花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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昨日は春から冬に戻りながらも、、、雨!、今朝5時には、、またまた雪掻き!!春遠い

2024年02月16日 | 日記
札幌市の天気は???いよいよ、、、くるってきましたね!!

 道路がワダチで雪解け??
    違う、、違う、、、そのまま   氷のザラメ

砂を撒きながら昨日は歩いたのに、、、
        雨降って、、道は雪のぬかるみ、、、

  重くて雪掻きは休みました。、、
      どうせ、、融けるから、、、て!

   今朝5時おき、、、新聞配達のお兄さんご苦労様!!

        またまた、、、雪だね~~~~!!!

  「もうそろそろ、、、雪掻き、、勘弁してほしいね、、、!」

      早朝筋トレで、、、コーヒータイム!!

            部屋中のゴミ箱を集めて、、、本日は、、燃えるゴミの日。


   北海道の冬は、、雪掻きと、家事と、、洗濯と、
       、パソコンの日記を書く以外は、、、TV漬け!!


     55年前、、、故郷の東京に帰って、、、従兄や兄弟、、子供達で

            父の残した、、開業の医療施設を、、、病院にする計画でした。

           算術に走らない、、、東京の下町も、、、インド人が多くなってきて
              国際化に対応の、、、病院にして、、、

             兄と、兄の長男、、、我が家のダンナさんと息子、
          いとこのN医科大学講師は、、、いとこと結婚、目下兄の居候、、、
           老後を考えると、、、クリニックのままにしていたら、、、
           兄弟親戚は、、たべてゆけるのか?

          計算に走らない様にと「淡交会」と、、、御茶の会の名前の会を結成して、

           長男がリーダーだった。

        ダンナさんは、、、いずれ東京に帰るという約束で

           実家の方も、、、いずれ還ってくる日の為に
         庭は16台の車の止められる駐車場にして

        ビルに一階は、ダンナさん緒参入の為に
           テナントのように、、ガラス張りの空き室にして、、、待ていてくれた。

         結局は、、、だましたわけでは無かった。
        実家には帰ることも、合流する事も出来なかった。

        でも、、北海道に残って良かった!!!、、、

     もし故郷に帰って、、、家族親戚で病院を造っていたら、、、

          今頃は親戚一同、、、生活していけなかったかもしれない、、、
                 
                      
           故郷の、、、訛懐かし停車場の、、、
                  
                   人ごみの中に,、、そを,、聴きにゆく、、、



        、、検索で、、、東京の下町の、、、かって住んでいた実家の有ったタイヤ公園の近く!

     「万来軒」は、、、未だ、、🍜、、餃子、、美味しいかな?

       郵便局の前の,、、「揚げカツショップ」は、、未だあるかな?


             千葉街道の「薬局のおばさん」は、、、どうなったかな?

                 地図で、、航空写真で、、、故郷訪問したけれど、、、

                     帰らなくって良かった、、、!!

             


                 故郷に帰って、、、病院経営していたら、、、

                  今頃は、、、閉院する事も出来ずに、、、
                    ひどいことになっていたでしょうね、、、!!!


           父の開業していた周辺には、、、
                  医療施設の病院や医院が何十件も新規開業していて

              病院マークが重なって、、、地図の全体が、、、
                      病院だけのゾーンとなっていた。

          里帰りは、、母の葬式のときだけだったけど、、、

            故郷が、、、こんなに、、、医療施設だらけの街になっていたなんて、、、

              これからの、、ITの時代は、、、
                    医療機械が要らない時代に入るのだろうか?

          パソコンで開業できるのだろう、、、、か?

            この、、、膨大に膨らんだ医療ゾーンは

                開業資金が必要だと、、、
                     ありえないのではないかと思ってしまうのは
                              北海道に住んだ55年間が、、、

                   頭が、、、雪掻きにしか、、、つかわなかったから???

               私は、、時代から、、送れていたという事???

