花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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世の中に真実は残ってゆくのだろうか??

2023年04月24日 | 日記
宇宙は観たことが無い。
  太陽系も、本当は観たことが無い。
   一時期、、、子育ての頃
     ニュウトン、、、、と英語の表紙の雑誌を購入していた時期が有る。

科学者が、理論上の宇宙を、写真や、絵、、、はたまた「空想絵画」で

周期律表などから、原子と電子や中間子や、、
   はたまた、、、その後の近代になって

     ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈さんや、、、
        ホーキンズ博士の車椅子の講義内容が出ている様な

   雑誌というには、、、あまりにも、、、学術のベースが
  ここかしこに、、、きらきらしている様な大判の本でした。

私の大學時代に入学するころは

   宇宙時代の始まりと言えそうな、、、科学の時代がキラキラ始まっていた。

本来なら、、
  父の診療所を手伝いたいと思っていた時代もあり
   医師になるには、まず、、
    人間全体を巨視眼で観ることが必要だと考えていた。
父はいつも言っていました。

 、、、病気を診る前に
     患者さんの環境丸ごと、、家族先祖、、遺伝子、、すべて含めて
     人間を丸ごと診ることで、
       最後に、浮き出てくるものすべてに起因する病気を診てゆくんだ。、、、と。

ウクライナの戦争が、、激しくなるにつれて
  忘れていたはずの、、、父母の話してくれた、、日本の「戦争」が甦り
  
 思わず、、全身がひんやりと、、
        痙攣するような気持ちにさせられますね。
      

東京の中学校の門の前には、、区の図書館が有った。

中学校の音楽の先生は、母と交流があり

   先生には、、美しくて、、しとやかで
     それでいて、、
       才媛の娘さんが居ました。

  当時は、、東女(トンジョ)  日本女子大の方は(ポン女)と呼ばれ

 良家のお嬢さんで、成績優秀な女性が多かったので

 お嫁さんにするなら、、、と

 息子を持つお母さん方は、、、お嫁さんに迎えたいという人が
   アチコチに婚活をしていました。

先生のお嬢さんの2人の内、、お姉さんの方は

   お雛様のような、日本美人で有った事を

   時々お思い出します。

妹さんは、同級生でした。

  お母様が先生だったので、、、
      自分も先生に成りたいと言っておられたのを

         ふと、、、思い出すのですよね。

女性同士の姉妹で、お母さまが音楽の先生、、、

私が、、あこがれるような、、、
      しずかな華の有る御姉妹でした。

中学校を卒業する間際に

担任から、、、
「お茶大付属高校」か
  「教育大付属高校」を受験するといいよ。

願書をくれました。

   親に相談しなさい、、、という事でした。
当時は男尊女卑の強い、男三人、女性は、、、3女の私が生き残り組!
女のくせに、、、すぐ隣に小松川高校という
  東京都がつくってくれた
      女性にはふさわしい高校が有るのに

     お前は、、毎朝、、東京横断の電車賃、バスチン、電車、、地下鉄、、と

    交通費、どれだけかかると思ってるんだ!!

     8歳年上の、、、兄貴!!
   お前さんは18歳までは、家族だけど、、
   それ以上家に居座るつもりなら、
     トイレット ペーパー使うたびに、断ってください!

    弟もいるし、、、、、何考えてるのよ?

     居候も職員も、、19人もいるのよ、、、

   「短大に行って、、早く家から出て行ってください、、、」
   目の前で、、願書は破いてしまいました。

     我が家のように、、疎開先からの帰還組は、、、100円が問題なのだ、、、と

   開業医の家って、、、お金は入って、、出てゆくけど

   従業員や、居候、、、が2家族も住み着いたまま、、、

    男の子には、家庭教師が来ているのに

   女の子には「電車代もったいない、、、」。。。かあ~~~

イイよ、、もう、、、破らなくたっていいでしょう、、、

   感謝して、、先生にお返しするのに、、、ひどいじゃないのよね!!

