旅する骨董屋 喜八

チベット圏を中心にアンティークや古民芸・装飾品を旅をしながら売買する喜八の、世界の様々な物や人その文化を巡る旅のブログ。

ジョージアの織物文化の先

2022年02月12日 | 日記



今、ジョージアでの人々の生活様式は変化し、
首都トビリシでは富裕層と大衆の格差は激しい。
旧市街では観光客向けのホテルも乱立建設中だ。

ジョージアの隣国アゼルバイジャンであれば自国織物文化を国が商業的に支援しているのを感じるが、
僕の印象的にはジョージアでの織物文化は、
観光やファッションや建築、食文化に比べて興味が注がれる対象としては薄い様に感じた。

ただ、ジョージアは数年前から自国文化の見直しがされてるらしく、
民族衣装の再注目も見られるが古い民族衣装と新しい民族衣装ではクオリティに圧倒的な差があると感じる。
これは否定する事では決してなく、クオリティよりも文化が残る事が重要と思うので、
素晴らしい事には間違いない。


・・・と、さも知ったかのように書いたが、
短期旅行者の日本人の僕が、
知ったかぶりで偉そうに話す様な事ではないのは重々承知している。

個人的な感想です。

現地の人達や織物の業界の店主達に聞いた話しや、
個人的に様々な絨毯やキリムを見て感じた事を元にした現時点での限定的な話しでござる。

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首都トビリシから離れて地方を訪れた時、
英語が話せる地元民のタクシードライバーに会ったのだが、
僕が「古い織物を探してるんだけど何か知らない?」と聞いたら、
「おじいちゃんの世代には絨毯とか作る風習はあったんだけどなー、
今はお土産物しか作られてないんじゃないかなー」と言う。
続けて、
「小さな村とかなら昔の絨毯とかは民家に残ってるかもね」
「羊だって居るし今でも何処かで個々でなら作ってるかも。でも話しは聞かないなー」
と言う。

その言葉は的確だったのだが、
現地で50年以上も絨毯売買を行っている業者に聞いたら、
地方などの村々の民家や個人が持っているとタクシードライバーと同じ事を話す。
そして、今では昔のクオリティの物を作る人はほぼ居ないらしい。
天然染料を用いるなど手間と時間の必要な製作は今や皆無だとも続ける。

多くの経験とネットワークを持つ地元専門業者の意見もそうであるならば、
それは事実に近い事なのかもしれない。



カヘティ地方はワインの産地として有名だが織物文化も古くからある。
だが何処の店に行っても、古い絨毯は残っていない。
そう、綺麗さっぱり無い。
少なくとも表舞台には限りなく皆無に近い。
以前は古い絨毯を売っていたという店に行っても、
「今は残っていないよ」と言われる。

新しい絨毯は数多くある。

観光客向けの新しい絨毯類である。

物の善し悪しとかではなく、
これらは紛れも無いジョージア文化の絨毯またはキリムなので、
旅の思い出など状況事象に左右される事なので個々の好き嫌いなどの趣向と思う。

一方で、古い文化が失われつつあるという事では、
僕が気がついた点が一つある。

「オリジナルの」ジョージアの古い絨毯やキリムには、
制作された年代が織り込まれている事もあるのだが、
近年に近い年号のキリムは数を見なくなる。

古くは1920年代も存在するが、総じて1950年代もしくは1950年前後が多く、
1960年代から1970年代で止まってしまい、
1980年代以降は数を見ない。

はて?
これは単に年代を入れるという行為をしなくなったのかしら?

それとも一時的に産業が盛んになった事を表すのだろうか?
歴史的な背景もあるだろう。

もしくは、
僕が単にまだ探せていないだけか?

僕は考えたでござる。

もしかして、
近年になる毎に絨毯そのものを各家庭で作ってないんじゃないかしら。

「各家庭用に個人で織る」という風習がなくなったのかもと感じた。

記憶が定かではないが、かつてジョージアで絨毯は嫁入り道具の一つであったと
現地で聞いた記憶があるが、その嫁入り道具文化が変化したのかもしれない。

もし嫁入り道具だったとしても、
手間も時間もかけて一枚を作るより買った方がはやい。
大した値段でなければ尚更だろう。

僕だってそうする。

カヘティに行った時に趣味で絨毯を織っているという地元民の女性に会って、
織った絨毯を見せてもらったが、良くも悪くも、普通、であった。

彼女が言うには、
技巧を凝らした大型の絨毯を個人用に織っている人は村にはもう居ないらしい。

そーなんだー

ただ、トビリシに戻って知人になった絨毯業者に地方の村々に当たってもらったり、
色々、調べたところ、
古い織物はまだ残っているには残っているのは分かったし、
ごく一部の業者によっては数は持っている。
そもそも専門業者も限定的である。

ジョージアの絨毯は一般的にまだスポットは当たっていない。

トルコのアンティーク・キリムや絨毯やチベットの某ビーズなどの様に
一旦注目され需要が出ると価格は爆発的に高騰する。

NY在住のある方に聞いたとこによると、
5000ドル(55万円以上)とかで売られているジョージアン・カーペットもあるらしいが、
それはまだ限定的な事であって相対的な指標と考えるには一考の余地がある。
そもそもNYで高額なのは当たり前である。

何に美しさを見出すかは人それぞれであると思うが、
自分の物差しを磨く事が重要と自分に言い聞かせております。

そして、
時代と共に失われて行く各国の伝統文化に対して、
近代文明を享受している身の外国人の僕が、
何やかんや言える立場では無いというのも自覚しております。

また、古き良き手法等だけではなく、
現代的な手法や技術も取り入れ進化した伝統織物も価値があると個人的には思うのです。
トルコの一部やアゼルバイジャンでは伝統手法に先鋭的な感覚を取り入れてもいるし、
ネパールであってもチベタン・ラグのリプロダクトも生産されている。

重要なのは、そこに心を込めるかどうかな気がする。

そもそも、センスが良いジョージア人だ。
先鋭的な感覚で心を込めて新たに織り上げた絨毯はきっと面白い物になるに違いない。
そういった織物も見てみたい。


そんな事を思うのでした。



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