          それとも、、、オンライン開業の、、、診断医が増えたのだろうか?

            医師にかかる患者さんの中には、、
                  、服薬だけで大丈夫という人も多くなっているのだろうか?

          ともかく、治療の必要な総合病院が一つあれば、、
                   、周りで、治療の救急を要する患者さんの
                      診断さえ敏速にすれば、OKという時代が来たのだろうか??

             こんなに、、医療施設が一杯で、、、

               経済的にも成り立つのだろうか?、、、

                    

            故郷訪問は、、、急遽、、、他人の街に見えて来た。

                    

             医師のこんなに密集した街になるなんて、、

             もう、、、雪は味方だと思うしかありません。
                 
               

               雪があるから、、、
               程よく、、過密にならない街として

              生活が出来てゆけるゾーンとして
            程よいバランスのとれた、、、

            過密な競争にならない街になっているのかもしれませんね

                   

          表が有れば、、、裏がある、、、大変なことが有れば、、、過密にならない。

                  

             この年になって、、、モノは考えようで、、、ココが一番なのかもしれません。

             80歳を過ぎたら、、、「ありがとう、、、今まで無事で来れて、、、」

          「これからは、、、必要最低限のことしか出来ない日々が、、、

            逆に、、、安全に、暮らせるという事でしょう。

                   

          「雪掻き、、ご苦労さま、、、5月になったら、、

            あたたかな季節の中で、、本州の旅行にでもいくかい?」

                人生55年間、、、、
                 すれ違うから健康で居られたマイペースのダンナさん。

          13歳から東京の教育を受けて、、、、大学のあか抜けた友人たちと
                 軽井沢で、、合宿したり、、、駿河台のコーヒー喫茶を想い出したり

                  坂の途中に有ったロシア紅茶のお店、、、ジャムが入っていたっけ、、、

        「80過ぎてしまうと、、、家が一番よくなるから不思議ですね、、、」

             夫婦で旅行なんて、、、考えなくなりましたね。

                      乘り物乗り換えたり、、、手続あったり、、、

                         旅の支度をする気にもならないですね、、、」

            春になったら、、、「春眠、、、暁を覚えず、、、」

               永眠しない程度に、、、雪掻きをしなくてよくなった時間を

                     爆睡して、、、夢で、、若くなって、、、若いダンナさんと

                  居睡りの中で、、旅をするなら、、、行ってもいいよ,、、≪^^👆


                 春眠、、、暁をおぼえず!!!ひたすら眠りたいですね!!!。

                 
               80歳過ぎたダンナさんと一緒に、、、遠出でする気にはなれません。

                 何時なんどく転んで、、、大腿骨折するかワカラナイ歳ですよね、、、ほんと~~~に!

                旅行かばん持って、、、きょろきょろしている80歳なんて、、、どうやって、、、

                    護ればいいのかわかりませんよね。(**!!

                  旅行中、、、体調不良になっても、、、救えませんからね。

                迷子には成らないかもしれないけど、、、
                  一人でスタスタ、、、先を歩いて行ってしまう方ですからね、、、

      

                その点、、家で、、ホテルに行ったつもりで

                 御馳走を前に、、、10000円もあれば、、、りょこうきぶんになれますよ。 

             NHKの番組の世界のあちこちを旅して、、、外国の町並みなどの
                    空撮を視乍ら、、、行ったつもりの方が

             ダンナさんの、、健康を考えなくていいから、、、最高ですね。


                  

                  空からの視点の旧跡や、、、
                      海のニシンの静止で海岸が乳色に見える画面なんか
                                  感動しました!!

                                       

                もう、、暇さえあればNHKで旅行しています。

                   北海道の大自然の語りかけて来る、、、、、束の間の春、、、

                    そして、、、夏が、、いきなり空から、、落ちて来る、、、降って来る、

                  山笑う6月は、、、

                リラの花が紫に、、大通りを染めて、、、

                          若者が集う

                北海道はこれからですよね、、6月は最高ですよ、、、

                せっかくの最高の季節になって、、、道外へ旅行なんてもったいない、、、

               北海道が、、一番良い季節に入るでしょう!!

