冬の陽が傾き始めた吉田橋を渡ってイセザキモールへ。

交番の向こうに明るい茶褐色のビル。

吉田町名店第一ビル。

第二次世界大戦後に占領軍から接収解除された関内・関外はハンブルク市を参考に新しい都市計画が始まり、弁天通りの弁三ビルと同様に建てられた耐火建築アパート群のひとつ。
所在地:中区吉田町20
構造:RC造4階
設計:宮内建築事務所
施工:山岸建設
竣工:1957年(昭和32年)

上のフロアーは建築当時と同じく住宅として使われている。

お隣のビルも同じなんだろうな。

このあたりは関内駅にも桜木町駅にも便利。

耐火建築アパート群はどんどんと無くなっている。
それは時間の流れで仕方ないことだけど、戦争に負けて米軍に接収されて接収解除になって新しい都市計画が始まったという歴史の証人が全く無くなるのもちょっととも思う。

できるだけ頑張れっと心でつぶやいて路地を行くけば、イセザキモールの入口には御年94歳のイセビルが現役。



オーナーさんもテナントさんも大変だろうなぁと思いつつも、やっぱりいい。

