創価学会に悩むすべての人へ

創価学会問題の構造を紐解く(※コメント不可。トラックバック歓迎!)

創価学会の守護神「愚痴メンバー」

2005年10月17日 | Weblog
生きるという事は、大変に苦しい事である。
苦しいから、宗教にすがる。
宗教は、難しい問題にも、すべて答えを出してくれる。
自分のプライドを捨てて、宗教を受け入れる事によって、
もう迷いはない。
安心が生まれる。
だから、宗教というのは、マインドコントロールが魅力なのだ。
マインドコントロールなき宗教は、宗教とは言えない。

だが、人は、マインドコントロールされる事に、
誇りを傷付けられたような気分になる。
だから、宗教団体側も、

「これからあなたをマインドコントロールしますよ!」

とは言えない。
本当は、宗教は「マインドコントロール」が商売なのだから、正直に言っても良い。
しかし、正直に言えば、なぜか、必ず拒絶されるから、そのようには言えない。
そこで、宗教団体の考え抜いた作戦は、
本人に自覚の無いように、マインドコントロールする事である。
これは、ニンジンの嫌いな子供に、ニンジンを細かく刻んで、何かとまぜて、知らず知らずのうちに、食べさせるのと同じ作戦である。

創価学会には、さまざまな教義や指導がある。
その教義や指導の中から、余計なものを削除して、
そして、最後には何が残るだろうか?
最後には「あるモノ」が残り、その他の教義や指導は、その「あるモノ」を真実らしく見せるための、材料に過ぎない。
教義や指導を会員に植え込もうとして、たとえ反発されても、「あるモノ」が、会員の心の中に残れば、大成功である。

その「あるモノ」とは一体何か?
それは「創価学会は正しい」という思いである。
この思いこそ、創価学会における「一大秘法」であり、残りの教義や指導など、この思いに持って行くための、材料に過ぎない。

創価学会では、教義や指導のみならず、「創価学会は正しい」という思いに会員を到達させるための、色んな材料が用意されている。
例えば、「巨大組織」というのも、その一つ。
「これだけ創価学会は拡大したのだから、正しいに違いない」と思わせる。

また、会員同士の表面的な温かさも、その一つである。
末端の会員同士には、直接の利害関係が無い。
そして、創価学会というのは、まだまだ、世間から白い眼で見られる事が多い。
白い眼で見られている者同士の、心理的結束というものもある。
だから、会員同士は、ホットな親密な関係がある。
この人間関係は、客観的には虚構なのだが、会員にしてみると
「これだけ温かい人間関係があるのは、創価学会が正しいからだ」という理屈になる。

そして、何より、信仰、それ自体というものが大きく影響している。
腹が痛い人間に、小麦粉を「良く効く薬だ」と言って飲ませると、不思議と治ってしまう事を「プラシーボ効果」という。
創価学会における「唱題」というものも、基本的には「プラシーボ効果」の域を出ないだろう。
もし、唱題が、本当に呪術的効果を生み出すのであれば、創価学会員に不幸な者は一人も居ないはずである。
実際は、世間並に不幸な人も多い。
つまり、唱題は、ほぼ「プラシーボ効果」なのだ。
だが、プラシーボ効果にせよ、自分の苦しみを除いてくれる事がある。
そういう経験を、何度もしているうちに、
「創価学会の信仰は正しい」という確信が生じる。

このようにして、会員は、何らかの材料から「創価学会は正しい」という考えを身に付けて行く。
そして、会員は、聖教新聞を購読し、あるいは友人や親戚に勧め、年一回は「財務」という名の寄付をする。
これさえ、やってくれれば、創価学会の中枢の人間は、満足なのだ。
愚痴は、いくらやってもらっても構わない。
創価学会の教義や指導、全てに対し「イエス」と言っていただく必要はない。
「創価学会は正しい」という考えさえ、持ってもらえば、総論賛成、各論反対で構わない。
「創価学会の指導には間違いが多い。でも、創価学会は根本的には正しい。」
という会員は、中枢から見れば、むしろありがたい存在である。

