花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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断捨離に決心付かない昭和の空気の電化製品、、、困った、、!

2023年09月15日 | 日記
北海道で、テンテンと移動しながらの無給医局員時代が続く中。

   車のトランクに積んだ、子育てセットの、、、なべ、、キッチンの電気がま、、、

    50歳近くまで大きな外科の異郷に所属していて、
       、、公務員、、何号等、、とか言って

       開業医さんの一か月の収入の
             10分の一ほどの給料で、、、

          外科の手術術を磨き
             チームワークに、医療チームの手術場の看護婦さんらと

               心臓外科に所属していた関係上、、、

              

           長い手術も多くあり、、、7~8時間、、躯体を曲げたままの
        繊細な集中力で、、メスを使う、、血液との戦い?????
      一度手術室に入ると
          数時間にも及ぶ手術との格闘で、、、
             ついに、、不自然な姿勢が大きなヨウ素かもしれないが

        戦争中に生れたという、、、栄養物の欠乏からか??? 

      大きな手術になってしまった。

       4か月の入院の後、、、

       寝たきりで固定されていたこともあり

          元のように、、、
         長期の心臓手術には、第医専の大學の手術は困難。
               体力的に持たなくなってきていた。
        当時は国際的に評価されていたDr.の、オペによって
       回復した、学会報告された成功例の手術を受けられたおかげで

       その後は、心臓の弁置換、、とか

         心房中隔欠損症を、、国立病院の医長として、執刀していた:

           第一線の重症患者のやってくる医局には、、
              体力のある若手が、、だんだん入ってくる。

        外科医は、、1に体力、、、2に体力、、、と日ごろから言っていただけに

       心臓血管外科名誉専門医という賞状が、後輩の手術に、指導で入り

          執刀からはだんだん遠のき、、、

            インターンの時から 一般病院で鍛えた、乳がんンお診断と

         乳房温存手術など、、手術時間の短い外科手術を担当しながら

         診断の認定医として、、若い医師たちと受験をして

        多くの若手がなかなか合格しない為もあり

          認定医を持っているダンナさんの病院に札幌市からの依頼で

            乳がん検診をする事になって久しい。


         ダンナさんの昭和の生れの医師は

         専門分野の腕は、、厳しい無給医局員として

             決められた手術にはいり、
               厳しい指導に、
              泊まり込みの指導を受ける時代だった。

         今と違って、、「無給医局員の身分で有り」、、、
           大きな異郷だttこともあり、、、

              医師がやらねばならない術後処理や

                術後管理で、、、帰宅できない激務が続き

         耐力の地震が無くなた医師での中には

              地方の病院に固定して、經驗することで腕を磨いてゆくという

             給料を受けながらの修行の道に行く先生方もかなりいらしたように記憶しています。

        留萌出張の、病院での修業は、、、固定している有給医師と

            ダンナさんのような無給の大學派遣医師との待遇は 天地の差がありました。

         寿町の、絶壁の5メートルほど手前に、
               ボロボロの板の塀が、、
                  風で飛ばされそうに揺れていた。

          木造の平屋の、巡回して来る医師の為の宿舎は、

            取り壊した方がよさそうな、、、
               風雪に耐えぬいた、、、
                 年月の経ったアチコチ修理必要な宿舎だった。

