近代ボート競技歴史研究所

千葉県でボート(漕艇・Rowing)の競技を歴史研究しています。

キートンの大学生

2009年07月21日 00時00分00秒 | 日記
ボート競技が映画の中に取り上げられると、うれしい限りですね。

この作品はご存じ、喜劇王バスター・キートンが主人公です。1927年に撮影されました。もちろん無声映画です。高校卒業時、これ方は勉強が大事でスポーツマンが幅を利かせる時代ではないとのべ、大いに反感を買いました。心を寄せる女性にも呆れられてしまいます。そこで、一念発起、いろんな運動部に入部しようとしますが、ドジなキートン青年。ミスの連続です。陸上、野球、どれも断られてしまいます。しかし指導教授の助言で、ボート部にコックスとして入部し、さまざまな曲折を経て、対校戦に出場しエイトで見事優勝します。そしてよき伴侶を得て、楽しい老後を送るという内容です。

注目すべきは、この翌年、日本で漕艇王が撮影されたということです。多聞に影響を受けたのではないでしょうか。しかし無声映画も楽しいです。

しとしと梅雨戻りの今日は、ゆっくり鑑賞してみようと思います。

謎の鍋敷き?

2009年07月17日 00時00分00秒 | 日記
このプラスチック製の四角い板はいったい何でしょう?

製作年も何も書かれていません。用途としてはまさに鍋敷きぐらいしか思いつきません。しかし、何かのヒントがないかとよ…・く見てみたら、各ブレードに面白いヒントがありました。比較的新しい中央大学のブレードと、東京教育大学のブレードです。

中央大学漕艇部50年史によれば、創部は昭和26年とありました。また、東京教育大学は、第二次世界大戦降伏後の学制改革に際し、新制大学として設置されたそうですが、筑波大学に移行するため、昭和50年には全学部の募集を停止して、昭和53年3月31日をもって閉学したそうですから、昭和26年から昭和53年の間に作られたと推理できるのではないでしょうか。

また京都大学の名前もあることから、対校戦の記念品とは考えにくいですね。インカレか全日本の時の記念品かもしれません。今度、お聞きしてみたいと思います。

隅田川ボートレース風景

2009年07月16日 00時00分00秒 | 日記
この写真には、隅田川ボートレースと書かれていましたが、何年ごろとか、団体名が書かれていないので、困りました。
そこで、隅田川の艇庫が映っている東京大学漕艇部百年史などを見てみました。すると東大の向島艇庫が出来たのが明治二十年です。また11月3日には高等商業学校が第一回競漕大会を4人漕ぎフィックスで廻航レースをしたという記録もありました。フィックスというと6人漕ぎと思い込んでいましたが、4人漕ぎのフィックスがあったのです。

ここの左に写っているのが、4人漕ぎフィックスが本当にあったという証拠になりますね。本邦初確認ではないでしょうか?

しかしこの艇庫はどこでしょう?一橋大学の艇庫ができたのは、明治39年です。東京大学漕艇部百年史に写っている東大と商大の二つの艇庫を見比べてみると、一橋大学の艇庫に見えます。右側の建物は東大の隣にはありませんから、やはり商大艇庫に見えますね。つまり、この写真は明治39年から関東大震災で焼失した大正12年
での間に写されたものではないでしょうか。

先日ご寄贈いただいた学習院大学輔仁会漕艇部の歩みの中には、詳細な隅田川の艇庫があった地図が掲載されていましたが、各艇庫の写真は載っていませんでした。この夏には、その地図に艇庫の写真をつけてみるという作業をしてみようかと思います。

う・・・む。
大変な作業になるでしょうが、まず艇庫の写真だけを集めなくてはなりませんね。これが大変なことになるような気がします。

一高端艇部後援会 会報

2009年07月15日 00時00分00秒 | 日記
この会報は、昭和4年に発行されたものです。一高端艇部から発行されました。大きさは縦18.5cm、横12cm、40ページの厚さです。

目次を見てみましょう。
・ごあいさつ
・端艇部後援会報告
・第6回対三高対校レース記事
・文理科対科レース記事
・神宮レースその他記事
・昭和4年度一高端艇部後援会決算報告
・ふろく 後援会設立趣旨 後援会会則および役員名 

ご挨拶は、養老文雄氏 吉見精一氏です。今から80年前の冊子が良く残っていたものです。記事の中で注目するところは、クリンカーエイトの建造計画でしょう。また当時の後援会の人数は、588人もいたそうです。すごいですね・・・
また寄付の口数は1337口もあったそうで、資金にはかなりの余裕があったことがわかりますね。金額にして3342円だったそうです。
これは現在の金額にしていくらなんでしょう?

