花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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北海道野、秋は短く、、、冬は「かけ足」でやってくる

2023年09月22日 | 日記
  9月21日、、、庭の草を抜いて、、、
   通路に向かってくる枝と

     下草に日光を遮る為の「兵隊さんの枝を

       冬は要らないからと、、、切ってゆく。

早朝5時から11時まで、、、汗だくになる仕事は、、、健康にも良い。

 首に「タオルに蒔いた保冷剤」をネッカチーフのように輪ゴムで止めて

  野球帽の中に「ネットのポケット」を造り

    後ろ頭の2つのポッケにも、、、保冷剤をいれると

       早朝の5時は、、ひんやりと寒い。

   長靴に「虫よけスプレイを撒いて、

   ポッケの4個ついたベストにも、、、保冷剤を入れる。

  ビニール手袋をして、、、もう一枚、、軍手をする。

      その上から、、ビニール手袋をして

          花ばさみを腰にセットして、、、

             お気に入りの、「ミニサイズののこぎり」を持って、、、

            庭に出る。
          
   早朝の空は、、、どんよりとして、、、
        昼過ぎには、、、雨が降るかもしれない。

  昨日までのどしゃ降りで、、、
    雑草が、、面白いように抜ける。

           

      50年の北海道の暮らしに、、、
  友人であり、家族であった、、庭の植物は

   北大植物園の園長先生だった方が

       ダンナさんの同窓生であったという
           ラッキーなめぐりあわせで

   1人ぼっちの、、札幌生活の頃は、、、

   植物園に立ちよっては、、、
            帰りに買い物をして

    北海道の植物、、等、、園長先生の本で、、、
       北方の木々や雑草に
   「こんにちわ!、、楡木さん!、、、こんにちわ!、、ヒマラヤスギさん!」

   植物園の灌木の岩山の通りは、、、地面の下に、、、
   セントラルヒーティング、、並みの

   温度調節が入っているんですってね!。。。

   いろいろなお話を聴きながら、、、

    延齢草を研究している時期だったためなのか。。。?

    春先には、、、柵で囲まれた小道には、、、

      真っ白な延齢草が群集していましたね。
             
    この延齢草は、、園芸種が混ざったのか、、、
     もとは野生の花だったのですが、
     このあたりは
        蝶々が飛んでくるので、、、
          見事なレディの花に
            変身した延齢草です。

   40歳の頃、、薬剤師に復帰するために、、、
    新しく発展した「免疫学」や、「体内動態」の講義や
     新人類に戦後変身した次世代には
        撲滅してしまうのではないかと思った

           「漢方学の湯液」のややこしさに

     時代は、日本の漢方臨床を絶やすものかと、、、時代に対抗するように

   「ツムラから、、、漢方薬のエキス剤が出ました。」

   西洋医学の医師の先生方も

    「葛根湯」19番、、23番、、、29番、、、などなど、、、

    湯液の手間暇の要らない、、
    インスタント湯液?に代わる

        「エキス剤」が、、袋を鋏で切り取れば、、、(手でも切れますが)

     くしゃみ鼻水,、、はい!!19番!!

     開業医さんの,、漢方エキス剤は、、、

     日本の巣垂れかかった湯液を復活させたようですね。

     くしゃみ、、、鼻水、、、19番、
     肩こり、、風邪の初期には,、、知る人ぞ知る、、、「肩こり葛根湯!」

     

      

   日本の漢方薬を
、、西洋医学の医師の先生方が、、
       気楽に
      「処方箋を書いてくれる時代」になったころ、、、

   北大の生薬学の先生方も、、、エキス剤の世界に

    研究テーマを、、

   、流通や経済と両立する「日本の漢方剤」に

   人生のハンドルを、、、大きくきって、、、

        漢方の世界は、、まさに、、、小太郎や、ツムラや、、、

          エキス剤で、、ややこしい湯液の名前が、、

            百人一首並みの常識となるほどの普及でしたね!!(^^

    使うのは簡単ですが、、、エキス剤の開発は、、、タイヘンなご苦労だと感じて
       本社の工場まで、、見学に行きました。

        こうして、、、中国が出発点の漢方薬は
           本家の中国でも、、上海の薬店では、、引っ張りだこの人気だったのが
              1990年代だったから、、、