           風呂の煙突は折れていて、、、風呂は使えなかった。

              弐畳ほどもある立派なタイルの風呂は、、、
               目地が汚れたまま

                 燃料は入っていなかった。

           寿町から坂道を下り、、あっという間に吹雪になってしまう中を

            転びながら、、、燃料を買いに行った。

           「オイルショックで、、、この町の住民の文しかありません。」

            仕方がないので、、、病院に頼んで、、病院の出入りの業者に分けていただいた。

           一部屋と7人ほどの共同のキッチンは 、洗面を兼ねた、ブリキの流しが壱個だけ。

           水道は、、壱階水を汲み、、、地面の下まで、

            水を落としという、、手間暇のかかる施行。

           米を洗っているさ中、、、隣りの部屋の独身のDr.が起きて来て

          洗面に来る間、、キッチンと休息所を兼ねた粗末な食堂のテーブルに

              洗い物を待避させて、、、若い医師の洗面が終るのを待ってから
                    
           みそ汁などを沸かすのにも、洗い場の滅菌の為に

             洗濯石鹸の粉を溶かして、、洗剤として、、、人が通過するたびに

               滅菌しなければ、、、台所との兼任した文化の違いには

           本気で、、「離婚してもらおうと、、、」考えたりしていた。

          母も、私も、、、考え方が南紀の生れであるだけに

           北海道の冬の厳しさが、、、これほどひどいとは、、、

             想像もつかなかった。

                初めての子になるはずの、、、男の子を流産してしまった。

             北海道の樺太で育ったという院長先生は

            自宅が病院の近くにあり、、、-27度の厳寒期も、、、
                長靴で、、、徒歩で、、

                雪まみれになりながら、、、通勤して居らっしゃったのが

              今も記憶に残っています。

             東京育ちのダンナさんは、、、、芽だけ出した頭巾のようなヤッケで通勤。

            壱週間い一度ぐらい、、、宿舎に帰ってきていました。

           スガ漏れのする部屋の押し入れの布団は水浸しで湿気ているが

             ストーブを焚いても0度ぐらいにしかならない部屋だけに、、、

             手触りが、、、バリバリと、、、半分、、氷った状態で

            TVは真空管のものが、、画面は雨が降ったようであり、、、

              かすれた、、とぎれとぎれの、、、、音が、、、NHKだけは、、何とか

             一局だけ音が入った、

            アンテナが付いていないので、、、太い針金で出来た土瓶しきを、

             てっぺんだけ出ている、、物干しに付けて、、、

               ラジオ代わりに、、、かすれた音の放送を聴いていた。

                 「別れたい、、、」

                私は、、ノイローゼ―のようになって、、、流産の後

             一人で、東京の実家に帰り、、、一か月以上、、、

              離婚してもらうか、、、もう一度、、、

              八甲田さんの様なイメージの「留萌の崖の上の一部屋に帰るか、、、」

             一か月以上、、悩み続けた。

             留萌では命がけの一か月を過ごした経験が、、、

             80歳になっても、、、甦り、、、

             妻子を一切振り返らずに、、、医師の修行に全力で従う旦那が

              、、、もう、、夫、、というより、、、

              こんな状態の結婚を実行した、、、北海道と東京との

           文化のクレパスに転落して、、、スイートな一日も無いままに

            此処では子供を育てるのは、、、私には出来ないという、、、

             恐怖の結婚でしたね。

             山が大好きの私は、、、漠然と、、大雪山の写真や

            北大のポプラ並木の、、、ェキゾチックな

             絵画のような異次元を考えていました。

              6月の札幌で出逢った主人とは

                  半年後の留萌で、、、

              毎日離婚を案が得て居ましたね、、、、「笑)


            どうやって、、、4年後の札幌の、、安定期に到達したのか?

            時間が飛んでしまって、、、その間の記憶が無いんですよね。

          

                  

       気が付いたら、、目の前に80歳が、、見えてる景色なんですね、、、「笑)
         
その間、、ダンナさんは、、家庭を振り替えることなく、、
             黙々と、、仕事第一、、、病院第一、、、里帰りも、、無かったですね。

       病院の事を、、「自宅だと思っているほどでしたね。」

         開業医さんお奥様方のように
          北海道の医師のご家庭は、、、交流があるのでしょうかしら?