兄は8歳まで、父が、償還をしていた外国の地で8歳まで過ごしている
 支配することを習ってしまっている様だ。
優しい時は優しくても、、、
  肝心なところでは、、、
    占領国家のごとしワンマンである。  


  父は、もともとは「新宿区の市谷」の人で
  早稲田中学校を卒業して、慈恵会医科大に進学して

  大正、昭和の激動期の大学生であったため


    

   戦争に継ぐ戦争が、、、
あちこちで勃発している時期の
医科大学進学であったそうです。



   
 

祖父は出陣の前に、東郷元帥にお会いしたそうです。、

    婆ちゃんが、、夕食をお出ししたそうです。

      その時、、、「お代わりをどうぞ。。」

   お盆を差し出したところ。

     お茶碗を、お盆に置かれた力が、、、
       とても、、強い、、大きな力で、

   婆ちゃんの祖母は、、
          思わず、、
            お盆が、、
           膝まで下がってしまいました。

   こんな話を聴きながら育った、、、昭和生まれの私は

   身近に戦争を感じながらも。。。

     日本海の戦いで、、、
       敵艦の前に、、、
         日本の軍艦を横にして
    敵艦砲撃の、、、すごい戦場の様子を聴きながら、、、
    婆ちゃんは、、戦争で生き残った兄2人と

    南紀の疎開した山奥の時代に小学校5年生まで過ごした婆ちゃんでした。
    7つの無医村の患者さんを
      一手に引き受けていた父の姿が
    壊滅した、、、
      文字どうり「ゲルニカ」の故郷から
         疎開して、村落で用意された診療所の医師として

      無条件降伏後の
        原子爆弾で、心身共に砕け散った国民は
          それでも、、、命ある事だけでも
             英霊の皆に復活の時代を約束して
    各人いっそう、、、奮励、、努力し続けた戦後でした。

     母の故郷の南紀にたどり着いたときは、、、
      一粒の米も無かったそうです。

    西前精米所が、村に唯一の精米所で
     最後の連絡船で、、、
      着の身着のまま生還した父母と兄弟と私の3人が
    生き残ったのでした。

    母は、、精米所を訪ねて、、、お金は後ほど、、

       お米をください、、と

     精米所に行ったところ、、、

    「お帰んなさい!!、、こんな山奥に
       お医者さんを連れてきてくれたんだ!!
          お金は要りません、、、
            この俵、、、一俵、、、

         差し上げますよ、、、

     眉が、、、糠で、、、真っ白になった、、糠塗れのオジサンが

     一俵の米を、無料でくれたのですから、、、

     緊張がほぐれたのでしょうか??

     戦地に父を訪ねて、家族と渡ったときも、、、
     戦地の至近距離の病院の院長職の父と、
       めったに帰宅しない毎日の中で

      戦争が、、、だんだん激しくなり、、、
     戦地に行く現地の医師に、「外科の指導」をするのが任務だった父は

    自宅に帰ることが、、、ほとんどできなかったという状況か下で

     日本は、、あちこちで玉砕してゆき
      現地の医師の指導の為の総合病院の院長だった父にも
        出兵命令の「赤紙」に相当する、、出陣の通告が来たのは