          今から30年以上前のことですね。



    生薬学や、、植物学や、、生薬科学を習わないまま

    臨床効果によって、、
    研究者の10年分より、、手際薬,、漢方薬を選んでいるという
     理屈抜きの臨床効果は、、、発表してくださる時代だったので、

     漢方の臨床という、医師と薬剤師半々の例会に、参加させえ戴いていましたね。

     例えば、、ダンナさんンも外科医ですので、、大学から、民間病院に移動命令があって

    函館の国立病院から。心臓外科医として勤務していましたが
      50前後の移動で、無給医局員の時代に研究した消化器外科も
       乳がんの温存手術も、、、甲状腺がんの切除など
     北大の外科の先生方の主意範囲のひろさには、驚かされるのでしたが

     胃腸の手術も、チームで手術をしていたようですが

      そのころ、、、家に帰ってきても、、いろいろと、漢方薬の事を話していました。

    その中でも、、、お腹の手術をした後に腸の通過がいまいちで
      お腹が張った感じで、、、腹が痛い、、と訴える患者さんに

      同僚のK先生が、「ツムラの100番が
         ともかく、、、臨床効果があるんですから、、、
        治療の効果があるんですよ、、、と

      チームで、手術を管理をしながら、、、

       外科医の先生が、、、
      漢方をセレクトしているのには
        啓蒙されましたね。

       K,先生は、、ツムラの漢方雑誌に、、、
            100番が 開腹手術の後の
          腸の 状態がいまいちの時に効果が在った症例を

             イレウスが、、、どうだとか、、、こうだとか
              医学用語で掲載されていましたね。

              臨床の事は薬剤師はワカラナイことが多いので、、、
              詳しくは描写する力がありませんので、、、あしからず。

            大建中湯を臨床効果の一例として 文章にされていたのを、、、

              薬剤師としても、現役の時だったので

                   熟読しましたね。

       
ツムラ100番の大建中湯は
         薬剤師なら、、知らない人を探すのは、、、むつかしいでしょうね

           日本薬局方のニンジン(高麗ニンジンのこと)
           カンキョウ
           日本薬局方の山椒

    Nippon漢方は、まさに、、新時代を迎えて、、、

      湯液の手間暇から、エキス剤にしたという事は

        まさに、、、日本漢方の「突然生まれた、、、
     ホームランをカットばしたような

    すたれかかっていた、、、と思える、、、湯液や、古典漢方、、、

    漢方生薬の見直し研究が、、、ドクターの間で、盛り上がり

    生薬学の基礎の研究や植物の含有物質などの研究は製薬会社が説明して
     臨床効果を主軸の発表は、「東洋医学会」で かなりの数の先生方が
    漢方をなさる時代が、、、昭和の終わりの頃でしたね、、、

   「 傷寒論」という、、漢方薬を使うときの虎の巻が在りますが

    薬剤師の先生方は、、、専門分野なので、、、一冊を暗記して居らっしゃるような
    漢方薬局経営の先輩方もお目にかかていますが

    Dr.は、自分の専門に関係ある漢方薬をセレクトして

    深く知識を求めていらっしゃったのを思い出します。

    ある先生から「タンニンについて、、、知りたいのだが、、、」

     申し付かりました、、OKですよ。

    もともとは、、外科医の先生でしたので
     失礼ではないと思えるような
       薬学の基本の抜粋を10パージほどのノートに書いて
         差し上げました。同じ勉強会のメンバーだったので。

