千葉市での超少子高齢化社会
まず、下記の千葉市の人口構成表をご覧ください。
- 年少人口割合、老年人口割合、特に75歳以上の人口割合に注目してください。
- 驚くべき数字に驚きませんか? 全ての人が今、この人口割合を自覚しながら行動しているのか、自分がどのような位置づけになっているのか、どんな社会の仕組みを目指しているのかを再度考えてみませんか。
- 赤ちゃんが20歳になる時代の仕組みづくり。便利だけの延長線上にあるのでしょうか。
千葉市での超少子高齢化社会
まず、下記の千葉市の人口構成表をご覧ください。
311東日本大震災の2年目
「ちばコープ」は合併し日本最大の生協「コープみらい」になります(将来の大規模販売体系を考える)
千葉市のメールマガジン終了、Twitter、Facebook等に移行(時代の流れを知る。)
☆★☆―――――――――――――――――――――――――――――――
千葉市メールマガジン「Chib@め~る」
第66号 2013年(平成25年)3月1日発行
――――――――――――――――――――――――――――――――――
皆さんこんにちは。
前号のメールマガジンで、遠浅でよく砂が締まっていた海岸を利用し、稲毛海岸に日本初の民間飛行場が開設されたことをご紹介しましたが、千葉は、昔から常に「白砂青松(はくしゃせいしょう)」とうたわれた海とともに発展してきたまちです。
その歴史は古く、石器時代にまでさかのぼることができます。縄文時代には貝塚が多数つくられました。今でも多くの貝殻や土器が出土していますが、本市の貝塚は世界一の密集度を誇っているそうです(全国2,300カ所の3割弱、700カ所が県内にあり、そのうちの120カ所!!が市内にあります)。
寒川神社で行われる「御浜下り」も海に関わる催事ですね(海の中をおみこしが進むあの光景です)。この祭礼の起源は、本市の開祖である鎌倉時代の豪族千葉氏の守護神、妙見尊のご加護に豊漁を祈念した氏子により始められたことにあるそうです。
江戸時代に入ると、寒川港に佐倉藩の米蔵が造られたため、それ以前からあった登戸浦の港と併せて、千葉のまちは江戸と房総半島を結ぶ物流の拠点として栄えました。浮世絵師として名高い葛飾北斎の作品にも当時の登戸の様子を描いたものがあります(『千絵の海下総登戸』『富嶽三十六景・登戸浦』)。
その後、本市は明治・大正時代に県都として発展し、昭和初期には潮干狩り・海水浴に適した行楽地や海の保養地として、多くの観光客で賑わいました。
戦後、千葉市は千葉港の開港を足掛かりに、工業都市として復興します。昭和30年代から本格的に始まった海岸部の埋め立てで、その市域も大幅に増えました。日本一の長さ(4,320m)を誇る人工海浜(いなげの浜、検見川の浜、幕張の浜)は、昭和51年に完成したものです。現在行われている幕張新都心における魅力向上のための取り組みなどを見ても、ウオーターフロントを中心とした発展には、自然と期待が高まってしまいます。
こうして振り返ると、千葉市と海は切っても切れない関係にあることがよく分かりますね。現在も本市の海岸線には魅力的な施設がたくさんあります。そして、その中でも全国的な知名度を持つ二つの施設、QVCマリンフィールドとフクダ電子アリーナで、今月、これらをホームグラウンドとする、千葉ロッテマリーンズとジェフユナイテッド千葉の開幕戦があります。
千葉ロッテの日本一の奪還を、そしてジェフ千葉のJ1昇格を願い、今年も、両チームを精一杯応援しましょう!
千葉市の郷土芸能講演会