                 

                 

               旅をするなら、、、12月から∻~~3月まで~~~
               雪の降らない、、沖縄諸島の島とか、、、

                  伊豆あたりの貸家で、、、温かな冬を過ごすんなら、、最高だけど、、、

                昭和の戦中に生れた医師は、、、50近くまで大学に居て

                暇なしの仕事マンですから、、、
                      遊びの醍醐味を知らない、、、頭だけ若い年寄りの健康状態で

                   旅に出ても、、、相棒は、、、爆睡しているので

                  一人で散策というのが、、、「せきの山」の我が家でしたからね。

                国家公務員の○○号報という事で、、、ローンを返し終わったのが70歳過ぎていて、、、

               信用だけが武器であった銀行ローンの返済で、、、一生、、贅沢はご法度でしたね。


                 贅沢さえしなければ、、、
                       なんとか老後は、、
                               老老介護で家てゆけそうです。

                旅行などし始めると、、、家を売ってしまわないと、、、出来ませんね。

               医師の人生は、、、お金持ちに見えますが、、、

                 生きてる限り、、、大学に通っている様な、、、勉強に、、費用が掛かります。

                

                年毎のバージョンアップが必要な、、、
                          認定試験やら、、、専門医の組閣取得やら、、、

                    何やら,、、かんやら、、????紙切れが...何十枚とあるんですよね、、、

               

               深夜に大けがで運ばれてくる患者さんが通例で、、、
                staffの結束が決め手になる外科は
               奥さん緒ご機嫌などとっている暇がなく、、、

                深夜業務で、、看護婦さんたちが深夜業務の来てくれるから手術も出来ていた時代でしたから、、、

                医療現場からは外野の奥さんの事を築かっている暇は在りませんでした。

                 要所要所に、、、記念日や旗日は、、借場の医師と、、看護師さんの

                   仕事がうまくいく為にも、、、宴会や、、慰労会で、、、家に帰るのは12時過ぎという

                チームワークは、、医師と看護婦さんの仕事に対する気合が合わないと

                深夜の手術には応じられない時代でした様ですよね、、、

               30歳から、、、70歳の間は、、、家族と撮った写真は在りませんが

                仕事関係の慰労会や、、コンパや、、勉強会や、、、諸々の会合の写真ばかりで

              「 子供や、奥さんとの写真は、、、5枚もありませんね、、、」

                 今は大學になって、、医師は仕事時間以外の講義に行くという事は無くなりましたが

                  看護学校の講義に行っていましたね。
                   その他にも、、、人工心肺のまわし方の講義とか

                    薬学大学への、、無料講師の、、参列だとか

                 事務系の人にとったら、、、

                  病院内に居る時間だけを勤務時間と考えて、、、

                    外科医は一年契約の更新が続き、、、

                         病院に帰って来てから、、、2日分の仕事をこなしても

                           タイムカードは一日になるので、、、時間給は一日として計算されます。

                  医師の裏側は、、、頭を使って、、、経済をフォロウして、、、やりクリしないと、、

                     社会が要求して来る金額は収入の2倍以上の金額が要求されてきますね。

                ローンを、、家も、、土地も、、、学資も、、、借りるだけ借りましtから

                   返済で、爵火をねん出するために

                   やかう剤師の現役に戻って、、、四苦八苦しながら

                      育児の大変さを味わいましたね。

                   万一の時には、、、審査なしに駆り出せるように

                    銀このカードと、通帳を、、各銀行のを造り、、緊急事態にそなえましてね。

                 こんなに、、残金の無い通帳を各銀行のを使って、、、使い道は何ですか??