     タンニンと言っても、、、セレクトしたものを20種ほどしか書かなかったのですが

     「君~~~!タンニンというのは、、、こんなにあるのかね!?」

  先生は、御茶に入っているのが、、、タンニン、、、というような観点だったとおっしゃいました。

    昭和の40年代は、、、タンニンと言えば
      西岡先生、、、だったかな?
     上田先生らと、西岡先生、、、滝戸先生,、、信州での生薬学会の
     登山で、、ご一緒しましたが、、、
      100種類ほどのタンニンのことについて、、話されていましたね。

     滝戸先生は、、、咲いていた山野草を説明しながら、、、

    「女郎花だ、、、!」とにこにこされて、、、 空気が美味いね!!とおっしゃられていました。

    東大時代の研究生活の生なのでしょう、、空気が美味いと感じられるのは
    実験室の生活がきっと、、長かったのでしょうね。

     帰りに、、日大の、植物園に立ち寄りました。

    「オウギ(植物の名前)」の研究をされていた事もあり

     国際学会参加の想い出になるだろう、、、

    母校のオウギを植えてみたら、、、と、、

    小さな苗をくださいました。

     卒業して、、、40歳で復帰する時
     北大の聴講生に2年間在籍して
      「ヤクザイシ会会員、、北大聴講性の学生証」で参加できる学会が

     韓国にも、中国にも、、フランスにも、、イギリスにも有りましたので

    月給の大半は、、復帰壱年目で、、20年ぶりの薬学科の展望を
    海外から、、見つめてみて、、、後は、、地味な

     薬局の立ち仕事、、、ひどい時は、、、月に290時間という
      過剰勤務の時代でしたね。

    薬剤師が足りないという時代でしたね。
      今は、、、6年生になったから、、、今後はどうなるのか??

      80歳を目の前にして、、、
    これからの時代の生き残りは、、、

      男尊女卑に目くじら立てないで

      男子の体力任せに、、、仕事ができるように

      家庭を守り、、育児に、、ありったけの頭脳を駆使して

     時代を読み切り、、、
    ITに奪われない仕事が出来るように

     ただ、、大学に行けば良いというものではない時代が来そうですね。

    教科書の近視型の秀才は、、、ITに取って代わられるから

     ある程度身体を鍛えて、、、文武両道の必要とされるスキルを身に付けないと

     男尊女卑で、、、最悪の日本の戦後のような時代の中で

      女性の武器は「子供が産める,、、特技」で、、、
      多くの女性は生きてきた。

     少子化の、、時代、、、

      女医さんが多くなる昨近、、、

      独身>離婚?、、キャリアウーマンの宿命のシングルママ>、、、

      表層雪崩のように、、受け取る金額で税金がかけられてくるから

      医師の力を70才80才まで維持するのは、、、

      私立医科大学に入りなおすぐらい、、、

      医師としての学問の位置の客観性を保つのは、

      多くの、、認定や、、、留学や、、、海外学会参加や

      論文の数や、、、大学都の人的なつながりの維持に

      女性から観ると、、、気絶者の、、、膨大なサポートが

     金銭的にも、、、家庭的にも、、、子育て的にも必要だと推測できる。

     政府の、、実学には程遠い、、偉い方がたは、、、

     国のサポートのすごさを自覚しないまま,、、頂点の仕事をこなせるから
     日本は、、板子壱枚下地獄でも、、、何とか浮かんでいる。

     来世は、、婆ちゃんははもう、、居ない。

     くだらないバババちゃんの日記の中には

       ありのままの昭和の人生が垣間見れるはず。

      戦争にならない日本を、、どうして維持してゆけば良いのか?

     商魂と幼さと、、一本気の、、、

     12歳だったころの、、、過去の日本の様な国が、、、ヨイショされて

     何処に向かって行くのか?

      大国の、、、案山子になって、、カラスを追っ払うだけなのか?

