花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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やっと、、どうにか、間に合った!!冬到来、、、の、、雪景色

2023年11月25日 | 日記
一期にかけぬけた、、、
70歳代も今年で終るという、、
        お正月がやってくる。

来年は80歳かと思うと、、、
さすがに、、、お正月を祝うのも、、、
             最後かもしれない。

         

ことしのグランプリは、、
 弟から贈られてきた、、、
    一生分の、、
          実家への法事の役割を終えた、

     他家に嫁いだ姉に、、家として、、別れてゆく、、、

           弟自身の、、思い出の心の花を

              自分の役割に徹した日々を振り返り

                無意識の中で、、
         、姉が来し方の、、感謝で送りたかったような、、

       イメージの花を、、、何にも、実家の為にはできなかった姉の来し方から

     弟は、、自分の頑張った、、、事に、、、サヨナラの花を送ったのかもしれない。

    姉の家に、、、感謝で、、ロウをねぎらって、、ココに飾らしてもらっている様な

       なぜか、、、弟の存在そのもので、、、私は、ライオンにかみ殺されずに済んだような

     百鬼夜行のこの世の安全地帯に発って居られたような気がしてくる。
  
   今まで実家の法事を、
       長男に代わって、
          手配して、
             私にも知らせてくれていた弟が

      我が家の実家から、、唯一、、社会貢献の、公人として

              官僚の人生戴き、、CTの開発、画像診断の第一人者を他者が認めていた。

    世の中で、、今は、、、生きていなければ、、日本が影響を受けるという方がたの

         画像を診断しながら、、、国際古流も果たしていた。

      ヨーロッバの学術界にもG''7の会のようなものがあるらしく

      出席した総合写真が、、 なんと,、、ど真ん中に、、弟が映っていた。

        患者として、、国立がんセンターに通院しているとき

             研究検診室長の部屋で、、足元の未整理のダンボールに

                文献やパンフレットと、置いてある荷が目についただkrですが、、

        大きな動きをして来たのだと思いましたね。


       団塊の世代があったから、、、日本緒戦後はここまで来れたのだと思いますね。

      スゴイエネルギーだったと、、、日本は、この年打の人々に

            体力さえサポートすれば、、、
      シニア世代になっても、学ぶ者の多いことが解る、、、日本のバイデンさんが居ると思いますね。

     一律に、
        定年制度は
          「団塊の世代の、、、
               復興組の人人には



   長男の家の、長男坊である甥っ子に、、「
      法事や、
        すべての、、「宝仙寺に関する事」を引き継いで

   実家の事は卒業するからと、、、
      奥さん側の故郷の県に、分家として

    実家を卒業していった。

      大学進学前の父の死は、、弟の人生は タイヘンだったと思いましたね。
     運よく、国立の医科大学に進学出来て、
       生前父が、、、父には珍しいほど、、、、
       表現を表情に出していた事は

         「近い将来、、、日本では、無かったような妙院が出来る。

          外科医として、、手術をしても、助からなかったがん患者が

              助かるようになるだろう!!」

          外科医の父は、、、大切な人が、、
       「がんで死んでゆく」には耐えられないものがあったという。

      これからできる築地のがんセンターは、、、
             
           診療と研究が

              一緒になった、、
                 かって、、
            「日本の病院には無かった機能の病院」が出来るのだ!!

           早期がん細胞が発見できるようになるだろう!!

     千葉大を卒業して、「出来たばかりに近かった、、、未来の病院の夢だったという

       研究と臨床が一緒になって

        早期がんが見つかれば、、、その段階で手術をすれば
           患者さんの命の5年、、10年、、医やまだまだ、、15年、20年と、

             生存率が上がってくる、、、!!
          父は医療が進んでくるのは、、外科医になった意味も出てくると
         興奮気味に話していた。

    終末期の医療に、、
        人生を終わる患者さんの、、
            痛みをとる事しか出来なかった時代に

             父は「外科医」だった。

    戦場の日本軍の駐留の地区の病院長として、、、はじめは銃後の御奉公だった。

     大陸の医師は「漢方医」で、外科手術は出来なかった時代である。

      当時は「宮内庁病院」として、
           宮さま方の健康を預かっていた
               慈恵会医大を卒業した父は

      戦争の真っただ中を活きる外科医になっていた。

    終戦で、疎開地に住むようになったのは

         電気のない疎開地に、、国家の仕事としての

           「ダムを造り、、電気を使えるようにして。

                戦後のアメリカ駐留軍の横行する中で

        「アメリカの教育を受け入れて、日本緒隅々まで

    「ラジオや、電蓄、、TVに、、電化製品、、諸々、、、のアメリカに

          追いつき、、追い越せの気運が、起きて来た時代に入ったのだろう。。。か?