                  税務署から聞かれて、、、税金を納めるときに、、借りる為ですと、、

                   本当のことを言うしか無かったですね、、、・

                   勤務医が、、東京の著名な私立医科大学に、、、息子を進学させちゃったのですから、、、

                   住宅費なんか、、、2”LDKなぞ借りようものなら、、、

                   17万円、、、現代は、私立医科大学の入学金で、、一番安くなっていますが、、、

                   息子が入った時代は、初年度だけで「1500万円かかりましたね、

                    一旦、、、ローンが終った家に、、もう一度、、ローンを申請しましたら

                  返済の実績があるからと、、、しかも9パーセントの利息の返済実績があるからと、、

                   3パーセントで、、、500万ウワノセシテ、、、20年ローンを貸してくれました。

                   50過ぎから70過ぎまで、、、学費のローンで、、、


                     卒業した息子は、、、親に借用証書を書いてくれましたね、、、。

                    他の借金医追われて、、、税金だけは支払っているようですが、、、

                   親には返せるようになるのは、、、5年先でしょうね

                   その時は、、親も、、老老介護の物入りなので、、、

                   返してくれるものは、、、断らないで、、ありがたく戴いて、、、

                    毎日店屋物を食べるかな???、、
                   ともかく、、、旦那の一生も、、、医学生のような人生で

                         50近くまで、、大学のスタッフでしたから、、、

                    自給自足で、、、家庭に入れてくれるだけの余裕は在りませんでしたね。

                      そして、、、国立病院に、、、単身赴任ですから、、、

                      やっと、、女房は、、、一人分だけ、、、暇になり

                      自分尾為の時間が、、、2年間だけ戻ってきました。

                   北大の聴講生になって、、、薬剤師復帰の為に
                    今の時代野薬剤師が学んでいる「免疫学や、、、体内動態」いろいろと

                    再履修して「認定薬剤師に登録して、、
                   空欄になった時代の薬学を補正してから、、、現場に復帰しました。

                   旦那が、、単身赴任になった時は、、、 自分の職業に関するグループに入り

                   薬剤師会の「夜間急病センターの職務」や、「学校薬剤師の職務」も
                    3年間だけ、、させていただきましたね、、、。

                         ダンナが帰って来たという事で、、、チョン!!

                    私の場合、、、薬剤師に復帰して働き、、、
                      共働きで、、、子供を大学に進学させましてね。

                   1か月291時間という、、働きぶりで、、、

                     調剤薬局の立ち上げを、、4人店員が必要な処方数を、、、
                              一人で残業してこなしましたね。

                     初任給の2倍になって、、、喜んでいたら、、、

                     どんなに支払が多くても、、、当時、、子供の学資は控除になりません。

                      夫婦で働いても,、、税金が増えるだけで、、、

                      この国は、、、結婚すると、、家内は、、、
                     働くだけ 、税が増えるという時代でしたね。

                    半年過ぎるころには、、、店長になり、、、
                         豪雪の日は4時起きで店にたどり就くまで歩き

                             大腿までの雪の中を、、組長歩きましたね、、、

                                 除雪が間に合わない豪雪でしたね。

                      店を開けるという、、、激務も、、、
                           東京の私大に進学した息子の授業料と

                       マンションの家賃がバカ高で、、、終いには

                        一旦買い取って、、、利息を払って、、銀行から借りて、、切り抜けた後

                    卒業してから、、、マンションは売ってしまった。

                   結局、、利息分で入居できたという、、、算数で切り抜けたり、、、

                   無茶苦茶な、、、一途に、、、ダンナの跡取を世に中にお返ししました。

                  国立大学で、、、格安で医師にしていただいた、、、お返しは

                    どうしても医師になるんだという、、、息子の希望を実現させるために

                         私立の名門だっただけに、、、親は、、断れなかったですね。

                      すったもんだの80年間は、、、休む暇も無くて、、、すっ飛びましたね。

                 勤務医の家から、、、私大の2人進学させるのは、、、大変でしたね。

                 「 いっぱいの掛け蕎麦」という。。。貧乏な家からの医師になる物語が在りましたが

                  医師になるのも、、、すったもんだですが、、、、
                  医師をするのはもっと、、もっと、、、スポンサーが必要なくらい、、、

                         医師になってからの勉強代金が無いと、、、大変ですね!!