     その国が儲かっているように見えて、、、

     案山子に備えられる弁当は、、、喰えない。

    Nipponの社会だって、、、表にはトップに見えている人は

     一旦現金が支給されても、、そのままどこかに飛んでゆき

    受け取りの記録だけが残るから、、、
     税金を支払う役だけが廻ってきて、、、

     なんやかんやと、、つぎの段階で、、、イベント参加費などとなって

     税金では控除されないノルマに近い組み込まれて人脈維持にも傍からは見える会に

     30個も参加して、、、参加費と会費と、、二次会と、、それに伴う親睦会などで

    男の人脈は繋がってゆくように見えた。

    国会議員さんお様に、、行動費用は出ないが

   人生充実参加費みたいな気持ちで、自分から、、おどらにゃ,、そんそん~~~

    好きで踊わすれない、、100までの性格が、、仕事バカの生き残り組には
    必要なのかもしれませんね。


    たくさん貰えた時期もあったけど、、、

     北海道知事さんから、、、税金にご理解いただき感謝しますという

     封書の中は「感謝状でしたね」

     息子にはピューマのじゃじが買えなくて、、、

      こんなに戴いているのに、、、教育費と、、食費と、、、

      ローン地獄でしたね。
     70歳になってやっとローンを返済しましたが

      ローンを返したという実績で、、、

     一度返したローンを再び借りて、、、

    行動費用にして、、、日進月歩の医学の世界についてゆく為の
     海外研修などに、、参加しながら、、、

      男の妻は「仕事」だという、、、昭和の戦後の復興期を走り切った
       Nippon人口10パーセントの、、、80代になった

      男たちを、、男尊女卑だと妬ましく思いながらも。

       女性の私にはとてもできない事だけはワカリマスネ。

       女性は「子供を守らねばなりません。」

     護るもの蛙あっては戦えないのが、、男の仕事だと、、、思いましたね。

     戦後の日本は、、大きなブラックホールだっただけに、、、

    日本男児のひたむきな一生懸命が、、、復興の土台を造ったと思いますね。

    新人類の、、、
    老人詐欺したお金で
      生きれるような
        日本男児では、、

   日本の復興は出来なかったでしょうね。
      

    しっかり根性すえて日本男児は、、、生涯勉強を続けてください。

     金持ちの人々を税金で、行動できないようにすることは
     一見、、平等に見えて、、、

      ガチョウの腹を切り裂いて、、卵を取り出し

      文句尾いう人にばらまくようなものかもしれません。

     金持ちには、、喜んでお金を使う習性があるはずだから

     金持ちになったような人の、、、ビジョンを理解して

     リーダーになって、、ビジョンに沿った社会を造ってみる事の方が

     税金より、、啓蒙されるアイデアが、、目に見えてきて

      国はそれを手本にして国家の事業を起こせば
       世界の水準を超えて仕事になり

      経済が廻ってゆくと思いませんか?

        男尊女卑で、、女性の意見を封じ込めた日本は

       実学にたけた、、女性たちの、見えない気働きの報酬は 無いのですよね。

       その、、女性たちの気働きの上に、、胡坐をかいて、、、閉じ込めて

       無料の家政婦にするのが昭和の庶民の、、、島国を出れない発想で終ってしまう 

       大半の家庭の在り方だった様な気がしてますね。

     産休で、、ダンナさんに、、下手な手伝いされたら、、、

       子供が病気にかかりやすくなるかもしれません。

          男の仕事は、、、家事に関しては、、、

          洗ってくれた食器は、、洗い直しが必用なのが

        昭和の普通の家庭の、、、新聞ばかり、TVばかりの

        男たちの家事の実力だった様な、、昭和の時代ですね。

        家事を、、一段低く観ているから、、、

         プロの仕事が出来ないので、、、邪魔ですよね。。。本当に、、、

          世話が焼けるのが、、、昭和10年代生まれの、、男たちのの家事手伝いですね

         

     

   漢方学の話が、、それてしまいましたね、、(^^!!

      漢方学の勉強会のメンバーで

  、もう、、とっくにお亡くなりになられた、、
         お年寄りの、、
       外科医がいらっしゃいました。

   薬学生というのは、、、
     漠然と、、医師に言われた薬品を、、、
            黙ってこねているのだと、、思うでしょう??