          冬という零下の気温と雪に閉ざされて、、、

         家の周りの雪をどかせるのが、、、人生の半分でしたね。

         近所とのお付き合いは、、季節の和やかな釈迦から秋口までの
            ゴミ出しの日の、、井戸端会議ですね。

         それ以外は、家事と、、、仕事、、、平成の中頃まで、、、
           異文化の体験中でしたね。 友人は一人もつくる暇のない

            転々と、、、地方の、、北大の外科の医局の関連病院での
            修行に行く、、、ダンナさんの奥さんは、、「仕事」でしたね。

           小学生になった息子達は、、作文に

        「お父さんは居ないような毎日だ。でもお父さんは、、、家を守っている。」

         学校の先生が、、、心配してくれた作文を、、、断捨離で、、捨てる事は出来ないで、、

        北海道の医師の家庭を、、、、それでも、、羨ましがって、、、誤解している。

         大病院のオーナーも、、開業医さんも、、勤務医も、、、無給医も

          民間にはワカラナイ、、、それぞれの、、「プロ級の苦労に」

        医師は家庭を振りかえる暇のない人が多いと思えるのですよね。

          50歳近くになって、、、医局を出て、地方の国立病院の医長となって

            公務員医師として、、初めて、、独り立ちしたのは

         いつの間にか、、、大学受験になった息子達の
          私立大学に進学を余儀なくされた成り行きから、、、

            入学金を支払うための、、、50歳直前の

               公務員からの脱出でした。

             40歳で採用、、50歳前に退職の国家公務員の年金は

            去年までは、、、年間全学で900円ぐらいで

               50歳からの民間の病院の給料が戴けるようになっても

             年金の掛け金が超髙い❕,、、のに、、、

             年金は全部カット、、、

            学門や、技術に夢中になって、、、経済界の流通に関与する時間麻無い、、、

            勤務の 医師たちの、、税金や、、年金カットの現j津を知れば、、、

            一旦は収入として入っても、、、税金などで、、出てゆくという

             日本の医師は、、金銭的には、、
          「家畜並みに、、、コントロールされていますね。」

            敵は、、、税務署でも、、、国税局でもなくて、、、

               スマホが出来る前は、、、「税理士任せ:で

             時間貧乏の医師の、、、生きる為のノウハウを、、、

           、、税理士に丸投げして、、、

         経済的な事を学ぶ時間がなかった、、、、、そういうシステムで
             医師にとったら「時間の使い方」で、、税金も、年金も勉強すれば、、、

         これほどひどい、、、年金カットは避けられtかもしれないし。

         税金ンおクレパスに落ちてしまうほど忙しくても、、、

           お金がかかっても良いから、、、

           税金のことを勉強して、、、人任せにしないということが、、、

          老後の貧困を避けられるのではなかろうか?