                医師になれば、、、
                     お金が儲かると信じて医師になるのだけは、、、
                                辞めた方がいいですね!!!

                  どうしても、、医学の宇宙旅行がしたいという、、、

                    医師になりたい意思のない学生は、、、医師になっても、、

                       医師をするという事の方が、、、応援団が必要だという事ですよね、、、

                      お父さんが開業医だったりすると
                     医家大学との連携の医療活動が出来る為に

                    その連携の社会貢献度は高いので、、、息子が後をとる場合は

                    開業、、大学、、、医療界と、、ごく自然な形で

                      開業医の手におえない患者さんが、、、大学に依頼診療ということになり、、

                  跡取り息子は、、優先的に医師になって、、地域医療の貢献を続けてゆくのが

                 本来の自然態なのかもしれません。

                   一代医師が、、、貧乏な中から医師をすることは、、、応援団を見つけるのなら

                   開業医の一人娘と結婚して、、、女性の家を継承すれば

                     地域医療が、、子供の代になって、、病因が無くなるという事は無いので

                      国も、、地域も、、医家大学も、、推奨するのではないでしょうかね、、、

                 医師になればもうかると思っってせっかく医師になっても、、、

                  卒業するころは、、医学の深さや、、医学の基礎的な考えに目覚めてしまい

                    金儲けどころではない、、、命を前に「謙虚になってしまい、、」

                 学門と実践で、、、大学にナコルというコースに、、ごく自然に引き込まれていって、、

                    一人前の指導者になってころは、、、金もうけをそっちのけになってしまって

                    医学の世界の仲間たちに、、認めてもらえる研鑽の日々になって、、、

                         診療に没頭してしまい、、、気が付くと、、80才、、と、、なったのが
                     ダンナさんの、、人生でした、

                      50歳で、、慌てて、、、、医師の月給を下さる病院に就職しても

                     一年契約の更新で、、、退職金が在りませんという契約になってしまいます。

                      65歳で定年という、、、お決まりのコースですが、、、

                       65歳を過ぎても、、、一年契約の雇用で、、、引きとめられることの方が

                     多いようです。

                     良いスタッフと働けることの方が、、、医師にとっては生きがいなのでしょう、、、

                    30年以上、、一年契約を更新しながら、、、退職金なしの条件で

                     信頼できるスタッフとの勤務の方が、、、お金儲けより、、充実するようですね。

                    もう、、、結婚はこりごり、、、子育てもこりごり、、、

                    日本は少子化になることが、、ワカリマスネ。

                      勤務医には、、税制の優遇が在りませんし、、、

                        退職金がないので、、月の額面や年収が、、、タッチのスレスレデ

                       税率が高くなります。30年間も、、税率の高い所の納税のほかに

                    特別納税や、、、 祷民税の高騰が在り、、、年金は80過ぎても

                    ほとんどいただけませんね、、、掛け金だけは高いですがネ、、、

                       こういう事をあらかじめ知っておいて、、、医学部に進学して、、、

                        経済面で、、、、スポンサーの居ない人は

                      医師になるより、、、「医師をすることの方が、、むつかしいし、、、」

                      世間のサギにも狙われるし、、、医師すなわち、、お金持ちと思われるのは

                      卒業したら、、、「うまい話」には、、絶対反応しないという事でしょうね。

                    「自分は医師になったんだ!!」という、、一瞬の気の緩みの自惚れを

                        チャンスだと、、狙っている、、、悪のプロが存在するというTV番組を

                              見たことが有りますよ、、、 まずは、、、謙虚な出発ですね」

                    これは、、、息子に搔いた手紙でした。


                       