     例えば、、ツムラの100番は「大建中湯」という、、湯液のエキス剤ですが
     人参,、、
      庭の∻~参照の木∻~♬で知られる、、山椒、、、
    ショウガには,,、カンキョウ、、、と
            ショウキョウ、、、、と使いわけますが

       カンキョウを使っていますね、、、

       何故???手術の痕の腸のトラブルに効果があるのかは・・・

          なかなか難し良い研究と、、、臨床のデーターが必要になってきます。

      本気で取り組んだら、、、タイヘンな時間を要するでしょうね。

        製薬会社が、、
        薬剤師を雇用して、
           研究部門んで、、
            取り組んでいるで部門でしたからね。

    そんなこんなを、、、、考えていると、、、

          解りやすくて有名すぎる、、、漢方薬に

       誰でも知っている様な、、、「ツムラの7番」、、、八味地黄丸、、

       TVでは、、奈良の八味地黄丸、、、コマーシャルしていますよね、、、
        あれは錠剤ですよね、、、

ツムラは、、小太郎は、、エキス剤ですよね。
       この中には、

         地黄、
         茯苓
            ,山茱萸、
              牡丹皮、
                     山薬、
                     桂皮、
                           沢瀉,、、
                         附子(修治してあるもの}

      8種類の生薬がショウホウされていて、、、
      インスタントラーメンのスープのように
      一袋のエキス剤になって、、、
        袋を破けば、、、OK,,という
   
         日本の、、、、       「  エキス剤、、、、」

     薬剤師側からは、、、魔法のようなお薬だと思いましたね。

            昭和時代の、、漢方の世界が、、、形を変えて、、、リバイバルでしたね!

      本家本元の「湯液の八味地黄丸をつくるのは、、、たいへんなのです。」

     地黄だって、、、8種類の仕上がりの中から、、、再度セレクトして選びます。
     茯苓、、、?聞いたことが無いって?、、、
         薬剤師が、、
           茯苓知らなかったら、、、
                     もぐりです。
     山茱萸、、、言わずと知れた、、
           「不老長寿の民間信仰のある植物」ですよね

           「ひえつき節」で有名な、、

        庭の山椒の木∼~~~♪,の歌の
            元歌は、、、「山椒の木」ではなくて、、

          「山茱萸の木~~♬」だったとか??

            サンシュユと読みますよね。

           山茱萸の木は
          日本古来の木ではなくて、、
       、外来種が根付いたという

          

        継子でもあり、、、

      山椒の木のように、、
         あっちにも、、こっちにも有って
           皆知っている木で、、、
             美しい、、、蝶々たちが飛んでくるので、、、

           いつの間にか、、「庭の山椒の木∻~~♪」となったと、、、

           宮崎県の旅行の時、、

          古い食堂のオッサンが、、教えてくれました。

           民間漢薬のツウでしたね。

           薬剤師だとは一切言わないで、、、

            ひたすら、、聴き役で、、食事を次から次へと頼みながら
            授業料だと思って、、、飲み物も頼みましたね。
           「おっさんも、、、立て板に水のような知識でしたね。」
            街にも遠いここでは、、、山で積んだ薬草が、、頼りだと。」

          「グミ」に似ているが、、、グミでは無い!!」

          九州地方に中国人が昔、、、もってきたのですかね^^??

          春には黄色の花が咲き、、、秋にはグミのような実が美味しい!!

          八味地黄丸の、、、主役のような、、、
        病院で言えばDr。かな?
          腎機能、、、あちらのお楽しみ、、、歳とっても、、汗出るよ、、、!」
   、、むしろ、、薬学的に表現すれば
      「滋養、強壮、眩暈、、耳鳴り、、夜尿,、、などなどの時に民間薬として使っているようでしたね。

   薬用酒もつくっていて、、、「若さの秘訣だ!!」

    自慢していましたね。

      遠い遠い、、、卒業旅行に行けなかった日の思い出が

       初めて、、、、勤務が始まるまでの間の、、、

         阿蘇山から、、、宮崎,、、、、、鬼の洗濯板、、、
       一人旅の、、切なさの中で出逢った、、

            、民間薬通の、、オッサンでしたね!