            税のシステムのような事をもっと知り、、、

            税金は自分で申告する勉強をしないと、、、

            老後の生活費は、、強敵ですよね。

          私たちは、、「専門バカ」で、有る種の仕事のプロという、、

        、時間貧乏だったことが

              老後の、、施設に行く貯金が無いという、、、

                 健康がたよりの、、、老老介護の約束されてしまっている
          金持ちと思われがちな、、医師の看板の勤務医は、、、

         退職金が無いので、、、いきなり30万円前後のアルバイト人生になってしまうと

          来年の税金が、、前の年のが来るので、、、

             いきなり貧困家庭になつてしまい、、、

             ご近所からは、、収入が多いと羨ましがられながらも

                  通勤のタクシーが来てくれないと

           足腰が、、一時間かかる勤務先までの、、、バス、、電車、、JR,,,と

          乗り換える足腰が、、、診療のスタミナを残しておくことに徹して
          決して贅沢ではないと、、、お金の使う大将が違っているだけで、

        ブランド物のバックも買ったことはない。

           断捨離するときは、、、未練さえ断ち切れれば

            売れる様な物は一つも無い。

             実用品の、長い年月の、愛用という名の唯一無二のものばかり、、、

           一旦、我が家に、、点が下された品物は、その、品物の生命がある限り
         修理をして使っている。

          滝のように落下する、、、退職金の無い、、、人生は

            ボーナスも手にしたことはない。

            医師の給料は、学会費や、参加費や、勉強を生害続ける為の
           大学の師匠を囲む勉強会とか、、、

            個人病院の場合は、、、大学からの派遣される医師の確保の大切さから

             大学のイベントには、生涯、出席という

            日進月歩の医学の社会の、、変化に対応してゆく費用にもなり

            月給として入っただけの金銭は、今、通用する医師で有り続ける為の
            勉強や、医療界の必要な知識の為の、、、

             鯉のぼりりのように、、、医学の空を泳ぐ医学会の生き物のような学問の鯉を

           泳がせ続ける、、、風の分子の一つでありつづける費用となるようだ。


          日本は消化器分野が優れているようですね、

             弟が、、ハーバード大学に、しばらく居たことがるのですが

              園のトップの先生が、、、

            MR,弟の名前を呼んで、、、病院の医師の前で

             「肝臓,胆膵臓の、、、私の先生です。」   
               皆の前で、、、紹介してくれてからは、

            廊下ですれ違う先生方から、、、挨拶をされるようになったと
              アメリカの、トップの医師の言葉の重みのあることを

               実感したと言っていました。

           また、アメリカには、、街ごと医療の為だけに出来ている様な、、、

                「メイョー、クリニック」という 

               知る人ぞ知る、、、、区域が在りますが、、、

             アメリカは、医学に対する理解も、研究分野への理解も

             国そのもののガ、、、学問的に深い理解力が在り

             日本の医師は、政治指導の分野が多く、、、

              これからも、、医師は、生涯の設計をもとに

            自分らで環境を整えてゆく為の協力を、政府に提出できるだけの

              経営管理の分野を育てないと、、、医師本人には、時間貧乏が続くだろうね、

            消耗品として、日進月歩の医学の川に流されてしまわない為にも

            旦那さんは、、、認定医や、専門医や、、、 

            名誉~クリニックから、、、ボストン、、、フロリダ、、、ニューヨークと

             アメリカ横断の勉強会などにも、、、
             月の半分、、、
             勉強会に参加していた若き日でした。

             写真を整理しながら、、、思うのですが、、、

             家族の一緒の写真は、、、ほとんどありませんが

             医師の皆さんの行動の範囲の広さには、、、びっくりするような現実です。

             ともかく、、、薬剤師になったのなら、、、医師との結婚は勧めたくないです。

            薬剤師仲間からも、「医師の奥さんになった薬剤師は」
                 仲間は、、つかいにくいようですね。

             薬局を運営している鬼背のオーナーも

             医師の奥さんになった薬剤師は、、、つかいにくいと言いますね。

              薬剤師会の方でも、、、旦那さんが,、、基幹病院の院長だったりすると

             本人の後ろに、、、お客さんに相当する、、、医師が見えるようで

              本年で話せないと、、気を使わせられると、、、

                 薬剤師会の役員をしている義兄義姉に忠告されましたね。

               「医師と結婚したのなら、、、医師の後ろの、、家庭を

                   一人で守るつもりで、、、孤独な戦いに心を強くしなさい。」


             薬剤師会の幹部になっていた兄の嫁さんは、、、

               学校薬剤師をしていた私に忠告してくれた。

          民間の理解は、、医師という頂点を取り巻く医療スタッフだと理解している時代だった。

           アメリカから帰国した弟は、、、
           アメリカの看護師さんお地位は高い、、、と言っていた。


            薬剤師会から、、ヨーロッパの「医歯薬史の学会」に参加したとき

            イギリスの ノートルダム寺院の至近距離に

             英国の薬剤師会の、、ビルが在り、、、

               ロンドン中の薬局を視察する機会に恵まれたことがりましたが

             ヨーロッパの薬局の地位は、、、さすが、、、ヨーロッパでしたね。


           例えば、、、色素だけに全力を注いでいる薬局もあり

           教会が始めた、、、薬草栽培の「生薬」を

           デルフト焼の美しい色彩豊かな絵のついた縦長の壺に入れて

           まるで、、美しい陶器屋さんと間違えるような、、、

          総ガラス張りの、、、「これが、、、!!日本の漢方薬局に相当するビルなのだと、、、」

          民間の文化を取り入れた「生薬専門薬局には、、、楽しませていただきましたね。」

           医師の奥さんが、、気を遣わせる存在なら、、、

            存在を感じさせない、、外国周りで、、、
            忙しい現場の薬剤師が逃がしてしまいがちな、、

           世界の薬学事情を知る分野に参加するのも良いかもしれないと、、、

           中国の4大中医学院のゼミにも参加してきました。

          日本は中国と、、仲良しで有り続けたいと思いましたね。

         この国の優れた所と、、、日本の優れた所が助け合えば、、、

          新しい、、世界が、、、出来上がり、、人類の貢献できるような

          薬学が、、新設されるような気がしましたね。


           日本が誇る「養生集」、、、

          貝原先生のオリジナル化と思っていました。


           違うんですね、、、西安から、、山に添って歩き続けると

            五泰山、、、こんな字だったかな???忘れちゃったけど、、、

            山のてっぺんに,、、「ソンシバク」先生と呼ばれた、名医が

           西暦500年前後に、、、医師をしていた洞穴が在り

           その中に、、、養生集のネタ本に匹敵する、、、資料が、保存されていたのを

           見せて戴いたのですよね、、、

          パリ大学で、、、ノーベル賞の額縁から、、、症状を出して

          触らしてくださった時の、、、恐る恐るでも、、、とうとう、、手で触れるのは控えましたが。、、

          パリの先生は、、、触ってごらんとしきりに言っていた時のような

           一歩下がってしまった、、、私でした。。


          表紙だけで、、、わかりました。!、、、お仕舞下さい、、、と、、

          デスチュアーで、、辞退したのですが、、、

           どうしても,、、触って、めくってみなさいと、、、言うしぐさをするので

          写真だけは撮影してきたのを思い出しました。

          しかし、、、本当だという裏付けはとる実力が、、、私には無いので

         全て、、手書きのようなワープロにして

          資料の一部に、一行その旨を添付して、、、

          東京大学の引率の、、末広先生と、、もう一人の引率の
          地下台の山川先生に、、シリョトシテ、、、

          年表にして、、お送りしておきました。

         末広先生からは、、、自分のゼミの教室に少し通ってきて

         論文の書き方が判るから、、発表しなさいと、、言われました。

         立場は復帰の薬剤師ですが、、、学会の指導者から

         戴いた👈お手紙では、、、どうやら、、

         養生集の原本は、中国に有った、、あの本だと、、!