会社でも、社員には不平、不満が渦巻いている。
その不平、不満は、会社のシステムが改善される事で解消されるわけではない。
飲み会の席で解消されるのだ。
つまり、飲み会で、会社や上司の悪口を言わせる事で、社員に適当にガス抜きをさせ、そして、翌日は奴隷になっていただく。
こういうのが、日本の会社組織である。
上の人間は、社員を声を汲みあげて、会社のシステムを変えようなど、一切、考えていない。
そのかわり、社員にガス抜きをさせて、言う事を聞かせる。
「せめて、口だけ、文句を言っていいぞ!」という事なのである。

文句を言いながらも、奴隷になってくれる人間。
それが、会社員であり、創価学会員である。

創価学会組織に対し、不平不満を口にしながら、創価学会を総体的に支持して行く創価学会員を「愚痴メンバー」と、仮に名づけよう。
この「愚痴メンバー」が、実は、大きな働きを成している。
社会から見れば、創価学会というのは、やはり異常な集団である。
実際、会員をコントロールして、職員が儲けようとする集団だから、異常そのものである。
だから、創価学会を社会に受け入れさせるためには、創価学会が良識的集団であるとカモフラージュしてくれる存在が必要である。
そこで一役買っているのが、「愚痴メンバー」である。

世間の人間は、例えば、聖教新聞の4面座談会など読むと、
「なんだ、この品性の無い言葉使いは!」と違和感を感じる。
創価学会側からしてみれば、「やらねばやられる」という、必要迫られた理由があって、あえて暴言を使っているのだが、そんな事は、世間の人には理解できない。
世間の人に、受け入れられなくても、敵対者を叩かねばならぬという創価学会側の悲しい動機がある。
そこで、登場するのが「愚痴メンバー」である。
世間の人が、
「あの聖教新聞の下品な言葉使いは何?」と聞いて来ると、
愚痴メンバーは、自分もそう思っているので、
「創価学会員の私から見ても、あれはおかしいと思います」と答える。
そうすると、世間の人は、創価学会にもまともな人間がいるのだから、捨てたものでは無い、という期待を持つ。
だが、実際は、いくら聖教新聞の論調に問題意識を感じている創価学会員がいても、あの論調は変えられない、厳しい現実がある。

前田利家は豊臣秀吉の盟友だったが、主君、織田信長暗殺を期に、一度、決別する。
しかし、圧倒的な力を豊臣秀吉が持つや、前田利家は秀吉の前に屈する。
豊臣秀吉は、小国日本を守るために、大陸に進出する。
自分から大陸に出なければ、いつか、逆に大陸から侵略されるという危機感があったのだろう。
「やる前にやれ!」という気持ちだったのだろう。
そういう秀吉に対し、快く思わない人間がたくさん居た。
その時に、緩衝材の役割を果たしたのが前田利家だった。
秀吉が、危険な海外遠征を行い、国内では専制を行っていたとしても、
前田利家の存在が、豊臣政権を信用させた。
つまり、良識的な前田利家が居る事で、世間は豊臣政権を安心していたのだ。

前田利家のように、緩衝材の役割を果たしているのが「愚痴メンバー」である。
世間が、創価学会に対し、疑問を声をあげた時、「愚痴メンバー」は
「そうよねえ。創価学会員の私から見ても、確かにおかしいわ」と受け答える。
これで、世間の人は安心してしまう。
大変、危険な状態である。

爆弾を生クリームで包み込む。
その生クリームの役割を果たしているのが「愚痴メンバー」である。
こうした「愚痴メンバー」に、上手に創価学会への内部批判をさせ、世間から「創価学会にはまだ良識派がいる」と思わせるのも、創価学会の上層の作戦である事を忘れてはならない。

創価学会の巨大組織を維持するには、創価学会員の子供は、活動家に仕上げねばならないし、創価学会員の恋人は、無理にでも入会してもらわねばならない。
公明党が力を持ってもらわねばならない。
世間から「異常だ」「おかしい」「カルトだ」と言われる事こそ、創価学会を維持するには、どうしても必要なのだ。
だから、こうしたシステムは、指導者が変わったとしても、継続される。
カルト的なシステムを持ち続けねばならない以上、世間の目をごまかすしかない。
その時に、重要な役割を果たしているのが「愚痴メンバー」である。
「愚痴メンバー」が創価学会のオブラート役になってくれる事で、創価学会のカルト的な部分を隠蔽できる。
創価学会の隠蔽材料として、「愚痴メンバー」が利用されているのだ。

