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創価学会問題の構造を紐解く(※コメント不可。トラックバック歓迎!)

立正安国論要約(by freeさん)

2005年12月16日 | Weblog

わしの書いた

立正安国論に見る日蓮のカルト性
ですが、長いので、読んでいるうちに、前の部分を忘れてしまう、
という方もいらっしゃるかも知れません。

freeさんが、御自身のブログ創価学会体験記にて、
立正安国論の現代訳を、さらに要約してくださっております。

せっかくですから、こちらにも、掲載させていただきたいと思います。

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旅人が、お坊さんの庵に来て言うのです。

旅人「飢饉や 天災や 疫病で この国の人や家畜がバタバタ死んでおります。どうしてでしょう」
 
坊さん「正しい法が 無くなってしまったので、神様がいなくなってしまったのだよ、そして悪魔が入り込んでいるのさ」

旅人「え~ この国にはこんなに仏教が盛んなのに そんなはず無いではないですか」

坊さん「仏教が盛んそうに見えるけれどね 悪い坊さんが一杯いて 正しい法を説いていないのだよ。
 なかでも 法然という坊さんが、選択集というのを説いてね、コレが間違いなんだよ。
 念仏さえしていれば 百人が百人とも往生できるよ なんてさ。念仏一門しか 救われないって言っているのだよ。
 仏教の中心である法華経に書いてある『もし、この経を信ぜずにそしる人は、死して無間地獄に落ちる』という 釈尊の戒めの言葉に 背いているのだよ。
 法然の選択集が出てから、阿弥陀堂でなければ供養もせず、念仏の行者でなくては布施をしなくなって、他の仏堂は荒れ果てて 住職も逃げ 守護の善神もいなくなってしまっ
たのだよ。
 法華経を捨てて 浄土念仏を信じるから悪鬼が入り込んで日本が 禍に見舞われているのだよ、だから祈祷より 念仏を禁止を一番にする事だよ。」


旅人怒って「でもね 中国や日本の立派な先師が 阿弥陀仏を尊重していますよ。法然様も幼いときから 比叡山に登って修行をつまれ 智慧が明らかで徳も高いとされていますよ。
 多くの書を読み 時代背景を考えて 修行しやすさを考えた結果 念仏を採用されたのですよ。法然様に対して そんな罵詈雑言 同席するのさえ恐ろしいです。」
と帰ろうとします。


坊さん 旅人を笑って止め

坊さん「詳しく法然の謗法を説明しましょう。釈尊の説教には方便と真実の教えがありますが、易しい教えから深い教えとなって 真実は法華経なのですよ。法然は それを無視してすべての大乗経典と仏・菩薩・神々を捨てよと、多くの人びとの心を迷わせているからです。」

旅人「だいたい解りましたが、そんな事を 朝廷・幕府に進言する事は 出過ぎた行為ですよ」

坊さん「法華経を学んでいる者として、何とかして真実の仏法を立てたいと考えるのは当然ではないでしょうか。それに 延暦寺と興福寺から、たびたび念仏停止の進言がされていますし、法然の弟子たちは 遠国に流されています、朝廷や幕府に 意見提出している者はいるのですよ。」

旅人「あなたが 正しいのか 法然が悪いのか 私には解りませんが、まずは日本の災害を除く方法を教えて下さい」

坊さん「正法を謗る人を禁じて、正法を信ずる人を重んずるならば、国中は安穏で天下は泰平になるであろう、と私は考えるのです。
 涅槃経大衆所問品に次のように説かれています。
 『仏が言うには 一闡提(いっせんだい)には 施しをしてはならない。口汚い言葉で正法をそしり、悔い改めない者のことを一闡提と言う。』
 涅槃経梵行品には
 『人を殺すのは 上中下ある、すなわち生き物の命を奪うのは下、人は中、父母、声聞や縁覚や菩薩 を殺す事が上、上が一番罪深く無間地獄に堕ちるのである。
 しかし 一闡提を殺す事はこれに含まない。異端の教えを説く婆羅門たちは正法をそしる 一闡提であるから、彼らを殺しても罪にはならないのである。』

 涅槃経寿命品には
『正法をそしる者があれば、みな力を合わせて徹底的に根絶しなければならない。』 
 涅槃軽金剛身品には 
 『正法を護る者は五戒を守らなくとも、威儀を整えなくとも、まず刀や弓や鉾をとるべきである。』