      

                   ダンナ名義でも35年ローンや、、ミサワの提携ローンの9パーセントの高利のローン

                  東京のマンションの支払いにト、、あっちこっちの銀行のカードを造り

                      急な出費の供え乍ら、、、

                   必死の共働きをしているのに、、、、、大変でしたね、、、

                     子供は道内の大學にやるべきでしたね。

                        道外の生活は、、住宅費が高いですから、、

                        、


                   卒業して売る為のマンションですから、、、都心の一等地にあるのを買いますよね。

                    全部ローンで、、、卒業とともに、、売るのだと言っても、、

                     税理士さんや国税局が、、、

                    万一の支払いがとどこうルト、、怖いので

                  有名銀行の通帳を、、アチこっちで作り、、、

                    一定額まで、、、無心さで借りられるカードをつくりましたね。

                     臨時出費に備えてのが、、、
                    とんでもない誤解をされて、、

                    その誤解が解けたのは、、卒業して、、
                       マンションを売って、、ローンを返済したという
                            実際に実行された後でしたね。

                    日本中を移動するという、、、医師の生活は、、生活した所の銀行の通帳をつくるのは
                 単なる、、便利で、、、カードで借りられて、、、
                     利息が安いという事だけの理由ですよね。

                   東京の大學の傍にマンションをもっているなんて、、、

                   税務署から、、税金の追加が来ましたね。

                    こっちは2重3重のローンで必死に返済しているのに、、、

                  誤解されましたね。返済ノートを提出すると、、、
                        こんなに借りているのですか?と言いながらも、、、

                        福島沖の津波の時期でしたので、、、

                     20代の若い国税局員が、、必死で、、税金の納税額提示しましたので

                    次期が時期だっただけに、、、保険を解約して、、、税金を支払った記憶がありますね。

                    我が家は、、、老後の備えが在りませんが、、、

                    月給が30万を切ったとたんに、、、年金が振り込んでくれるようになりました。

                   なんとか、、、 ぎりぎりで、、、老後の生活を出来そうです。

                    たくさん作った銀行カードのおかげで、、、税金が払えましたが、、、

                      もう一度生まれ変わったら、、、結婚も子育てもしないで

                     自分を大切に、、、世界のt旅をしたいですね。。

                     大学に50歳近くまでいて、、、教授になっていない医師は

                     学問にお金をつぎ込んでしまって、、、お金持ちは少ないと考えても、、いいと思いましたね。
                  


                   大学勤務は、、国家公務員の〇号報で多くても40万円ぐらいでしたけど
                   本屋からの請求は毎月10万を超えましたね。

                        それでも医師は、、同僚が素晴らしい学問と腕を振るってくれるので

                          大学の仲間に成っているだけで、、、
                        時代からとり残されないので、、、
                50歳前後まで、、大学に居てしまうのでしょうね、、、きっと!

                 我が家も、、、50歳直前の時、、長男が私立大学に入学して、、、
                    入学金が足りなくて、、、ローンをもい一度やり直してしはらいました。

                       その時、、やっと、、公務員から、、一般病院の医師になって

                          世間の相場の医師の月給を家計に入れてくれるようになり、、、

                         50歳からは、、返済のピッチが上がりましてね。

                    居間でも、、大学時代のアルバムをめくりながら、、、

                     アメリカの研修旅行が楽しかったとか、、、

                         懐かしんでいますね、、、若いころの、、、経済的に無頓着で

                         前しか見なかった時代が、、、懐かしそうですね。

                 

                    



            (現代は大學卒の看護師さん衣なってからは、、
                    仕事以外の気遣いは要らなくなりましたそうですが)

                 

