近代ボート競技歴史研究所

千葉県でボート(漕艇・Rowing)の競技を歴史研究しています。

George Pocock 謎のオール 1

2009年05月13日 00時00分00秒 | 日記
このオールは全くの謎に包まれています。
ブレードカラーはご覧のような配色で、スタンダードタイプのブレードですが、重量はかなりあります。

日本製の木製オールと比べ、中の空洞部分が少ないように感じます。

長さは現在のオールと比べると、若干短いようです。

残念ながら、製造年月日はありませんでしたが、George Pocock という名前が書かれていあので、少し調べてみました。

米国のシアトルで、作られたオールのようです。ジョージ ポコックさんはイングランド生まれです。残念ながら1891-1976年にかけて、生存されていた方のようです。

さらに特色があるのは、このオールのピボット部分です。なんと細く切った皮が巻きつけられ、ずれないように金属が打ちつけられているのです。


相当製造年月日は古いと思われます。秩父宮スポーツ博物館に展示してあったシムズ製のスカルに付けられていた、オールのピボットと同じ形状でした。

ということは秩父宮様が、英国から持ちかえられたシングルスカルの年代が分かればこのオールの製造年代も推量できるのではないでしょうか?

秩父宮様が英国に留学したのが、大正末期から昭和初期だったと思うので、もしかしたら80年ぐらい前のスイープのオールと、いうことになりますね。

然しなぜ、米国製の古いオールが残されているのでしょうか?

秩父宮様のスカルオールの写真は(ピボット部分)後でご紹介したいと思います。

最新スポーツの知識

2009年05月11日 00時00分00秒 | 日記
この本は、旺文社から昭和22年に発行されたものです。
戦後すぐの発行のため、紙質は良くありません。それも当然でしょうか。
全部で254ページあり、大きさは縦18cm横12.5cmです。

序によれば、今日 平和日本と言い民主日本というが平和を愛し、平和の邁進を意図するが故に今日以後の日本国民は今までにも増して、明朗であり闊達でなければならないと、述べています。

中略

現在の諸事不如意な社会情勢の下に尚且つ体育の重要さ、スポーツの価値ある所以が強調されるのは実にそこになる。

体育とスポーツの違いに着目して書かれているのは、さすがです。

フィジカル・エドケーションの訳を試みた明治の人によって、身体之教育と訳されやがて、ちぢめて 身教や体教と言われていましたが、しっくりこないので体育と言われるようになりましたが、本来気晴らしであるスポーツは日本に有入された時に、気晴らし部分が抜けてしまいました。

したがって学校教育では、体育と呼ばれており市民が楽しみで行う運動はスポーツと呼ばれるというようになって行ったのではないでしょうか。

そして、序では最後にこう言っています。

本書はこうした若人の動きに応え、スポーツ知識の普及を目的に大日本体育会の各競技役員をわづらわせて執筆されたものである。

なるほど、それで各競技の執筆者のお名前がないわけです。

第八、漕艇(ボート)は134ページから、142ページにわたって書かれています。そこでは

一つの運動競技の第一人者たらんとするその精進は傍で見てるほど決して楽なものではない。特にチームワークを競技の生命とする種目にあっては、自己というものを全く忘れて、チームの行動に殉じていかなければならないのでなおさらである。
ボートの精進はこの団体訓練の威力発揮に全力でそそがれるだけに、特に不屈の精神力が必要とされる。と書かれていました。

そこで、どなたが書かれたのかを推理したくなり、大日本体育協会50年史を見てみました。すると第6代会長として昭和22年から東竜太郎博士が着任しており、東京教育大学(現筑波大学漕艇部OB)の中原乾二氏が昭和23年から役員を務めていましたが、年代的に合いません。

さらに調べていくと、東竜太郎博士は東大時代はボート部の選手として活躍し、弟の俊郎氏もボート部であり大日本体育協会の役員を務めていたことが分かりました。すると、この文章は東俊郎氏が書かれたのかも知れませんね。
しかしそれ以上のことは詳しく分かりませんでした。