というか司会者はそちらの方にはマイクを渡さなかったのだ。明らかに極めて意図的な司会進行だった。前に座っている専門家の大学教授らは右翼系だけではなく、左派系もいるのかと思えばどうもそんな感じではなく、良くてリベラルといった感じの人たちだった。したがってお互いの論争が激しく、結構強い盛り上がると言う雰囲気と言うよりは、全体的に右翼系の主張がさも主流のような雰囲気のまま時間切れとなった。

 この番組はかなりの反響を呼んだようで、以前からくすぶっていた教科書の、特に近現代史における日本の行ったことに対する意見が各地で吹き出すようになる。

 ちょうどこの頃、1960年代に第一次訴訟が始まった家永三郎氏による教科書裁判の第三次訴訟が行われていた頃だった。裁判は下級審においては原告の主張を一部認めたりしていたが、上級審に行くに従って、原告敗訴の結果となり、はっきり言ってよくあるパターンの裁判となってしまった。しかしこの裁判は勝訴敗訴と言う結果よりも、教科書記述の内容について何が正しく何が間違っているのか、ということを世間に広く知らしめたと言うことの意義が大きいと言える。

 裁判においては日本統治下の朝鮮において、抗日運動があったこと、あるいは戦時中中国大陸に第731部隊が存在し、残虐な実験が行われていたことなどが焦点となっている。細かい点では多々あるが、このような内容に対して文部省による検定が、不適切な判断をしたことが不当である、と言うことでの訴えだった。裁判も終わり家永三郎氏も亡くなり、その頃からいわゆる先に挙げた「自虐史観」と言う主張が鮮明になる。

 学校教育で用いられる教科書には、日本が一方的に朝鮮半島を併合し、その後満州に傀儡政権を設け、日中戦争に突入していく。その最中残虐行為が各地で行われ日本軍の信頼は失意する。これに対する欧米諸国による経済制裁がさらに日本を、大東亜共栄圏の建設及び八紘一宇の思想のもとに、日本が中心となってアジア全域を治めていくと言う文字通り帝国主義的侵略行為がなされた。そしてそういった戦争を通して、各地で残虐行為が行われ、日本軍は最終的に米に対する宣戦布告を行い、太平洋戦争、そしてドイツが前もって戦争を起こしており、こうして全世界を巻き込む第二次世界大戦に至った。基本的にはこのような流れで描写されている。

 しかし高等学校用歴史教科書には、さらに詳細な記述が載せられた。日本陸軍は南方進出も含め、食料や資材についてはその補給が間に合わず、原則地元調達を命令し中国大陸でも東南アジア諸国においても、現地から食料や資源を奪い抵抗するものは殺戮し、女性は性的奴隷として悪徳の限りを尽くした。南京大虐殺においても中国人の犠牲者は約20万人とされた。

 自虐史観を標榜する学者たちの声からは、これらの記述はすべて日本が一方的に悪いことばかりをして、しかも詳細なところを見れば嘘や誇張があちこちにあるとの主張が出始める。すでに家永教科書裁判において日本陸軍の第731部隊が争点になっていたが、当時文部省は731部隊についてはそれを証明するに足るほどの論文も証拠もなく、教科書掲載は違法であると主張をしたのだ。しかし裁判途中に次々と731部隊について、その詳細が明らかになり、中国本土に残る記録や日本に残された記録等からもはや避けようのない事実となった。しかも731部隊は人間に対する医学的実験を行う部隊であり極秘扱いであったのだ。そこで行われたのは中国人やソ連人の捕虜に対する「生体実験」つまり、生きたまま解剖する、生きたまま様々な毒物や細菌を与えて、どのような症状を起こしどのような死に方をするか、生きたまま冷凍庫に入れ、体がどのように凍傷になり最終的にどのような状態で凍死するのか、などの実験が繰り返し行われ、詳細な記録にまとめられた。

 戦後になっていわゆる東京国際軍事裁判が行われる。731部隊に関した医務官や兵士たちは一切罪を問われていない。なぜならば極めて貴重な実験結果であり論文であるので、アメリカ側もその記録を全て得ると言う条件のもとに、実験を行った彼らを無罪方面としたのだ。その医務官達の多くが後に、京都大学医学部の教授として、あるいは他の国立大学の医学部教授として、何食わぬ顔で教壇に立っていたと言うことになる。

 そして作家森村誠一氏によってこの記録が本になって出版されるとこれも大きな反響を呼ぶ。ところが巻頭に掲載された一部の写真に間違いがあって、ここから右翼による総反撃が始まる。一部写真の掲載間違いだけで、731部隊そのものが捏造されたものだ、規律正しい日本群が生体実験などするはずがない、完全に中国において作られた嘘の話である、とされた。

 このあたりからいわゆる何度も言っている「自虐史観」と言う表現が、国内でもかなりポピュラーな表現となり、右翼や右派学者が勢いづくことになる。

 彼らの主張の背景には、なぜいつまでも中国や朝鮮に謝らなければならないのか、すでに条約を結んで問題は解決済みだ、今更中国や朝鮮の方からあれこれ言われる筋合いは無い、といった思いがある。そして主張は単なる自虐史観と言うものを超えて、次の段階に入っていく。