     ともかく、、旅に出ても、、、
          神社の狛犬の倉庫で寝たり

    地元民の親切心に甘えてしまって、、、
         若気の至らなさに乗っかって、、、
             民家に4千円で、、₂2泊したり
                お寺さんに頼んで泊めてもらったり、、、

      地元バスに乗って、、、バスの中で聴いたところに行ってみたり

     「民間薬」を求めての旅は、、
         人生の退屈な主婦の単純労働の毎日が、、、待ってる日本の女性。

     早く、、仕事を終えて、、

       植物の本を読みたいという、、、心の隠れ家。

     自分の世界で、、楽しい人生かも知れなかったですね。

     花は、、、未来の子孫を残そうと
      花粉を運ぶ腸や蜂や鳥たちに

        麗しくも、、、香しい、、、花弁の中に
         招き入れて

       美味しいはちみつの元になるという、、、、「蜜を捧げる。

     スゴイ技ですよね。

          横道にばかりそれてしまう日記を
              まともに書けるようになるためには

         自らの努力は心の修行だけかもしれない。

         話は、、もとの軌道に戻り、、、八味地黄丸のことですが。

    多分、、時間貧乏なDrは、
       個々の生薬植物の特性には
           時間をつぶしている暇はないと思いますが

      出来上がった「八味地黄丸」、
       臨床データーは多岐にわたって
          症状によって使いわけられて、
             患者さんには、、どのように効果があって
                どのような副作用が在ったか、、、という、

     実学におけるデーターは、解剖学も確かな医師の先生方の症例報告から

       人間においては、、、

     ドクターの報告を聴きに行って、、

     、ウサギや,、カエルや、、
      ラットや、、マウスの、実験動物のデーターと
      突き合わせて、、、
      成分の薬効の推測をしながら。

      昭和40年ごろは

     その作用があるのなら、、、
        こういう実験をすれば、、
          、関連性が判るという事を
     片っ端から実験するのが仕事だった時代です。

     当時は実験動物として、、、飼育を許されていた保健所からの犬など

     飼手が居ない、、可哀想な犬を実験室で飼っていましたね。

     マウスには、、、がん細胞を移植して、、、
      ガンを発生している状態の所に
     化学療法で薬剤を投与して、、、
      がん細胞が縮小するかどうか、、、?

     本来は,薬剤師は「実験屋」さんかも知れないと
               思った時代もありました。

     薬品にヨウ素の同位元素をくっつけて、、、
         シンチグラムで同位元素を追跡して

    その臓器を切り取って、10倍から~~~、、、一万倍までの希釈した検体の、
        機器分析とか?

    民間で思っている薬剤師の姿は
    薬局のおばさん先生で、、
     、街のインテリおばさん知恵袋みたいな時代でしたね。

      昭和42年ごろですが、、、
       独身でキャリアウーマンが男尊女卑の少ないのは
        女医、薬剤師、学校の先生、、、看護婦さん、、、美容師さん、、、等、、

    日本の世界でもビリの「男女同権、、度合!」

       昭和時代の戦後は、、、家庭でも,、
       普通の家庭では
      相続できるのは長男だけという時代でしたね、
    国自体が、、、富士山芸者の歴史を誇っていた時代ですからね、、、
           
   
         
