深刻なことは何もない定期健診。おまけに家からは遠い。母が診察やらリハビリやらの間に暇だから松代町おばさんぽに出た。
と言っても初めての街だから観光案内所でおうかがい。


面白そうだなぁ!(^^)!
とは思ったものの、持ち時間は母の診察終了予定の二時間程度。
とりあえずで歩いているうちに母から着信で病院に引き返した。




お城気になる!お城に寄ってみたい!!
そしたら、調剤薬局は混んでいるから後30分以上はかかるとのことで、お城に行った。親不孝者のお手本のような娘である(^^;
廃線となった旧長野電鉄松代駅。今は駐車場が広がる。




どこからどうアプローチしてもいいけど、その茫洋とした駐車場のむこうに松代城跡。


松代城は、武田信玄が北信濃攻略の最前線基地として1560年頃に完成し設計・施工は山本勘助という。そして信玄は翌1561年の川中島の合戦ではここを本陣とし謙信に相対したという。
当時は石垣ではなく土塁だったそうで、今でも面影が残る。そりゃそうだ。戦の最前線基地なんだから。



その後武田氏は滅亡し、この城の主も目まぐるしく変わった。
1622年に真田信之が上田から松代に移封され、その後は明治維新まで真田氏十代の居城となった。
城の名は、海津城→侍城→松城→1711年より松代城。
1872年に廃城。一部を除いて全ての建物が取り壊され、更に翌年には残っていた建物も焼失。
跡地は旧藩士に払い下げられ、石垣は崩され堀は埋めてられ畑になったという。
その後、真田家によって本丸部分が買い戻され遊園地となったという。
1981年に国史跡に指定。調査・整備事業で2004年に建物や橋が復元されたという。


時間が無くてボランティアガイドさんを連れ出すという荒業ができなくてどこがどうなのかは今回はわからなかったが、当初は松代の柴石を使ったようだ。その後は地震やら洪水やらで少なくとも三回は大修理が行われたらしい。石も群馬県産に変わり、組み方もそれぞれに違うようだ。
それにしても、見事な石垣!(^^)!
上に城があれば城に気を取られてあんまし感じないのだが、石垣だけだとなにやら巨石文化に紛れ込んだようだ!








よくよく見てみれば、なんだかてきとーのようななんだかきっちりと計算しているような不思議。。




ゆっくりと丁寧にみてみたいなぁ。。。

兵どもが夢の跡。