「幹部にロクなヤツ居ないよ」という創価学会員。
「無理に折伏するの、良くないと私も思う」という創価学会員。
こういう「愚痴メンバー」こそが、創価学会を維持して行く、最も重要な戦力である事を、もっともっと理解する必要がある。

「真の創価学会員」は、創価学会が維持されるには、カルト的行為も必要であると、理解している。
創価学会の本当の目的は、コミュニティー機能である。
信仰とか、そんなものではなく、創価学会は実益をもたらす集団である。
創価学会に実益をもたらすには、多少の汚い行為も必要である。
創価学会は決してキレイな集団なんかじゃない。
だから、「真の創価学会員」は、聖教新聞の論調にも文句を言わない。
創価学会員が恋人を強制入会させようとするのも「当然だ」と答える。
だから、「真の創価学会員」が口を開くと、世間受けが悪い。
そこで、「愚痴メンバー」が必要になる。

「愚痴メンバー」は、創価学会の本当の目的を知らない。
創価学会を「キレイな集団」だと思い込んでいる。
創価学会がキレイな集団だと思っているから、愚痴が出るのだ。
創価学会を「キレイな集団」だと思い込んでいる「愚痴メンバー」こそ、創価学会の強力な親衛隊である。

何よりも、適当に愚痴を言う事で、「自分は覚めている」と錯覚す事が出来る。
「創価学会は正しい」という思いで、見事にマインドコントロールをかけられているのだから、
決して覚めているわけではない。
だが、人間は、自分が愚痴を言う事で、「覚めている」と思う事が出来る。
真の催眠術は、当人に、「自分は催眠術にはかかっていない」と思わせる。

最近の創価学会批判者も、この事に気づき、「良識的」と言われている創価学会員に対し、危機感を持つようになって来たようだ。
以前は、カルト性をぷんぷん匂わす創価学会員こそ、批判の対象になっていた。
しかし、現在は、「良識的」と言われる「愚痴メンバー」こそ、実は創価学会の親衛隊なのではないかという見方が生まれている。

わしも、以前「目覚めよ!創価学会オルタナティブ」という記事を、HP上に書き、この問題性を指摘した。
創価学会オルタナティブとは、積極的に創価学会の内部批判を行っている、いわゆる「愚痴メンバー」である。
創価学会の活動家のうち、創価学会のウラもオモテも知る、真の意味での創価学会員であるのは5%も居ないと思う。
創価学会の活動家のうち、大半は「愚痴メンバー」(オルタナティブ)なのだ。
創価学会は、適当に愚痴メンバーに愚痴を吐かせながら、世間の苦情を受けさせながら、創価学会の組織を維持しているのだ。
インターネット上で、アンチとバトルをやる創価学会員など、全員が愚痴メンバーである。
真のバリバリ創価学会員は、バトルなど決してやらない。
真のバリバリ創価学会員は、自分達がカルトでしかない事を理解しているからである。

創価学会は、日本の弱い社会福祉制度を補完するために存在するコミュニティーである。
「仏教」などは、会員をひきつける道具に過ぎない。
創価学会の本質は、福祉コミュニティーなのだ。

わしは、こういうコミュニティーはあっても良いと思う。
日本の脆弱な福祉環境は、障害者や老人を孤立させる。
隣りの人間が病気で倒れても、誰も気づかない。
そういう日本の冷たい社会に、コミュニティーは必要である。

だが、創価学会の問題点は、そのコミュニティーを建設するのに、「宗教」を利用しているとことである。
「宗教的マインドコントール」によって、コミュニティーを築いているのだ。
もし、創価学会が宗教団体でなく、「創価福祉協会」のような、普通の団体としてやっていたならば、誰にも文句を言われまい。
だが、創価学会は宗教を看板にして、宗教的マインドコントロールによって、人を入会させ、活動させ、財務を納めさせる。
こうしたところに問題点がある。

この欺瞞性を打ち破るには、創価学会にとって、いかに教義が「道具」であるかを示す必要がある。
おそらく、ここから「愚痴メンバー」も、創価学会の本質を気づきはじめる事と思う。