              生涯、、、丸善からの請求書が、、、きている医師が多いと思いますね。

                 勤務医は、、、ヅ脳と技術が、、情報が、、、大切な仕事ですね。

               見えない、、新しい情報に、、、莫大な授業料を払い続け、、

                「医師をする」「医師をしている」という事が、、、医師本来の財産であり

                歳をとった医師は、、、現役時代の収入は「医師をすること」に燃やし尽くして

               家内は、、退職金がない勤務医の常識が、、、
                     老後のレジャー人生は受け取れない、、、
                       退職金がない、、旦那の老後を

                   老老介護の8割の家事を担当して、、、

                    ダンナの健康の為に、、、2割は自分で自分のことをしていただき、、、

                  生涯、、、医師であるという自覚を守り切ってあげれれば、、、

                    呆けないはずだと、、、私的には思っている。

                   ボケさえしなければ、、、老老介護は、、出来ると思っている。


                    
                

                    ダンナの逝ってしまったその日から、、、自由に、、自分の計画で

                 
                      にっぽん、、、お遍路さんお様に、、、

                      バスで、、一駅ごとに降り乍ら、、、

                          お寺に泊めてもらいながら、、、
                   ダンナさんには、、早朝の御寺の坊さんのお経のお勤めを聴きながら

                                ダンナさんと同席して、、、此の世とあの世の対話をして、
                     次の地に向かうという、、、終幕の旅人生を考える。
壇             

                            自分の活きて来た日本を、、、

                      NHKの自転車の旅のように、、、勘当する景色の一瞬を求めて

                      旅に人生の感謝を託して、、、

                          史跡や、、、夕日を見て歩きながら、、、

                   「 婆ちゃんは死なず、、、ただ、、消えるのみ、、、」のように

                             

                     空に吸い込まれて、、、オリオン座で、、、父母と、、、兄弟たちとも

                    待ち合わせることに、、、

                    
                            子供の時に、、約束してあるのですよ、、、

                     人生の、、晩年こそ、、、真っ赤に萌えた 夕焼けの中で

                       義務を果たした後の自由を、、、謳歌したいものですね。

                     あと10年、、、筋トレと、、日記を書くことで、、、痴呆予防をして

                  医師として、、、北海道の地域医療に、、、医局のスタッフとして

                   チームで貢献した、、、心臓外科医だった前半の半生を認めて、、、
                          老老介護で、、、のんびりと、、、

                     再終幕を楽しみながら過ごせるようにと

                    主婦のプロ根性の、、最後の仕事が、、、始まります。

                           

                      ダンナサンの寿命まで、、、、家事万端サポートするのが、、、

                      Nipponの主婦の仕事ですから、、、

                     


        
                          

                    来世は、、結婚しないで、、、人生丸ごと、、、100パーセント
                 自分尾時間として生きて、、、名前も,、変えなくて済むから、、、

                   家族も友もt、、、仕事も、、趣味も、、、召し上げられる事のない

                     ビジョンに生きてみたいですね、、、

                   日本の女性が、、、国家免許を取得して
                     生涯、、、仕事の勉強を、、、仲間とともに共有すると、、、

                 どれだけ、、社会に還元できるのだろう!!??

                    オガタサンや、、、山口シズエさんや、、、
                      多くの日本女性は

                     男尊女卑の世界のトップグループの日本で

                     男勝りの人生を、、、自分で歩いて見せてくれていますよね、、、

                     老後こそ、、、最後の女性の自由を求めて、、、

                     完璧な主婦の仕事を全うした後,、、旧姓に戻って、、、

                     私自身が生きていたことを、、、この地球に、、、父母の休んでいる高野山に

                     ただいま~~と、、還れたら、、、 

                 

                    子供の時の続きで、、、兄弟と、、、5月には、、、

                    空高く、、鯉のぼりをあげた日が、、帰って来るかな、、、

                    髭の医者と言われた、、、父の顔が、、、

                         真っ青な空をバックに、、笑ってくれるかな?

                

                     我が家の司令塔だった母は、、、、相変わらず、、、カカア、、、殿下かもしれないね

                
                
                         

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