         承認を得られただけで、、満足でした。
         発表するという、、
         学術的な分野には所属していなかったので、、立場には無かったので、、、

         臨床薬剤師として、、会員医なっていた東洋医学会から

         京都大学の教授の先生が「鯛会長をしているとき、、」

          中国の4大中医学院のゼミ参加の一環として行った、、、

           「成都の生薬市場の写真を、パネルにしたポスター部門参加」として

         お送りして、、ポスターセッションとして、、

          学会当日に,、、口頭で、、、こんなことに出逢いました、、、!と

          ともかく、、、誰かに伝えておくべきことだけはしておきました。

          後日、、植物園の園長をしていた先生に、、、

          成都の中医学院で、ゼミで説明された生薬の写真は、、、セットにして

          北大で、、役立つという先生に差し上げてきました。


         主婦という立場で、、、第医専の先生が、、お誘い下さった事に
         感謝できるとすれば、、、それを生かせる研究者に
          資料として、、、 差し出しておくことしか、、

          日の目を見ることが出来ないという、、、

          学術の世界は、、、主婦という立場や、

           臨床薬剤師の立場では、、、手に余すような、、、

          国際問題にでもなりかねないすれすれの、、、学術が

          民間交流として、、、中国と、、席を同じくする学者の居ることに
         参加できたことは、、ラッキーでしたね。

         中国は、、日本と、、仲良く付き合い続けるべき、、、
         ルーツが、、同じ国民のような気がした、、、5世紀の、、、

         医師の住んでいる、、岩山でしたね。

          中国とは、、、永遠の仲良しで居たい、、、文化の交流を感じましたね。

            

              、、

          

             息子のような、、50歳になろうとして、、
             仕事が奥さんだと言っている様な 若い先生に伝えておかないと、、、

             医者バカの人生が待っているという事を、、、知るべきだと思いますね。

            医師になた息子は、、、実家の有る東京に出してしまったばっかりに

               50歳を目の前に、、独身で、、、持ち家も無く
                    
             結婚したいという意志も無いようですね、、、

            医師になったばっかりに、、、本人にしかワカラナイ

             社会に貢献できているという満足の中で、、、

                誰が見ても、、
              「こういうのを、、、貧乏というのでは?」と

               揶揄したくなるような、、、
              「仕事が奥さん」の2代目ですね。

                博士ではあっても、、、大学の助手で
           50歳近くまで 医局で時間がすっ飛んだという。

               大学命令で、、東京の巨大病院に戻り。。。

               昇進への命令がおりたとき、、、
                息子は、、、東京に戻って頑張るという言うよりは

                系列病院麻ある田舎に、、、心底漬かりこんでいた。

               かれこれ、、20年過ごした分院の里を

               去ることは、、、大好きになった、、我が町から,、、

              去らねばならないのは、、、
               孤独を強いられるような恐れがあったのかもしれない。

               20年という長い年月の馴染んだ街を去るには、、
               孤独に強くなければ、、ならない。

              親も、実家のある東京から引き揚げて、、、

              東京には、、実家もないし、、、住宅も、世代交代で、、手放してしまった。

               家賃が3万円ほどの、、分院の住宅から

               東京に移動するのは、、、

              若K利子日のごとく、、、

                若き母親か、、、東京に実家の有るような女房が必要だ。

              どうして暮して行ったらよいのか、、、

               大学の医局人事で、大学家入れるの病院で

                自然に恵まれたこの町は、、、自分尾家だと思っていたようだ。

             車も家も無く、、、病院麻宿舎で、、最も時間貧乏な50歳まで

              何の矛盾も感じないで、、

            「医師をすることが、、、仕事が、、、女房だったようだ。」

            「医者バカに育ててしまった、、親の責任も、、感じるこの頃です。」

              「 歳をとって、、独りぼっちは、、あまりに寂し良くなるから、、

                結婚相手が現れたら、、結婚しなさいね、、、」


             「 母さん、、50歳になって、、、老人一歩手前の独身男を

              本気で好きになる女性って、、、いるわけないだろう、、、!

