そんなに疲れたようすはないけれど、散歩の道にシップ。
鉄丸テーブルの注文を受ける。
とにかく考えないで、丸い鉄の中を次から次ぎへと溶接をする。
手を止める時期は必ずやってくるのでその時まで。
このあと、丸ガラスを置く。
とにかく考えないで、丸い鉄の中を次から次ぎへと溶接をする。
手を止める時期は必ずやってくるのでその時まで。
このあと、丸ガラスを置く。
鉄板にチョークであたりをとる。
あらゆる鉄で文字をつくり、白で彩色。
当然だが、下書きよりだんぜんおもしろくなる。
写真では解らないが、鉄が浮いている所は影も楽しめる。
テーブルと椅子の天板すべて仕上がる。
一枚板から天板と足を切り出し、組み立てる。木の赤い部分も白い部分も
同等に使われる。意図しないおもしろさが生まれる。
7月27日(日)
隣町の真岡の夏祭りに下野手筒会が呼ばれ、本神みこしの宮入りへの
奉納花火と田中健太郎氏、真若みこし委員長就任祝いを兼ねて羊羹花火5本、
手筒2本を、カミナリとどしゃぶりの雨の中、大前神社の橋の上にて
五人衆の太鼓も中止、アナウンスも中止、しかし手筒だけは打ち上げた。
どんなに激しい雨でも手筒は上げられることを知ってしまう。
見事な花火だった。皆、特に警備の方々本当に御苦労様でした。
今年の夏祭りが全て終わり、脱力感が脳みそと体中に駆け巡る。
隣町の真岡の夏祭りに下野手筒会が呼ばれ、本神みこしの宮入りへの
奉納花火と田中健太郎氏、真若みこし委員長就任祝いを兼ねて羊羹花火5本、
手筒2本を、カミナリとどしゃぶりの雨の中、大前神社の橋の上にて
五人衆の太鼓も中止、アナウンスも中止、しかし手筒だけは打ち上げた。
どんなに激しい雨でも手筒は上げられることを知ってしまう。
見事な花火だった。皆、特に警備の方々本当に御苦労様でした。
今年の夏祭りが全て終わり、脱力感が脳みそと体中に駆け巡る。
7月23日。ついに暑い、熱い1日のはじまりだ。
12時から2時、現場に集まるメンバー。
本場、豊橋より花火師さん手筒花火と共に到着。
五人衆 練習風景。
手筒花火 練習風景。
花火師さんより注意事項の講習。
打ち上げ場のお払い。
皆、自分で巻いた手筒の確認。緊張が高まる。
まずは、カレーで腹ごしらえ。
花火師さんの衣装。傾き具合がいい。
子供達は、はしゃいでいる。
山車が現場に参戦。より場が盛り上がる。
五人衆の演奏後、益子の高徳花火さんの開始の合図の奉納花火がうちあがる。写真提供 上条
いよいよ手筒開始。
ハネの音が凄い。
風がなく、花火がよく上がる。写真提供 馬場さん
無数の火の粉を浴びながら、じっと佇む。写真提供 馬場さん
ラスト。片手で持つ羊羹花火8本、点火。
おみごと。
おみごと。
おみごと。全員、無事、生還。
大宴会、突入。
話しは、花火一色。
飲む。飲む。飲む。夜中の中の夜まで飲み抜く。
また来年に向けて、気張ろうぜ。
いよいよ明日。手筒花火の打ち上げ。共販センター南駐車場。夜7時から
手筒花火30本。片手で持つ羊羹花火8本。メンバー全員の無事を祈る。
土浦の限りない蓮畑を見にゆく。つぼみも、咲き始めも、咲いてからも、
花びらが落ち始めても、真直ぐでも、右向いても、左向いても、どうでも
こうでも、美しい花。ショットなど選ばなくていい。ただ撮るだけで絵になる。
しかし育てている人に聞くと栄養素に、にぼしなどの魚肉がいいというのは驚き。
植物で肉が必要と聞いた事がないのと、悟りの花というイメージが重なっている
ので、何もなくても、強靱に坦々と生きていてほしかった。と思うのは私だけ?
日曜日。朝8時。
手筒を揚げる共販センター南駐車場を草刈り。
アスファルトの隙間に生える草まで刈る。
猛暑の中、メンバーの皆さん。ごくろうさまでした。
場が清まりました。本番はあと3日後です。
ケヤキの二人がけ椅子。できうるかぎりシンプルに。足を鉄でいこうか
とも思ったが、店の全体をイメージした時に鉄だらけになっても落ち着かない。
鉄を使うと、都会的になるが、酔壱やは都会なので、あえて自然の森の木を入れよう。
テーブルは山桜、椅子はケヤキでいく。ぜいたく。パーテーションに布と鉄。
オーナーはサイズだけ私と決め、あとはおまかせなので、図面など要らず、
縛られず、直感に従える仕事でいい。
早朝、友達の子供と私の子供達と散歩を兼ねて、自転車で
友達のF君の家の近くの森へ、かぶとむしを取りに行く。
F君は子供の頃からあたりを歩いていて、どこから見ても同じどんぐり
のなる木だが、この木はいる、この木はいないと、ほとんど当たる。
彼が木をキックする。私達は落ちてくるクワガタに目を凝らし、枯葉に
もぐり込む前に捕まえる。彼のおかげでたくさん採れて子供達は大喜び。
その場で採ったかぶとを交換したり、あげたり、楽しそうだ。
最近は子供だけでなく、商売にする大人も来ているらしい。そういう人は
えげつなく全てを奪うやからが多いから残念。都会の子供が見れるのはいいが。
家の近くのタラの芽も芽をひとつも残さず全て採られて、全部枯れ果てた。
キノコにしても竹篭ならまだ胞子も落ちてまた出るが、ビニール袋で
ごっそりいくので無くなった。センブリも無くなった。
森のルールをわからぬ大人の多さにびっくりする。未来をイメージしろ。
現代の子供達はどんどん自然や生き物に触れるチャンスが減っている。
やたらにあらゆる虫を怖がるのもそのせいか?
本物のかぶとむしが、カナブンと蝶とすずめ蜂と仲良く同じ木の蜜を
食べる姿を見れば、ムシキングの画面で戦い、戦うばかりより、勉強になると
今の大人が忘れていると思う。
道祖土の山車へ向けて描いた龍が、山車の両サイドに実際に張られ、
電気をつけたところをチェックしてほしいとの事。
夜、見に行く。なかなか恐くていい。
丸太から製材しておいたケヤキがいい感じに乾いた。
どんなに乾いても堅木は動くのが特質。コップが倒れるほど反ったり
縮んだら、困るけれど、動くのは、それこそ自然木、無垢板の味わいと
醍醐味だから、おおらかに。
木を使わせてもらっているが、強制や、やり込めることは美しくない。
その木が行きたいように行かせたい。
木工家の美学とまったく正反対の考えがある。マイナスがプラス。
自然な曲線がいいが、椅子の座面なので、今回は両方切り落として使う。