     ともかく、、男達だけの、、工事現場が、疎開地から居時間もかからないようなところで

       ダムの資材を運ぶ虎kkが横行するようになった。

      南紀の山奥は、「タイヤの幅」しかなお山道が続き、、

        崖が片側に、、一までも続き、、、くねくねと迂回して

           車がすれ違うのは、、タイヘンであった。

        道幅の傍の林の部分で、広くなってるところまでバックして

           がけ下に落っことそうになりながらすれ違うという

        カルワザ運転で、子供の私が観ていても

       マン〇になった眼が、、、瞬きを忘れて、、

       握り拳をして、、、川から、、尾地さんたちの運転を見ていたものであった。

       血tの診療所には、、アチコチ怪我した人が運び込まれてきていた。

     崖かラ、、、トラックごとまくれ落ちたという、、怪我人が

        短歌で運ばれてきた。

        田舎の診療所は、、ガラス張りのとっきゅ場を改造して、機械棚や、

         手術ベッド、、消毒用のオーートクレーブに似た金属のピカピカ光る

           ドラム缶のような筒型の設備や、

             とってつけた様な頭上には

                 大きな電気が付くようになっていた。

          診療所や役場、、、隣接する村までは「電気が来ていた。」

       そこに運ぶこまれた患者さんの姿を見て、、、

          私は、、泣きだしそうになった。

           とまみれの頭から、頭骸骨が見えているのだった。
        だ実の若い衆なのだろう、、、か?

       多くの怪我人が運び込まれるのに、、結構見慣れていたはずの私も

       腰が抜けそうになるほど,、、立てなくなった。

       頭の皮がはがれて、、顔の前の方に垂れ下がって、、、

          づ骸骨が見えている、、、、。

          手術場の井らのガラス戸に鼻を押し合立て、、、

          湯気で真っ白になっている手術場を、外から見ていた。

         死と医カーテンで、、さえぎられてしまったので

         父はどのような手術をしたのか、、、見損なってしまいましたが

         一か月もすると、

        患者さんの顔は、、、全治していた。

        父は言った。

          若い人だから、、、治ったときに、、顔に傷が出来ない様に

              皮膚の裏側から、丁寧にムって言ったそうである、

          縫い合わさった傷口は、表から整えながら

            消毒して、、圧搾できる「バンソコウ」のような「テープ」で

          クズ口がはがれてしまわない様に、、表からはテープで留めたそうである。


        患者さんはその後も定期的に来院していたが、、、

         よく見ないと、創があるのがわからないような

           一本の線になって、、残っているだけで

        顔の前のはがれた頭の皮がぶら下がり、、、頭がい骨が見えていた姿は

       幻だったのだと、、、思えるようになり、、、

         「 あ、た。し、、、、」の中から、、、恐怖の記憶は消えていった。

         私は父は「神様のお手伝いに、、産まれてきた人」なのだと納得した。

          あの日は、、南紀と言えども、、、寒い日だった様な記憶がする。


       



          さてさて、、、70才最後の、、庭の雪囲い、、、

         朝の温かいうちから、、、モミジや落ち葉の葉を片づけて、、、

         背丈の低いツツジの間には、、、

        夏の間、、庭仕事に使ったり、、手洗いや、靴洗いの為に使った
              ペットボトルの十数本を。。。

         雪で枝折れしない様に、、、低木の間に置いて行き

         とうとう、、ぎりぎりで、、、今年も、庭の冬の準備が完了した。

        「医師をすること」だけしか、、、しない、、旦那さんは

         「、雪囲いが、初雪景色に間に合った!」、、、「見回って来たよ」と言った。

         地面井は雑菌が多いし、、、運が悪いと「破傷風菌」にだって感染の危険はある。

         竹だって、、不規則な尖ったところで怪我をすれば

        危険が一杯の庭仕事には、、、ダンナさんは指一本触れない。

         
         80歳を過ぎてからは、、
         「MRSA]だって、、若い人は、、死なないけど

           耐力のない老人は、、死んじゃうからね、、、」

         玄関で服を脱いで、、ウイルスや菌を僕松する滅菌スプレーで

         鞄もコートも、、帽子も,、シュ!シュ!して

         靴下は、ビニールに入れて風呂場のタイルに置いてゆく。

         少々、、コロナや、、インフルエンザに神経質である様だが、、、

           
         医師も、看護師さんも、、、
        黴菌やウイルスやバイキンの処理の仕方がわかっているから

          同居できるようなものの、、、
       
         医師が自宅に帰ってくることを考えると

          coronaの感染で、、、世論も、、

         医療従事者への見方が変ってくれましたね。

         ダンナさんは、、そういう訳で、、、

         私から見たら、、、近くに居たくない人なのですよね。

       
        そういう訳で、、医師の家というのは、、
        毎日掃除と、、滅菌と、、ウイルス退治と

           洗濯と洗い物で、、、一日中働いても時間が足りないのですよね。

       その忙しい、、時間麻合間に、、冬支度、、

         冬の来るのが、、けっこう怖い、、、55年間でしたね。

         北大を出て,、北海道に住みながら、、、

           雪掻きをしないで済んだ旦那さんは、、、

       男尊女卑の国だから、、、男が徳をしてますよね。
          北海道は、、除雪は女性がするのですから。

         冬が来るのが、、怖いのですよね、、、

             庭の草花は、、一緒に冬を超えようと、、闘う戦友なんですよ。

          この時期になると、、、和歌山に、、帰りたい、、、

             東京お実家は閉院してしまい、、、誰も東京には住んでいない。

           世代交代したようですね、、、、東京は。

             13歳から、、、24歳まで、、、11年間東京に住んでいましたが

             19歳の時、、父が亡くなってからは、、、

                皆東京を出てゆきましたね。

             80歳を目の前に、、、人生の冬がやって来そうですね。

            ダンナが居てくれる間は良いですが、、、

            息子が近くに住んでくれているだけでも、、、

              
                 北海道には、、、春が来ると、、待てますね。

              人間は、、晩年は、、皆、、寂しい冬に向かうのですね。

             80歳は、、未だ若いうちかもしれません。

            

                          

         

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