     終戦まであと2年ぐらいという時期だったそうです。

     昭和19年になって、、、激戦地区への軍医として

         戦場の最も激しい地区に、、、
   「死に場所を用意してくれて様な、、、出兵命令」に
     父は、めったに帰宅できなかった勤務の間を縫って

     母と家族に、、お別れを言いに帰って来たそうです。

    そして、、迎えのトラックの待つ、、、
      戦場に向かう日赤の看護師さんたちと
        「めったなことは言えないが、、、」

     今回は、帰還できると考えない。
     日本国に、、「滅私奉公」の覚悟で参戦する、、、と
      迎えのトラックを待ったのだそうです。

     しかし、、、迎えのトラックは、、、来ませんでした。
     
     新聞報道は、、、敵の軍艦撃沈、、、
      ゼロ戦の打ち落とした、敵機、、、軍艦、、の
        華々しい記事ではあるが、、、

      発言は禁句では有ったが、、、戦場の近くの
      父の院長を務める病院には、、
      軍の幹部が入院していたそうですが

      口はとざしていても、、、

      敗戦まじかな、、日本の、、、
        現状が示唆される時代に入っていたそうです。

    その、、、軍の幹部は、、生き残ったのでしょうか?
    それとも、、死んでしまったのでしょうか?、、、戦場で。
    
    歴史は、鏡と鏡を向き合わせたら、、、永遠の向こうまで

    鏡が移り続けるという、、、
     時代時代の世界との国々の考え方が、付き合い方が
      外交と、経済と、地域との部分間のつながりや
       個人とのつながり、、

      染料や、植民地になった時代の、、混血時や本国との関係

      キューバの問題は、ケネディ大統領の時には
      一触即発の、、、ぎりぎりだった報道も。記憶からは消えない。

        そして今、、、キューバの野球チームは、、、
        成績がいまいちであるという報道から、、、いろいろと、、有るようだ。

       台湾の問題も、、、内政干渉なのか
        世界平和のキーポイントなのか?
         政治音痴の、、婆ちゃん委は解りませんが

           日本とは親戚のような台湾が
            どうか、幸せの国の自由民主党が、
              近代化を進められてきた大きな要素のように

             婆ちゃんは思っていただけに

            どうなる事かと、、、気が気ではありません。

           日本の漢方を学ぶ人たちの間では
           台湾は,往ったり来たり
          教えられ足り、、教えたり、、、の国だと思っていますし

          パソコンやITや、
            ITチャットの普及によって

             まるで鏡の誤差ゆえに、、、永遠に鏡が続くように

          鏡の中の鏡を見乍ら、、、鏡の数だけ誤差が生じて

            人間が、、いい加減なところで、、、
          拡げたトランプをとじる手品師のように

          「これが正解です!!」

         そう言って、、、スペードの札を、、、取り出すように

          核爆弾のスイッチが押すことを、、、されたとする日が

           未来の、、いつの日か、、、来るとしたら、、、

           ITの誤差によって、、、無限に繰り返された
            鏡と鏡の中の像が、、、無限い増えてゆくように

          ITチャットの、、、人間としての発言が

           果たして、、、正しい、、現実に有った時代の記録として

           歴史は伝承されてゆくのだろうか??

          

            
これは心臓の悪い人の為に、心臓手術によって埋め込まれるペースメーカーの模型です

   そろそろ、、断捨離を考えて、、、小物の分類をはじめていて見つけたのですが

      持ち主は、、、目下,、未だ、、現役の医療に従事している、、旦那さんの者です。

      「これ,、おいておくの?」,、孫子の時代に必要なの?」

    聴いてみました。
           
      うーん、、、微妙だね!、、それはね、
       外科医のグループで、アメリカの「コルディス」という
         医療機械の会社を見学して、ガイダンスを受けた時の
         心臓の弁置換の時使う「弁」の模型だよ。

           本物ではないけど、、、僕的には、、記念品の思い出があるという

          僕が死んだら、、、ゴミだから、、捨ててくれればいいよ。

      「ジャー本物の弁は何処に有るの?」

      手術の立ち会って 複数の心臓血管外科医が集まって

         患者さんの心臓に、、弁を入れたり、、交換したりする
           手術の時に使った、、昭和時代の「人工弁」ならこれだよ
            
          

     断捨離と言っても、、、若かりし頃は
      自宅より病院に居る方が長かったので、

       家内は、、医師をするための「都合の良い,、お手伝いさん兼育児係?」

     その他に、「お母さんとしての、、食事の栄養や弁当や、買い物や、、PTA,,etc.