      戦中戦後の女の子は、、家の道具だったようでしたね。

      私は、、草花に逃げたのではないのです。

         時には「薬」は、、「毒」にもなるし

       栽培すれば、、、一輪の花の中に、、、
       進化の歴史を見せてくれるし、、、

       昆虫を呼び寄せる巧みな進化には、、、
       人間以上の努力のたまものを感じるのですね。
         
    薬剤師と生薬、、、
         植物、、、
           植物の薬効薬理、、、

            植物とともに生きた「民間薬」


     戦後、、団塊の世代がまっさらな頭で、、、
           日本の戦後を塗りなおしてきた。

     薬学の世界も、、「遺伝子工学」「放射化学」「免疫学」「顕微鏡も電子」

     パソコン、、電子カルテ、、、 


       画素について、、、
     高分子化学,、、等、、
       多岐にわたる実学が必要とされる時代になり

     6年生になりましたね。

      親は大変ですね^^~~~~~!!
      学費に追われて、、、悲鳴を挙げている。、

      全財産無くなっても、、、

      必要とされる腕をつければ
      学ばせてやりたいという事が、、、
         大學を卒業させねば…となりましたね。

      人間社会は、、
       金(かね)は天下の回り物、、、

        金がないのが、、、首のないのと同じと言われて、、、
        輝いている集団には入れない。

      漢方薬ツムラ、、、小太郎、、、カネボウ、、、etc.

   昭和の時代の一般市民とともに、
      地域貢献してきた
           薬学事情の、、、思いつきを、、
                     日記に残しておき、、、後で

     思い出アルバムでも...整理するかな。
        

            
        

             
     昭和時代の後半は、、、学会と言う
        一般からは、、、なかなか参加できない勉強会に
      地域医療で、地域貢献型のDr、が、

     臨床医の学会を広めてゆかれました。

      漢方に関心のある、、薬剤師も、、看護師さんも、、、
       学会場に来ておりました。
           

昭和40年を過ぎて、、、


   西洋医学の薬と、、、チャンポンに使うDr.らが

   「東洋医学会:という、、、臨床医のデーターで、、論文を書くという、、、

   全く、、、今までとは、、切り口の違う学会が、、動き始めていた。

    日大の薬学の先生で、、、正倉院の薬物を、、お歴々の教授の先生方と助手さんらで

    事細かに研究して、、、スゴ∻~~~い!!写真入りの大判の本を出されて、

   薬学生の専門科になろうとする私たちは、、、

   本家本元の、、中国伝来の生薬学に、、せめて学生時代だけでもと、、、のめり込んだものでした。

    鑑真和尚が、、、度重なる嵐を乗り越えて、日本委持ってこられて

      当時は、、、やんごとなきお方だけが、、、使用できる薬品であったという事は

    歴史を学ぶのと似ている、、、面白さが⒮りましたね。

    後の世には徳川家康の生薬、、薬品、、薬物の造詣の深さは、、、

      TVでも、、、一般の知る所ですよね。

      家康の御薬園が、、小石川の植物園だって、、、東大の先生が言っていましたよ。

   今はNHKで、、、牧野博士の物語を放送していますね。

       牧野博士の植物は 一般の人の間でも、、、知る人ぞ知る,「植物図鑑」!!