 このように経文に明らかです。蟻を殺した者でも必ず三悪道に堕ちるけれども、謗法の者を殺せば必ず不退転の菩薩の位に達し、仏になれるというのです
 謗法(ほうぼう)の人びとは正法を伝える人を無視し、そのうえ、法然の選択集にだまされて智恵の目を閉ざされてしまったのです。」


 旅人「大集経の法滅尽品には
 『僧であれはすべて供養を捧げなければならない』と書かれています。
 涅槃経では謗法を禁じていますが 大集経の戒と異なりますから、
 謗法者を殺すなどと信じられないです。」


坊さん「こんなに経文をあげたのに まだ信じられないのですか? 昔の釈尊は命を奪ったと言いましたが、今は、すなわち布施を止めろと言っているのです。」

旅人、襟をだたして「仏の教えは 細かく別れて難しく 私には理解が及びませんが、法然の選択集に
 『一切の仏も、経も、菩薩も、神々も、「捨てよ」「閉じよ」「閣けよ」「抛てよ」』
の言葉をもって、すべて排斥しております。ですから 日本の善神が去って 禍が起こっているのは 経文から理解できました。一刻も早く 法然一派を滅ぼさないといけません」


坊さん「あなたが 心を翻したのは 嬉しい事です。しかし 人は移ろいやすいもの。もしも あなたが、国の安泰を欲しているのなら 謗法の者たちをすみやかに滅ぼさなくてはなりません。なぜなら「他国侵逼の難」「自界叛逆の難」が起こるからです。
 また 邪教を信じてはいけません。間違った考えがいつまでも残っているならば、早くこの世を去り、死んでのちは必ず無間地獄に堕ちるでありましょう。
 あなたは 今までの邪教を捨てて、法華経に帰依しなさい。」


旅人「私が弥陀一仏を信じて他の仏をなげうち、浄土三部経だけを仰いで他の経を捨てたのは、私の考えではなく、浄土宗の先師の言葉に従ったまでであります。そのために現世では心労し 死んで無間地獄に落ちるなど、経文から解りました。この世が安寧であるために、謗法の者たちを すぐに根絶し、他のみんなの誤りを正しましょう。」
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日蓮を批判した時、
しばしばある反論として、
「日蓮の教義を、現代の仏教学の常識をもって批判するのはおかしい」
というものですが、
わしの「立正安国論に見る日蓮のカルト性」をお読みいただければ、
現代仏教学の知識を持ち出す必要もなく、
鎌倉当時の仏教常識の範疇であっても、
日蓮は矛盾をおかしている事がおわかりになるはずです。

鎌倉当時の仏教は、華厳、法相等の奈良仏教、及び、真言宗と天台宗、
並びに、天台出身の法然の浄土宗、中国から来た禅です。
このうち、法華経を最高峰と位置付けているのは、天台宗だけです。
残りの宗派は、みな、それぞれ「最高」とする経典が異なります。

たとえば、法相は三時教判で「華厳経」「解深密経」などを依経とし、法華経はさほど重視しません。
華厳宗は五教十宗の教判で、「華厳経」を依経とします。
真言宗は十住心を教判とし、密教経典を依経とします。
五時八教の教判を用いるのは、天台だけです。

どの宗派も、法華経を批判しているわけではなく、
法華経に、それなりの価値を認めていながらも、
それぞれの判断基準で、法華経に勝る経典を発見しているのです。
これは、浄土宗も同じです。

日蓮宗だって、他の経典を否定はしないものの、
法華経こそ諸経の王と考え、他の経典をかえりみないのです。
これは、浄土宗と理屈は一緒です。

日蓮は、天台の価値観で他宗を批判しているわけです。
これは、日本の法律を外国に当てはめようとするのと一緒です。

法然は天台出身であるから、法然の浄土宗に対しては、
天台の価値観で批判する事は許されるのではないか?
と考える人もいるかも知れませんが、
法然は、天台を捨てて、中国善導大師の浄土教に転向したのであり、
すでに転向した人間に、昔の天台のルールを押し付けようとしても無意味なのです。


