うんたま森のキジムナー

出稼ぎ

大阪には、沖縄出身の人達が多く住んで
いる地域がある。地域に限らず、私の実家にも
沖縄出身の人達が多く出入りしていた。
祖母が何かと面倒を見ていたのだと思う。
テレビの前に集まって、本土復帰のニュースを
見ながら、かなりの問題発言になるかも
知れないが、「あんた達も今日から
ニッポン人や、きばり(頑張れ)や」と
言っていたのを今でもかすかに覚えている。

私が小学校1年生のときに好きだった
女の子は、新垣○○ちゃんと言う名前だった。
身体が弱く、毎朝、一緒に学校に行っていたが、
突然の入院から二度と会うことはなかった。
おそらく名前からして沖縄出身であったのだと思う。

沖縄から県外への出稼ぎは、明治30年代から
始まり、大正末期から昭和初期にかけて
年間2万人の労働者が出て行くほど定着
していたそうだ。関西地方だけでも、常時
5万人以上の定住者が滞在していて、
製糸・紡績工場で働く若い女性も少なくなかった。

今のオバァたちの中には、若い頃を大阪で
過ごした人はかなり多い。節分の日に、
オバァから「今年の恵方は・・・」と言われた
ときにびっくりした。巻きずしのまるかじりは
関西の習慣で、この沖縄でも恵方巻きの習慣が
ある。オバァ達の服装を見ていても、原色を
好む傾向があり派手な色合いの服を着て
いるのも、もしかすると関西の影響かも・・・・


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