      昭和30年のころ、、、未だ、和歌山に疎開している頃
     医師だった父が、、植物が大好きで、、、持っていたのですよね、、、

        花畑や、薬草畑をつくって楽しんでいた父から、、、
       初めて、牧野博士の吊感を見せてもらったのが小学校のときでしたね。

      日大の生薬学の教授の授業が、植物の中でも

        漢方薬に使われる植物の、、、分類学が、、授業でしたね。

      似ている植物が多いでしょう!!、、、見分け方が
ミクロの段階ま,、分類できる授業でしたね。

         そのノートも、、、断捨離できないで、、、一部は残してあるんですよ。

    ほしいとウ...植物まにやがいるんでいるんですね。

    木村雄四郎先生という教授だったと、、記憶しているのですが「

     北里大学に、、、東洋医学会を発足させた先生方の一人だと記憶していますね。

   東大の教授もされていた木村雄四郎先生のお話は

      戦争中、東南アジアの現地を歩きながらの、、、患者さんに

       湯液を指導しながらの実践現場のお話は、、、楽しくて、、一日も休まず出席しましてね。

     そして、、時代は戦後の生薬を科学するという、、生薬化学の授業は
    のちに「生薬学会の会長になられた、、、滝戸先生が、、人気絶頂の授業をされて、、、!!」

    日大の生薬学の卒卵生は、、、多かったですね、、、

     滝戸先生は「食塩で出来たレンズ」4万円もするのだと言いながら、、、

      機器分析が始まった植物の研究現場を、、、見学挿してくれましたね。。

      日本の漢方学は、、、薬学と、医学がドッキングすると、、、

        研究者がどんどん出て来て、、、世界をリードするような

        薬が産まれると思いましたね。

       思い出話が長くなってしまいました、

           

      最高の、、我が家の薬膳は、、外科医のダンナの即興作品です。

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        外科医の漢方は、、、シンプル  イズ  ベスト!

  昭和時代の漢方医、、、の先生がたには

   京都方面の、、、細野診療所のように

     古典漢方にも、、、生薬知識にも、、、全ての面で

    臨床報告のお手本のような診療所も

   漢方に志す人は、、、知る人ぞ知るという、、、診療所でした。

     一冊2万円の処方集は 、、アルバイトで稼いだお金で、、、買いましたね。

      それと、、、荒木先生の、、「古方薬」の生薬漢方の本」

     学生時代から、、読みふけりましたね。

      東京に移住したとき、、近所に住んでいらっしゃったのですよね。

   一方,、、風邪や近所300メートルの、、健康家族の

      健康管理の先生の中には
    「葛根湯」が大好きな、、、
      「葛根湯先生」と愛称で呼ばれていた先生もいらっしゃいました。

  そのころ、、大学の恩師が、、「先ほどお話しした、、、滝戸道夫先生ですね。」

  学生の人気は、、すごかったですね!!。

    女子学生は、、授業の迫力に圧倒されて、、、

      生薬名を、、全部、、、ラテン語で覚えて、、授業についてゆきましたっけ、、、。  
  「日本生薬学会の会長をされていました。」

   生薬を求めて、、、登山に、、何回かご一緒させていただき

   韓国の、、済州島の山にも同行させていただきました。

     60人以上の韓国の薬学生や教授の先生方に囲まれて、、、 
    上田先生と書いて(あげた)先生と読む教授と

    韓国の合同国際学会が、、山中であり、、私も登山が好きなので、、参加しました。

    その時、、出逢った小さな花が、、忘れられませんね。

      燕尾センノウ,、、という、、、花です。

     心奪われましたね。




   先生は、東京大学の博士号を許されて、、、私にとっても母校の日大で

  「生薬化学」の講座の教授でもいらっしゃいました。

   夏休みの宿題は 山野草の中から

   「100種の薬草を採取して、、、標本にすることでした。」
  たった、、一言の「宿題テーマ」でしたが、、、

   三つ峠、、カラ、、、黒姫山まで、、、探索しましたね。

   その時「花筏の木に出逢ったときの感動」は忘れませんね。

   木にも、、苔にも、、、空中植物にも、、、
     果実にも、、、花にも、、種にも、、
       、「命の友」であると感じましたね。

  秋の到来の庭の剪定と,、草取りをしながら、、、

     走馬灯のように、、、山に行った、、楽しかった青春を思い出しましたね。

   ことしの北海道の夏は、、、本州並みに

      長く👈,、暑い、、、それも猛暑の36度という、、、札幌でした。

   短い夏は、、9月の終わりには、、雪虫が飛んでいましたので、、、

     10月までには、、、早急に冬の支度にとりかからないと、、、

    寒さが敵の北海道で、、、家の中で、、、投資することもありだと、、、緊張が走る。

  今朝は例年の夏のごとく、、、ひんやりとして、、

   秋がいきなり落ちてきました。

   雪囲いの始まりです。

         頑張らなくっちゃ!!、、、

       

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