創価学会では、日蓮が鎌倉幕府という国家権力に対抗し、
国家権力に迎合する坊主連中と闘ったのだ、という事を言われます。
「国家権力に対抗」といえば、格好いいですが、
日蓮は、自分の教えを国教にしようとしたのです。
それが拒絶されたという事です。

日蓮が、国家権力と闘った、と思い込んで、
身震いして、自分の参考にするのは、創価学会独特の美学であり、
それについては他人がどうのこうの言う事はできません。

ですが、本当に権力と闘った人物は、
歴史を紐解けば、他に見出す事が可能なのですから、
わざわざ、日蓮を模範とする必要は無いかと思います。

どうしても日蓮に固執してしまうのは、
自分が創価学会から離脱できないという宿命を持っているからでしょう。
つまり、創価学会から離脱できないから、日蓮を尊敬せざるを得ない。
これを「認知的不協和の心理」(考え方を環境に適応させる)と言います。

日蓮仏法に、微塵の価値も無い、とは申しません。
ですが、少なくとも、かつて創価学会が主張していたほどの、
日蓮の正義は、もはや見出せないでしょう。

日蓮の立正安国論の内容についても、
創価学会ではなく、
アンチのわしの書き物によって知り得たという学会員もいらっしゃるでしょう。
創価学会員も、少し、アンチに対し、謙虚に学んではいかがかと思います。

日蓮は、立正安国論に始まり、立正安国論に終わると言われます。
亡くなる前まで、日蓮は立正安国論の講義を弟子にしておりました。
日蓮思想は、立正安国論に極まるのです。

立正安国論を攻撃されたら、
「立正安国論だけ読んでもわからない」という論法で、
どんどん逃げるのかも知れません。
しかし、そうやって、立正安国論を「未了義」とするのは、
命懸けで幕府に立正安国論を提出し、
死に際まで立正安国論を講義した、当の日蓮に失礼でしょう。

創価学会員は、敗北を認めるべきです。


創価学会では、平左衛門尉頼綱が、
法華経の行者を迫害する第六天として受けとめられていますが、
平左衛門尉頼綱は、鎌倉幕府における、治安維持の最高責任者という立場でありました。
現代でいう、警察庁長官のようなものです。

当時、比叡山の僧兵でさえ、鎌倉には武器を持ち込めなかったにも関らず、日蓮は刀剣を持していたと言います。
その日蓮が、「邪宗の坊主は殺してしまえ!」「内乱が起るぞ!」「蒙古が攻めてくるぞ!」などと絶叫して歩くわけですから、治安上、死刑台ギリギリに連れて行くなどの、「おしおき」をする必要があったと思われます。
これは「迫害」でも何でもありません。

念仏の宗徒からの攻撃はあっても、幕府として、迫害があったとは考えておりません。
為政者として、仕方の無い対処だったと思います。
晩年の日蓮に、身延での寺院建立を許すところを見ると、鎌倉幕府は寛大であったと思われます。


ちなみに、「謗法の者を殺しても罪にはならない」という
日蓮の思想を裏付ける遺文があります。

去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向つて云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆難とてどしうちして他国侵逼難とて此の国の人人他国に打ち殺さるのみならず多くいけどりにせらるべし、建長寺寿福寺極楽寺大仏長楽寺等の一切の念仏者禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頚をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ。(撰時抄)

現代語訳:去年、文永八年九月十二日申の刻(午後三時~五時:龍の口での事だと思われる)に、幕府の治安担当者であった平左衛門尉(平頼綱)に向って言った。
私(日蓮)は、日本の国の指導者である。
私を失うという事は、日本の柱を倒す事である。
そのうち、「自界反逆難」と言って、内乱が起り、
また「他国侵逼難」と言って、この国の人々が、他国に殺され、生け捕られてしまうだろう。
建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏長楽寺等の、一切の念仏、禅の寺塔を焼き払って、彼等坊主達の首を由比ケ浜にて斬らねば、日本国は必ず滅ぶであろうと、申したのである。



斬首刑に臨む日蓮が、ギリギリの精神状態で、
「俺を殺すより、奴等を殺せ!」という発言であり、
本気で彼等を殺害すべきだと考えていたのでは無いのかも知れません。
けれども、日蓮の思想を考える上でのヒントになるでしょう。