記念すべき第一回大会は、明治38年5月8日、隅田川 吾妻橋ー東大艇庫前
1250m 天候 曇りの中対校シックスで行われたそうです。
この写真は、出漕前に料亭植半の玄関前でとられたものです。
中央にいるのが、東大で岸先生とともに優勝した盟友 武田千代三郎氏です。
武田氏は、このあと審判長として審判艇に乗り組んだそうです。
ちょうど、秋田県知事を終了し同年11月から山梨県知事になるので、東京にかえっていたときではないでしょうか。
また、同年10月には『理論実験・競技運動』を著し、「端艇競漕」という章もあります。等研究所で所蔵しているので、改めてご紹介したいと思います。
さらに、面白い記述を見つけました。
1、これに刺激を受けた明治と日大にボート部が誕生した。
2、日大には早稲田をやめた吉沢、日比野が入って端艇部が出来た
3、日大に加藤進がコーチに行った
これは面白い記述です。
日大の創部当時のことは、謎が多いのでこんど調べて見ようと思います。
1250m 天候 曇りの中対校シックスで行われたそうです。
この写真は、出漕前に料亭植半の玄関前でとられたものです。
中央にいるのが、東大で岸先生とともに優勝した盟友 武田千代三郎氏です。
武田氏は、このあと審判長として審判艇に乗り組んだそうです。
ちょうど、秋田県知事を終了し同年11月から山梨県知事になるので、東京にかえっていたときではないでしょうか。
また、同年10月には『理論実験・競技運動』を著し、「端艇競漕」という章もあります。等研究所で所蔵しているので、改めてご紹介したいと思います。
さらに、面白い記述を見つけました。
1、これに刺激を受けた明治と日大にボート部が誕生した。
2、日大には早稲田をやめた吉沢、日比野が入って端艇部が出来た
3、日大に加藤進がコーチに行った
これは面白い記述です。
日大の創部当時のことは、謎が多いのでこんど調べて見ようと思います。