                結婚詐欺に出逢うのがおちだよ、、、」

              「医師一人の、、人生って生き方も、、有だよ!」

                 大学に居たから、、金は無いし、、家は無いし

                   家族もいない、、て、、、

                 coronaの時代を、、、こんなに忙しい仕事をしながら

                        家族なんて、、、守れないよ、、、」


                本人は、、、涼しい青年のような呑気さで言う、、が。

                私の人間的な未熟から、、、 医師という

                  命と闘うという事は大きな仕事を持たせ過ぎたのかもしれない。

             普通のサラリーマンになって、、、
                 孫子の顔を見せてほしかったと思いながら

                   本院が医師になった事を、、満足しているのだから

                   他に何も欲しがらないのだから、、、

                どうか、、、幸せに、、人生を全うしてください。

                  「千と千尋の神隠し」の映画を麻観だします。

             卒業した息子の所に飛んで行かなかった、、母親の私は

                医科大に進学しながら、、、
               医師になるのを迷い始めてしまった甥っ子から
                電話がかかってきて、、、

                「あんたのお爺ちゃんが、戦場から引き上げるときに持ってきた

                  外科手術の道具だよ、、」

             手渡したとき、、、「おばさん、、、こんな大切なもの、、

                       僕にくれちゃっていいの?」

              鬱々とした悩んだ顔に、、、後光が差してきた。

              「解剖で、、進路変更して居たら、、、
                  全ての職業に、、、「
               「解剖に匹敵する鋭い神経を痛めつける、、プロの道」があるんだから、、、、

                「窓を愚妻で居る洗濯物をとって、、、光を入れなさい!」

               甥っ子は、窓の洗濯物をどかすと

               教会の十字架が見えた。

              「迷いのお熊は去った!!」と思った。

              「 部屋を片付けようよ、、、」

               甥っ子のマンションの前の木賃宿に泊まって

                 3日間通って、ひゃのも湯が絵をして

                 旧いものは全部捨てさせた。

                ゴミ袋が近所の箇所のステーションい捨てきれずに

                 少しづつ捨てることにした。

                医学の解剖で、、躓く友人が私にも居たことがある。

                外に誘い出して「戦と千尋の神隠し」の映画に連れて行った。

                3年になって、、、躓くなんて、、、

                   「あらっても洗っても、、雑念という汚物に汚れたお化けになるよ!!」

            部屋の模様替えをした生家、、、なべの材料を買って、、帰り道に

               「千と千尋の神隠しの映画の、、、顔ナシに、、なる所だった!!」

              手作りの鍋を嬉しそうに食べながら、、、

                心が決まったら、、、札幌の、おばさんの所に行くから、、、

                帰宅してからその週の日曜日、

               甥っ子は一人で、、ヒコーキで我が家にやってきた。

               我が家には、、息子達が読んでいた
              手塚治氏の「ブラックジャック」の全巻が在った部屋に彼を泊めた。
             ブラックジャックの漫画の手術シーンは刺激的である。

             「おたんこナースの全巻」も有ったので、、、

              夜K実は日曜日だったので、、近くの遊歩道の有る水源地の散歩に連れ出して

             歩くイチニチヲ過ごした後、、、

              「藻岩山の夜景」を見に車で
                  山間の、、道を、、ぐるぐると、、登った。

               カウンターで、、「札幌ラーメンを食べながら、、、」

              何も言わずに、、、街の灯を見つめ乍ら、、、

            「宝石の海の様だね、、、」と、、甥っ子は言った。

             、、、、、、、、、、、、、

             「この町の光の中から、、、医師の灯している光を探すには大変だよ、、」

            私は、、甥っ子に言った。

           「甥っ子は黙って頷いた。」

             「おばさん、、もう、、、悩まない、、、」

            「今度は、、いつか、、ラーメンは、、僕にも、金を出させてください!」

          それっきり、、、二度と会うことは無かった。

         男の子には、、天気が在る。

         キタキツネにだって、、、穂別れは有る。

          彼は、、実家の開業の「3代目」には
                なりたくなかったのだろう、、、きっと。

              これで、、親とも、、キツネの穂別れでき☜

              おばさんの前に、、、二度と現れることも無いだろう、、、。

            何しろ、、、男一匹、、、プライドの塊が、、、

          人生の道を悩んでいるとき、、、

          繊細の直系の初代の医師の使った「手術道具を持って行ったんだから、、、」

             医師になった瞬間、、、

               「おばさんの、、やろう、、、俺さ間の迷いを、、ぶった切るなんて!!」

           きっと、、医師になった瞬間、、、「プライドがゆるせないだろうな~~~!」

          おばさん御時に、、、悩みの解決口を立わせてしまったのは、、、

              百年目の不覚❣!、、、おばさん、、ごときにに

              悩みからの停滞を、、
              お爺ちゃんの手術道具で、、
               ぶった切られたなんて、、、

       きっと医師になった時から、、、二度と観たくない顔になったと思うよ、、、

              男のプライドって、、すごいからね、、、

                ラーメンで別れた日から、、、

               私の台所の留守電も、、、受話器をとる事はしなかった。

               別れではないが、、、
           もう、、二度と、、おばさんを必要としてはいけないよ、、

              人生の、、夜の街の、、、宝石の海の、、、
                 一つの灯りを
                  灯し続けられる、、、医師になったのだから、、、