病院の医師の奥サンと言っても、、、開業医のおくさんがたのように。

     「奥さんの支えがあっての先生」というのとは違って

     外野席の、、椅子の無い、、ずーと後ろからの、、芝っ子の上の位置で

       夜空観戦する暇もなく、、、場内のゴミ拾いをしたり

         清掃したり、、、子供達の見守りをしたりというのが

           勤務医の奥さんの位置だった様な気がするのです。

      一旦、、、総合病院に出勤してくと旦那さんにとっては

    手術の時の相棒となって、、、
         夜、昼、、深夜、、、
            手術着でチーム医療のオペに入る
               大切な医療チームしか、、頭に入らない。

         私的には、もっとも、、旦那さんの職場の見えない位置から

        家に持ち込まれた「御用済み」のものは、最低5年間は保存して、、

        それから、、中を診て、、捨てるかどうか分別してゆく。、、、

      務めた頃は、北大の先生がお二人で始めた「個人病院」で
       建物も、砂漠の中の「ㇲフィンクス」の像のように
         原野に近い工場の跡地だらけの所に

         砂漠の中に耀く像のごとく、、、ひとつの建物が建った。

        心臓血管外科だった時代は、、
       9時間とか、、、
     長い長い手術になることもあり

       首を曲げたまま、、、当時は
         細かい血管を縫って、心臓の弁を、入れたり

         古くなってしまった弁をとりだしたり、、

          長い時間かかっていたのが昭和の手術だったようです。

       50にも近唸るころ、、、同じ姿勢で長い長い手術に入ることも
          原因になっているのかどうか??、、、
            病院には関係の遠い
              家内の私にはわかりませんが、、、

        仕事上、、使えなくなった置換後の人工弁を、、とっておく主人の気持は

        数パ^-セントなら、、解る様な気もするので

          とても整理してしまう気にはなれないまま、、、残っています。

         当時は、週末しか帰れなかったこともあり

          病院の敷地内に
      「1Kの宿直室」が使えるようになっていました。

         いつの間にか、、建物が、、どんどん増えて行き、、、

         世の中の医療の制度もどんどん変わり、、、

         かかりつけ医からの紹介で、、
       総合病院は患者さんを受けるというシステムに代わり

        開業医さんの、重症患者さんが病院に紹介されてくるようになり

        外科医も、はじめは3人だった時から
        4人に、、増えて、、、
        いつの間にか、、、病院が一個の建物だったのに

        次々と増えて、、、敷地内にクリニックまでが誕生しました。

        今は、、、
       大学並みの校舎のよううに、、、ビルが建ち

        事務系等の方がたのお仕事は、
       会社並みのシステムで動いてゆかねば

        病院は管理するのは難しいだろう、、、と思われますが

        歴史を記すことで、、、
       
       これからの病院の姿が見えてくるような気がするのですよね。

      病院が、地域に,、市に、、道に貢献できるようになったことを見れた人生は
       婆ちゃんは、、外野の外野ですが、、、旦那さんの勤務先なだけに

       何十年も前のことは、、今の病院の中心人物は
        知る由もないと思いますが、、、

       本州と繋がった部分が、、、自治体のマウンティングを 
       地方の習性として受け入れて
       地方の為になる医療として、、、
      地方の人脈がトップに立てるように
       国立サイドは、、セットアップの