また昭和4年というのはどんな時代だったのでしょう?想像もつきませんね。第一次世界大戦が大正7年に終了し、アメリカ、欧米諸国は金本位制に復帰したそうです。また昭和2年の金融恐慌を何とか克服した日本は、昭和5年1月11日に念願の金本位制へ復帰しましたということですが、つまりこの時代は現代とよく似た不況の時代だったんではないでしょうか。

記事の中に春の遠漕という記事が出ていました。4月6日より大利根遠漕を行い横利根合宿所で先発していた理科端艇部と合同の合宿を行った。また7月10日より6日間の大利根遠漕を敢行したそうです。この雑誌の記録により、一橋大学が初めて行った遠漕から平成19年までの遠漕の合計が142回から144回に増えました。

これらの詳しい記録は、秋に行われるボート競技の歴史展で詳細にご報告できると思います。乞うご期待!

東京帝国大学漕艇部 メダル

2009年07月14日 00時00分00秒 | 日記
このメダルは、昭和11年のものです。

真中にあるのは、フィックスの形を正面から見たものですね。その上にとまっている鳥は何でしょうか???鷹ではないようです。カモメか海鵜のようにも見えますが、謎ですね。金色の(漕)の字が誇らしげです。波をかき分けて進んでいるようが見事です。

裏側には「MENS SANA in CORPORE SANO」と書かれていました。大学の字もみえます。この文字の意味するところを調べてみました。一般的に知られているのは、(健全な精神は健全な肉体に宿る)というものですが、本来は「健全な精神が健全な肉体にあるように祈られる」というような直訳だそうですが、この意味を日本語に訳するときに(誰が訳したかはわかっていないようです)当時の時代背景から来る影響でしょうか「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉がうまれたのではないでしょうか。

このラテン語の元はローマの風刺詩人ユウェナーリスの詩のことばですが、あれこれ文句を言わずに、願い事をするならもっとつつましく「健全な精神が健全な肉体に宿りますように」とお祈りするほうがいいんじゃないかぐらいの意味だと言われています。

健全な肉体に鍛え上げると、自然と健全な精神が身につく、といっているわけですが、じっくり考えるとそんなことはめったに起こらないわけで、健全な精神を持てるように日々努力しなくてはならないのではないでしょうか・・・。

したがって、体が大きく立派になっていく青少年にも健全な精神が身につくような勉強をする必要があるんじゃないかと思います。

昨今の、事件を見て精神的な幼さを感じてしまいます。このような時代にこそボート競技のような団体種目の訓練が学校体育の種目に必要なのではないでしょうか。そうすると、競技人口が増大すると思うのですが・・・。

戸田ボート村の防人

2009年07月13日 00時00分00秒 | 日記
昨日の、ストレンジ先生顕彰会の時にGK大学のI先生からいただきました。I先生ありがとうございました!

この方は、言わずと知れたBさんですね。三菱レガッタの時に行ったボート競技の歴史展会場で、Bさんからブレードの模型を寄贈していただきました。Bさんの作品は戸田公園駅や、戸田ボートコースの本部のなかでも見ることができます。

Bさんは、傘寿を迎えられたそうです
長寿のお祝いには他にどのようなものがあるか、調べてみました

長寿のお祝い
61歳 還暦 赤ちゃんに還るという意味
70歳 古希 杜甫の「人生七十古来希なり」より
77歳 喜寿 草書体の字 喜寿が七七に似ていたので
80歳 傘寿 傘の略字は十と書き、八十と読めるから
88歳 米寿 米という字を分解すると八十八になるので
90歳 卒寿 卒の略字は卆と書き、九十と読めるので
99歳 白寿 白という字も99も、一を足すと百となるので

つまり、いつもお世話になっているBさんは八十歳になられたというわけです。中身は、5シーンで1時間48分になるそうです。古い貴重な映像や、資料が満載とのことでした。
ずーっと、ボート競技を支援していただいたのですから、隅田川の様子もあるに違いありません。

ものすごく楽しみです。

ストレンジ先生顕彰会

2009年07月12日 00時00分00秒 | 日記
これは昨日の、ストレンジ先生顕彰会で設けられた、祭壇です。
何か忙しくて、写真がこれしか取れませんでした。
後で撮影された方から、譲っていただこうかと思います。
左の白のオールは、第一高等学校のブレードカラーだそうです。
また、第一高等学校端艇部同窓会の有志の方が、駒場に顕彰碑を立てられているそうです。
今度時間を見て、見学撮影に行こうと思います。

一橋大学ボート部メダル

2009年07月06日 00時00分00秒 | 日記
このメダルは、昭和11年皇紀2556年のものです。
左下から右上にかけて、旗の棒が貫いており、校章が描かれた旗があります。この校章から一橋大学ボート部と推理されます。

そして棒の上に(漕)の字が描か描かれています。

思ったより小さいです。材質は銅でしょうか?裏側などにはないも書かれていません。

せめて、何の大会かぐらいは、ヒントを残してほしかったものです。

もしかしたら、大会の参加章かもしれませんね。