                   十字架が見えたあの日の光の
                    一筋になって、、、
                  病人の闇夜の歩みのともしびになってくださいね、、、

                80を目の前にして、、、

               気持ちの良い別れだった事を、、、あの十字架を思い出すよ。

               君一人で、、解決できるのは解っていたよ。

                おせっかいのくせがついてしまっていたんだね。

                君の電話に、、、大人気なくも、、、

               子どもの頃の君を、、思い出して、、

                余計なおせっかいをしてしまったと、、、

                 実は、、、後悔していたんだよ。

                    おばさんとのお別れは、、、何か、、さわやかだったね。


             今日かぎり、、、思い出も、、、断捨離だね、、、


                世代は、、うつりゆく、、、老人は、、消え去るのみ。


                最後の思い出話より、、、袖擦り合うも、、、の日記より
                     
           

               厚生労働省は、、、70歳ごろを目安に、、、

              医師という医師は、、、日ごろから質素に、、
              貯金していないと、、、医師には退職金が無くて

               年金は治めるだけで受け取れない、、、

                 前の年の税金が来るから、、、思わぬ誤算が来て

                パニックになるという事を、、、知っておいた方がいいですね、

              女医さんが多くなる昨近、、、医師は

             「医師になれたということに負けないで、、、
                     客観視した社会通念に忠告して、、」

               しっかり自己管理をする時間を確保しないと、、、」


             周りの人々は、、、決して、、、
              医師の為の補佐はしてくれないという時代に入ったという事を自覚して

              死にゆく日までの、、、自己管理で、、、
             世の中が、、 ○○太った、、家畜として、、、捕獲して気付かせないという

           したたかな時代が来てしまったという事を、、知らないと、、、

          親が、、全人生をかけて「私立大学の医学部を卒業させても、、、」

            50歳になっても、、、結婚もしない、、、車も無い、、、家も無い、、

           「仕事だけが女房だと、、、」、、、医者バカになってしまっては

            本理、、子供の頃目指した医師の仕事と、、人間としての完成が

            出来ないという、、、偏差値40代の、、、スマホやITを駆使する

            人生そのものを詐欺捕られる危険な世の中が
            まじかに来ている事だけは感じますね。
                
          我が家は、、父、、兄。。弟、、、ムスコ、、、甥っ子、、、ダンナさんと

          結束すれば、、病院を産むことが出来たほど の親族に医師が居るのに

           父の残した施設まで無くなって、、、皆ばらばらに、、、

             国の家畜のように、、、余分な藁は、、食べようとしない、、、

           中は良いが、、医学の話以外は出来ない人たち。

           結束して起業スルトいうスキルをもっと人は見当たらない。

          国の一市民んで、、ちょっとばかり月給が高いというだけで

           時給は3000円ぐらいではなかろうかと思うほど、、、

            ひねもす仕事屋医学の事や学会に集積しながら

           生きがいに向かって、、、家族は仲間のスタッフという、、、

           家内の立場からは何もデキナイ、、、何も受け付けない、、、

            ライオンのオスのように、、、
           雄同士、、群れて、、、力を合わせようとはしないから不思議、、?

        起業を出来るスキルは無いのか?
                興味の対照に無いのか?

                 仕事が愛妻であることだけは、、、
                   結婚してみればわかる。

                 女房なんて、、
               家に閉じ込めて、、、
            管理人になってくれればよいのだろうとしか、、思えない、

            一生仕事が有れば、、、自分が無いのだということにも、、、

              気が付くタイプの人ではなさそうだ。   

              もったいない、、、ね^^^思うけど、、、 

             定年は要らないと思っている集団なのかもしれない;

              

       単身赴任だというので、、、内心、、、やっと、、
         時間のデタラメに回る生活から
               解放されると、、、ホッとしていたのに、、、

          2年もたたないうちに、、、札幌に舞い戻って来た。

          単身赴任という、、、女房にとったら、、、ゴールデン休日!。


         正社員として復帰していたのに、、、、
            たった2年で、、、もとの主婦に戻ったのが

                 残念ですね。

               

         息子達の高校と、大学受験の重なっていた年だった。

        父親が帰ってくると、、、
         毎日毎日ゲームに漬かっていた生活は一変して

            二人とも、、ニワカニ受験勉強を始めて、、、

              第一志望校に進学できたのでした。

              