      本州や、外国の人脈つなぎに徹して、、

      日本国としての外交を邪魔しない舵取りをしながら
      自身との大学をトップにしながら、、、
      世界の情勢の変わる時は、、、国立系のトップを立てて

      地域住民に貢献するという、、、共通の目的を果たすうちに

      サミットの時なども、、、世界の要人のもしもの時の
      救急病院として、、、時の総理大臣が病院に
      現れるという、、、一般医は公開する必要のない

     北海道愛で、、、勤務に徹して、、、その時のベストの良い仕事に徹したから

     気が付くと発展していたという、、、
      良いプロセスをあゆんだんではなかろうか。」

    北海道に来て気が付いたことであるが、、、

    本州と違って、、医師の社会的位置は高いと思われている。

      しかも、、札幌では、、「医大ですか?」「北大ですか?」

      必ず聞かれる。

      豊平区に住んでいるが、、、豊平区にかかりつけ医は
      ほとんどの人が「医大の先生」が,、、私の先生だと言う。

      北大にかかる時は、、、入院の時だから、、、
      家族のピンチの時であるそうで

      強い菌や、ウイルスの感染症なども居る所から
      「医者の家は,、汚い?  穢い?  キタナイ?、、」と
       奥さんには、、平気で言う。

      医師の家庭で育ち、、弟も、兄も、、父も医師だし
       ダンナも、息子も、、、甥っ子も、、甥っ子の嫁も医師であるが

         確かに、、、クレゾールのプンプン匂う家庭では有ったが

      消毒することを筋肉が覚えているので

      常に運び込まれてくる黴菌やウイルスや、雑菌だらけの患者さんを
      正しく怖がる癖がついているので、、、

       民間に迷惑のかかる菌やウイルスを身に付けて、人と会うことは無い。

      医師の家を、、、汚いと思わないでほしいと思っている、、、。

     

       例えば、、パソコンや、ITや スマホが無い時代は

       自治体は。しっかり、、地方の地区を
       我が領土のごとく、、守りきれば良かったものが、、

       ロシヤとウクライナの戦争で感じることは、、、

       ウクライナは、、気の毒で仕方がないけど、、

       ロシアが,、かって、、、外交で
       日本に北方領土を返還する約束をしていても

       大統領が変れば、、、ウクライナを攻撃したり

       クリミア半島を獲得したように、、、

        自分の領土だと、、、言って、、
        「ロシアになれ」というような
       無茶な武力に出てくるのは
        いかがなものだろうか?

       300年前に逆戻りしていませんか??

        ウクライナの人には受け入れられない、、、

           武力で

         支配するということが起っている現実を見ていると、、、

         

        政治音痴の婆ちゃんですが、、、

        どないなっているんや~~??
        同じロシアの民族が、、、
       なんで???

        「地球が地主の土地」を.
      ..武力で 奪うんや????、、、地球の物やで,、、、ちゃうか?

      武器や火薬や、、化学物質で、、空気汚したら、、、
       自転している地球のどこの国も、、、汚れてしまうんや!!

      武力で、、殺し合うのやめてください。

       同じ民族、、でしょうが、、、?

     、話し合いで、、決めてほしいわ、、、!!

       世界中がトバッチリ受けて、、、

     皆、、子供産まない社会が続いてったら、、、

       立派な都会が、、、廃墟になるやんか!!!

        パソコンとITで、、、ロボットが世界動かせるとでも??

       医者は一人の命救うのに、、、
       どんなに苦労しているか、、、
       考えてみて!!

        医師の家族も、、トバッチリ受けて、、、
        私ごとですが  兄妹も3人、、、
        戦場で死にました。

         父のすぐ下の弟さんは大学に入る前に無くなっています。
         父の末の弟さんは,高校卒業後、 学徒出陣して
        「おめでとう、、、おめでとう、、、」の、、学徒出陣でした。

         運よく帰還してから、、、
       疎開地の村の診療所に勤務する父の居候として

        28歳で早稲田阿納理工学部に入学して
         54歳で殉職、、、つまり
         大学教授となっていた、、、叔父さんは
         黒板に授業の、、、文字を書きながら、、、死んだのでした。
         東京に帰還してからも、。。叔父さん夫婦は

