披露山に古東海道を歩き、資料の終点に来た。

が、どうにも気になる神社がある。『新宿稲荷神社』様。気になると言えば、この古東海道の先も気になる。
披露山を降り切った道を海に向かって歩き出す。

お!あった。


へ?古墳!

詳細は、サムネイルを拡大してください。
関東大震災の山腹崩壊で発見された横穴墓群。7~8世紀と推定される。火葬の人骨に玉に銅・・・
逗子は、長柄桜山というぶっ飛んだ大型古墳の世紀の発見があった。私も長柄桜山しか興味がなかった。不覚であったな。
長柄桜山に眠る大君とは、どんな関係だったのであろうか?年代からしたら末裔になるのか?どうしてあの広大な高塚から地震で崩れるまでわからなかったような横穴墓になったのだろうか?
どうにも、古墳に呼ばれてるようですらある。ま。階段を登る。


んがゃー(@_@;)と叫んでいた。マジで焦った。真っ白な生き物が突然に現れた。お狐様かと錯覚してしまったは我ながらどうにかしていた。猫氏であった。




この社そのものが横穴墓利用かな?

秋葉様か。火の神・・鍛冶の神・・・

なんとも・・・


古東海道とは・・・
松田、秦野、伊勢原付近を経て厚木南方の岡田辺りで相模川を渡り、海老名から大和に出て境川沿いに南下し藤沢、鎌倉を経て葉山の木古庭から走水に向かったものと推定されてる・・・走水から房総に渡ったとも・・・
今の感覚で推定すると、私が方向音痴というのを差し引いても、よくわからない。
ただ・・・たぶん。当時の地形ではそのルートがいろんな意味でベターだったのであろうとしかわからない。
藤沢からは、今の134号線沿いが当たらずとも遠からずだったのだろうか?かといってかなり海沿いだから、もしかしたらもう少し上を歩いたのかもしれないが。リビエラなんちゃらは埋立地だから無視してよかろう。
海岸に出てみる。


この波打ち際は、ルートに入っていたのだろうか?


このまま海岸線をいけば、森戸神社様だ。葉山の御用邸は今の大君様の拠点の一つだが、あそこに決めたのも偶然ではないかもしれない。
そう。そこから海岸線をやめて内陸に入る。まんま海岸線をぐるりと三浦半島を行くのではなく、内陸ルートになるのである。そこから先の海岸線をいくより内陸に入った方がよかったからそうしたのかもしれないが。
その内陸は、そう、葉山町に御感のシダレザクラ様を訪ねた折に歩いたあの山口の里。その先が木古庭の里。そういえば・・・上山口小前バス停からバスで横須賀に向かった時には、その現代の切り通しに感動していたな。山と山の間をまるで海が割れて道がひらけたような道だったな。
三浦の神々は、どんなお方たちだったのかな・・・
な・・・

帰ろう。

おわ!ゴミ屋敷かよ・・・ま。現実に戻るにはこれくらいがいいのかもしれない。

たはは・・・