昔の国道357号線(旧千葉街道)
★ 上記の航空写真は登戸の吉原章雄さんから提供された写真で、昭和初期の貴重な登戸海岸の写真だと思われます。写真の右端あたりが今の郵便局に当たります。中央の大きな家が吉原さんの家です。
★吉原さんの家の前の道は当時の千葉街道で、馬が荷物を運んでいた道です。その先は浅瀬の海で、登戸瀬(登戸海岸)、後に袖ヶ浦海岸と呼ばれました。吉原邸の前には有名な馬だまりがあり、馬が飲む井戸があったとのことです。
★この地域は素晴らしい美味しい水が出ることで、昔から有名です。今でもきれいな水が出る井戸がいくつか残されています。
★登戸海岸からは美しい富士が見え、版画にも残されています。
★上記の写真は明治後期の登戸海岸道路です。文書では1886年(明治19年)今の国道14号線であると書かれています。
★千葉監獄の囚人を使い、稲毛~登戸の急斜面を削って作られたとのことです。その後この道が東京に結ぶ千葉街道になり、海の埋め立てにより千葉市を変貌させることになるのです。
★ 千葉登戸地区は昔と異なり今は大きく異なっています。新しくこの地域に来られた方たちもたくさんおられます。昔のことを知らない若者もいます。埋立地にできた都市は旧千葉地区と考えも少し違うという人もいます。
★しかし、例外なく千葉も場所を問わず、押し寄せている高齢者社会、少子化人口低下社会です。福祉だけではなく生き生きした社会の討議もされています。
★このような千葉市に立ち向かうためにも、行政の区部分を越えた皆さんに興味のある情報を提供し、信用を頂戴をいただきながら、これからの素晴らしい千葉市創りに徐々に寄与していきたいと頑張っています。それが「ちば登戸金曜会」のこころです。