        我が家の居候として??一番いい部屋を8畳を二間ゲットしていました。

        兄にあたる私の父は、
         この叔父さんとは10歳ほど年上で

        関東大震災の時は、、、東京に住んでいたため
        弟を負ぶって、避難したそうです。

        弟にあたる叔父さんは

         震災で火事になった東京を走って避難する父におんぶして
         父の方に食らいついていたそうです。

          父は、夏の日に、、、肩を出して、、
         「弟が、関東大震災の時、、、おんぶして逃げている間に

         肩にかみついていた後だよ、、、

         夢中になって、、、逃げていたから、、、
         痛さも感じないで逃げたんだよ。

         関東大震災のすごさを話してくれながら

         父は、ピカソのゲルニカを,、、体験した人だったんだと
         気の毒になりました。

         弟さんである、、おじさんの結婚式も。。。
         疎開先で、診療所の二階で。あげました。

          父は、、、息子の結婚式のように、、、嬉しそうでしたね。

         母は、、、父が、、弟さんである叔父さんを
         アンマリにも、、可愛がるので、、、時々ヤキモチヲ焼いていましたね。

        兄弟で「戦地での御奉公を知っている、、、」
            「よくぞ、、生きて日本に帰れたと、、、心が通う兄弟!」

         父も、総合病院長から、、、無医村の診療所の 医師から始めた復帰活動。
 

        叔父さんは、、、28歳から、、、大学進学で復活!!

         戦争というのは、、軍人は、無事に帰還した後も、
         無理をすると、、、持たない、、、身体に
               なってしまっていたのでしょうね
         
       偶然か❓、、、必然か? 

       父も54歳、、、叔父さんも、、、54歳、、、、
        二人とも、、、仕事をしながら、、、殉職!!

       戦争の残した爪痕は、、、
        復活に頑張りすぎた体は、、、持たないという

       戦地での,、、喰うや喰わずの激務に、、、
        からだは、帰還したときに
         すでに、、、無理の利かない身体になっていたのかもしれませんね。

        兵役に出る一般人は、、、軍人さんのように
        訓練されていなということが、、、命を削るという
        リスクが付いて回るのかもしれませんね。
        この時代の戦争は、、、タンクだとか、、、軍艦だとか
        ヒコーキが、、、そして、、人間が武器として使われて行き、、

        特攻隊に,、、西南戦争の西郷さんが考えた様な、、、
        あたら未来の有る若者の死に場所が、、、海の中とは、、

         戦争をしている本人は、、、勝つためには、、、何でもするようになる、
        オカメ八目と言うではないですか!!
         白い石を8目置いて、、黑い石は碁盤に死んでる石を置き続ける。

         シチョウ、、、でしょう、、、!
         全部まとめてとられて、、、全滅する。

        戦争は、、メクラになってゆく。
        国が全滅するまで、、、ワカラナイ。

         大人同士がすることとは思えません。

       武力やミサイル、、、原子爆弾を使う国は、、、
       大人だとは思えません。

        子供のような権力者に巻き込まれてゆくのが
       不思議な現象ですよね、、
       、途中で、、、辞められなくなるのでしょうか??
         

        ミサイルや、原子爆弾で、、、
        大量破壊兵器で、、、

        頭は、、どんどん、、、
        ゲーム感覚の画像処理のように

       指先ひとつで、、地球が汚染地帯の星になって

        連鎖反応で、、火山が爆発して、、、
        マントルがデタラメに吹き出して

       あちこちに、、、地震が起きて、、、

       新しい島が出来て、、、
        世界中の領民が、、、
          鉄板の上のタイ焼きになって

       汚染された海を泳いで、、、何処へ征くんや~~~
      さかなクンが、、、一番、、悲しんで、、、子供らといっよに
      海の、、魚の番組が、、、出来なくなったら、、、哀しいやんか?

       戦争止めてほしい、、、!
       空気の中に、、、汚染物質や、、、放射性物質が舞い込んで

       奇形児が生れる地球になったら、、、

        本当に、、、脳の無い人間が生れてしまうんよね、、、

        プーチンさんは、
        せっかく仲良しだった日本に

        こんな悲しみを、、、
        させないでほしいわ!。

       若い日に、、日本では、、、
         プーチンさんのプロマイド買っていた女性も大勢いたのですよ。

         柔道の愛好家のプーチンさんや

       「へーシングさん」を知らない人は居なかった。

        広島の原爆記念館や、博物館を見たのかしら??