          単身赴任から、、、旦那が帰って来て、、、正社員は無理、、、

         結局元の主婦に戻りながらも

         近所の病院で、薬剤師をしながら、、、5時には帰るという生活になった。

          主人が家族と合流するためには、、、医局に来た札幌の求人なら

         自分では選ぶという事のないまま、、、医局人事で、

           個人の新設した病院に勤務するようになった。
                    

           出来たばかりのホヤホヤ、、、個人病院だった。
          

             あたりは、、工場跡の原野であり

               この病院が、、だんだん発展しても、、、

                土地はふんだんにあるという

         未来を見つめての就職だった。

            学生の頃を振り替えると、、、

          昭和38年ごろ、、、札幌がどこの有るかも知らないで

             東京の受験場で、、、北海道大学の医学部を受験したという。

           名古屋市立大学、、、慶応大学、、、北海道大学と合格して

          東京大学の農学部に進学し合同級生に相談したそうである。

         その友人は、、迷わず、、「北大が、、君には向いていると思う!」

          強く言い切ったそうです。

           主人は、北大がどこにあるかも調べないで

             蛍雪時代の写真んで、漠然と,、あこがれていたというぐらいで

          イザ、、合格してみると、、、青函連絡船に乗って、、、北へ北へ、、と

         札幌、、、という、、、ひなびた田舎の駅に着いたという。

        舗装されている道らは少なく。

          農耕馬のようなスタイルの馬が、、、

             馬車とは、、言い難い乗り物を曳いて、、、

               パカパカと、、歩いていたそうです。

             馬糞風が、、、藁の匂いを、、漂わせていたそうです。

         そのころの、、、古い衣服や、、、旧い教科書やら、、、
                物置に  しまってあるのだけど

        「 断捨離」できなくて、、、
                  又、、
              物置に戻してしまいました。
             

          アチコチに書き込んである、、、授業の痕跡は

         医師にならんとして、、、
                

                故郷を離れた、、
                   、青白きインテリの少年が

         未来は、、戦後の貧乏から脱出できると、、、

             これらの本にかじりついた跡の書き込みで、、、

                古本屋も、、引き取らないだろう。。

            

         かといって、、、断捨離で捨てるには、、、本人の手によらねば

          家内の私の範疇の外の、、、

               思い出の詰まったものであろううよ。。。。・

           80歳前に、、、何十年も使っていないものから、、、
        見境なく処分ンを始めたばかりである。

        生きているうちに、、、片づけねば、、、孫子にとったら

         「欲も、、こんなに、、、お金にもならないガラクタを、、、

            大事にとっておいた理由が解らん、、、?!!

               。。というばかりで

        今の子供は、、パソコンンで、、
              ワンクリックで、、お片付けの時代です。

         でも、、、こんな爺ちゃん婆ちゃんが、、、
                堅実に生きてきたから、、、

      日本は戦後の廃墟の中から、、、
                     立ち上がれたのだから、、、

           それから、、、令和になって、、、本当に、、腹がたったことがあります

            
              

           年寄り騙して、、おれおれ詐欺や、、、

            堅実に一生かかった、、、
              汗の結晶のような

            老後のお金を、、
                、詐欺捕るなんて、、、


               敗戦で自信を無くした
                 日本中の指導者が、、、
                   若者を教育できなくなってしまったと言えそうな、、、

                    恥も、、外聞も無い、、、

                しかも、、、外国から携帯で操作するなんて、、、

             誇り高かった日本男子のすることではないと思いますよ。

                      

      質素倹約で、老後に備えた、、、
        生きる為の燃料のような、、、老後資金を

             事もあろうに、、、
               外国に陣取って、、、
                  司令していたなんて、、、

               日本の国民は、、特に御歳寄りは、、、だいじにしないと

              日本が日本らしく生きる知恵が、、、
              未来に伝わらないですね。
                  
         「御老人は」、、、語らない。。。

                  でも、、
         歳よりは老後の生活がが不安なのです

          そのような人を詐欺でだまして、、

              日本男児は何処に行った。

        特攻隊で、、御国の為と言われて、、空に散った我が子の

           面影のような、、、若者が、、、あの手この手で、、、

             こまっていることを伝えてくれば、、、

         騙されそうになりますよね。


          しっかりしなくては、、、
       日本の若者を世界が
      軽蔑するようになるでしょうね。

      次の時代が来た時、、、
      まじめな若者が迷惑するから、、、

          自主的に、、、日本男児であることを誇りに思い

          男のプライドをとりもどせるのは、、、、、

          若者よ、、君たちなんだから、、、ね。!


                 

           みっともなさすぎるから、、、老女を狙うのは、、
           最低だと、、思ってください

           君たちを産まねば良かった。

        日本男児として、、、詐欺はみっともなさすぎるから、、、まじめに、、働いてください。

            
       

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