 つまり戦争中に行われた日本軍による殺戮行為の大半は、捏造された嘘であるとの主張だ。その典型的な例として挙げられたのが「南京大虐殺。」まず右派の主張はここに集中された。中国側が主張する20万人の犠牲者と言うこと自体がありえないとして、仮に殺戮があったとしてもせいぜい数百名規模に過ぎない、さらには石原慎太郎なども含め、歴史の門外漢が「そもそも南京大虐殺と言うのは作り話であって、実際にはなかった。」と言う所まで来る。つまり歴史上から1つの事実を抹消しようと言うことだ。これは大きな論争になった。正当な歴史学者は様々な資料や証拠を揃えて南京大虐殺はあったと主張する。しかし論争を通して文部省は大幅に後退することになる。犠牲者20万人というのが教科書から消える。これは曖昧な言い方に変更された。さらに南京大虐殺が本文に描写されずに、外枠に資料みたいな形で細かな文字で載せられるようになる。国の機関である文部省は明らかに右派よりに方針を転換したのだ。

 今現在の教科書は見る機会がないのでどのようになっているのかは残念ながらわからない。このようにして731部隊も朝鮮独立運動なども、奥へ引っ込められていく。ただ単に戦争の問題だけには収まらない。関東大震災における一般市民の自警団による朝鮮人虐殺の問題も封印されようとする動きの1つに数えられる。

 「日本は規律ある人々によって打ち立てられた美しい国である。」「我ら臣民は天皇陛下の子であり、すべての行いは天皇陛下のためにあり尽くすことが使命である。」といった一方的に作られた理念によって日本と言う国のあり方が国民に植え付けられた。したがって日本が起こしたと言われている侵略戦争は存在せず、あくまでも、アジアが欧米諸国の植民地になっており、この国々を助け解放するためのやむなき戦争であったのだ、となってくる。こうして個別の残虐行為だけではなく、根本的な「侵略戦争」と言うものが「祖国防衛アジア解放戦争」とのすり替えが行われる。こういった主張を背景に、今現在では南京大虐殺はなかったことになり、朝鮮半島からの徴用工強制連行はなかったことになり、同様に朝鮮半島から連れてこられた従軍慰安婦はいなかった、と言うことにされてしまう。

 こうして右翼の学者を含む著名人なども賛同して、この主張が現日本における主流思想だと思い込んで、テレビや新聞の媒体を通して訴え続けている。嘘も100回つけば本当になる、とでも思っているのか。もちろんこのような問題に対しては被害国である韓国や中国の方が敏感であり、歴史をねじ曲げ事実を無きものにする「歴史修正主義」を激しく非難する。当然と言えば当然だろう。加害者は加害の事実を時とともに忘れていく。被害者はそれがどんなに小さくとも一生忘れる事は無い。国家間の問題だけでなく個人間の問題でも全く同じことが言える。そういった意味ではこの日本の中で叫ばれている、右翼右派の主張と言うものは、論理的で科学的な論証のもとに事実の確定をしなければならない。ただ感情的に特定の右翼思想に基づいた主張であれば、その信憑性は100%疑うべきである。

 実はこのような動きは日本よりも早く、第二次世界大戦後ドイツで始まった。当然のことながらヒトラーが中心になって実施された「ホロコースト」のことだ。民族の抹殺。つまりユダヤ民族を老若男女関係なく逮捕しアウシュビッツを始めとする強制収容所に送り込む。そして大きな建物に入れて全員を殺す。その数は600万人とも言われる。フランクルの著書「夜と霧」を読めばそこに掲載された写真とともに、およそ信じがたいほどの大虐殺が行われたことがいやがおうにも脳に響いてくる。

 ところがこのドイツにおいても歴史修正主義が沸き起こり、ユダヤ人虐殺はヒトラーの命令ではない、ホロコーストそのものがなかった。どこにもその証拠は無い、などと主張がわき起こったのだ。イタリアにおいても少し事情が違うが、枢軸国側に入ったのは違うと言うようなやはり歴史修正主義の考え方が現れた。日本を含むこの三国に共通するのは言うまでもなく、第二次世界大戦における「敗戦国」だ。

 これらの動きをただ単に、何を今更、往生際が悪い、などと軽く済ませるわけにはいかない。これらの主張の行き先には次の独裁国家の出現、帝国主義の再現が十二分にあるのではないかと考えられる。それらは決して許されることではないし、歯止めをかけなければならない。今やヨーロッパにおいても極右政党が大きな躍進をしている。

 複雑な世界情勢の中で各地で小規模な戦争が起こり、難民が発生し、先進国に流入してくる。そのことが経済を圧迫し人々の生活を苦しめ、それらの怒りが難民たちに向く。それが新たな独裁国家の、そして右翼国家の出現を容易なものにするかもしれない。日本も例外ではない。憲法が保障する主義主張の自由、集会結社の自由などがあり、確かに特定の個人をあるいは団体を誹謗中傷するものでない限り、確かに自由なのだ。だからこそ右翼右派が主張する「歴史修正主義」と戦う必要がある。ただし過去の日本軍が行った負の出来事と言うのは、現在の日本人にとっても不愉快なものでしかない。しかしそれが嘘だ、でっち上げなのだ、と聞かされると安心するだろう。そうだ、右翼の人たちの言う通りだ、と言うことになりかねない。恐るべきは国家、つまり政府や官庁がこうした動きに乗っている事だ。

 そのことを肝に銘じながら、人々の間に「真実の姿」を明らかにすることが大事なのだと思う。まだまだ言い足りないがかなり長文になってしまったので、とりあえずここで終わりとする。

 (このシリーズ終わり)

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