        核戦争になる前に、、、戦車の戦争のうちに

         終戦にして、、、世界の経済を立て直して

         ウクライナも、、前よりも素敵な街に復活させて

        ロシア人になりたいと言わせるほど、、、

        復活させて,、終戦後は、、ウクライナには終生

        ロシアの天然ガスを無料で支給して、、、

        名誉挽回してほしいです。

         今のプーチンさんは、、、まるで別人のようです。

         若き日の、
        、日本で、
        人気者のロシア人の柔道家だったころが
         どうして豹変したのでしょうね。

           戦争は、、、いいことが一つもありません。

         かって、、、
       「カチューシャ」も,、、「カカリン、、カカリン、、」も

        多くのロシヤ民謡も、、日本の青年は恋の歌のように
        心で歌っていた時代が有った。

        エカテリーナの美術館も、、憧れだった時代が有るが、、、
        あくまでも、、
       、歴史遺産として、、、
            美術に優れた感性の
                ロシアの色彩の美は

         北方美術として、、、若かっ私たちは 、、大好きだった。

            

        日本人の若者たちは、、歌っていた!!

            

        青年だった友の一人は、、、ハバロスクから

         一駅づつ降りながら、、、ロシヤ民謡を歌いながら

         モスクワの美術館を見て、、、ドイツに旅行したことを

        皆に話してくれた。

                 

        チャフラフスカさんだって、、、
       日本では、、永遠のマドンナと思っている若者だった人たちは

        老人になっても、、、ロシアの芸術性を高く評価している。

         多くの、、幸せな、、生活を、、、
         小麦をつくることで

          アフリカにも、、、
         世界中に美味しいパンをつくる小麦を

         ウクライナの人は輸出していた。

         世界中が、、小麦の幸せを貰っていた。

       日本では、、、パンは値上がりしてきた。
        小麦は値上がりしてきた、、、!
         社民の幸せは、、、不安の風船のように、、、宙に浮いている。

         戦争を終わらせて、、、
        幸せは、、、
         普通の生活の中にあると
         気が付いてほしい。

       ひとまとめに、、、
         ひとくくりに、、、
         地球を色分けして考えないで

        何処の国の人間も、、、地球の恵み

        太陽の恵み、、、
        水の循環する、、みずみずしい、、、地球の恵みで
        心が洗われて、、、
        尖がった心が融かされているのだから、、、

        力で、、武力で、、支配したものは、、、
        今日は、、支配されている,、、だけの、、
        一瞬の勝利にすぎないという、、
         空しい、、、、時代に入っていると思いませんか??

             正常な国交の友好をしたいと

        良いことだと思って一生懸命、、、
       北方の人たちは,、勝って、、そこで生まれ、、そこで育った
        北方の島々を
       日本に帰還を願っていたはずですよね、、、

         かっては、、、
        返してくれると
       約束事をしてくれた時期も有ったわけですよね。

        日本の北海道として、、、
         これからは、、、

        日本全土の一部である北海道として

        自治体は、、
          本州の日本の中央と、ともに

        対ロシアの歴史を積み上げてゆき、
            整理記録映像と録音を残すことが

        未来の北海道に、
          多くのことをもたらすのではないでしょうかね~~~?

          ロシアと、、いつか分かり合える日が来て、、、
          ロシアにも...アメリカにも...基地として使用されない様に
          北方の島は、、日本の島なのだと、、ロシアが認めてくれたら

          両国が共有して使える、、、
       お魚の。。貿易都市が出来ていたかもしれませんよね

        ロシヤ産しゃけも、、、北海道産たらも、、

       北方4島に行けば、、、海の幸の宝庫と
       北方の海の幸のレストラン街があったりしたら

       日本人とロシア人の共存共栄の街が出来たかもしれませんよね。

        これからだって、、、武力を捨てて、、、平和な地球、、、
         安心して住める地球、、、、、

           

        北海道音痴
        北方音痴、、、
        政治音痴の、、、婆ちゃんだけど、、

          
        55年も住んでいると、、、

        北海道を、、、愛しちゃったのよね!!!

      

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