さて、短いザンスカールの滞在も終わる。
プルネ村からパドゥムへジープで移動し、
パドゥムで宿泊。
当初の予定はパドゥムで一泊し、
翌日に友人と共にレーに戻る予定だったが、
一応、ザンスカールでアンティークも探してみようと思い、
パドゥムで2泊する事に変更した。
結果から先に言うと、
やはり良い物は全く見つからなかった。
先日の投稿でも書いたが、
前回は数々の寺院に訪れ、
僧侶から直接譲り受けたが、
今回はその時間はなく、今回は地元民に聞いて回った。
結論は、ターコイズですら質も良くない。
他の良い物は市場に流通してもいない。
知ってはいたが、アンティーク・ショップもない。
わずかに古い物を持っている一般人にも会ったが、
レーよりずっと高く、
交渉する気も起きず買わなかった。
経験上、概して一般人の値段はメチャクチャな時が多い。
それは僕だけではなく、
ラダック(またはネパールでも)の地元の業者に持ち込まれる物ですら、
地元の業者も驚くほど高値を言われ、唖然とする場合もあるとも聞く。
相手が一般人であると、値段の折り合いは難しいのである。
とは言え、
ザンスカールの寺院には、
素晴らしい仏像や仏画の数々が多くあるのは知っているが、
一般流通する事はないだろう。
とゆー事で、
まったり過ごす。
昼食は麺。
肉はマトン(羊)。
臭みもなく、柔らかく煮込まれている。
美味。
ザンスカールでは基本、質素な食事だったので、
すごく美味しく感じた。
眺め。
パドゥム中心部(商店街の道が一本だけだが)から、
100メートルだけ離れただけで、
周囲の山々が良く見える。
翌日のレーまで、ジープの前の席に座りたかったが、
電話予約では後ろの席しか空きが見つからず、
中心部から2キロ位離れたジープ・スタンドまで宿の人に連れてってもらった。
結果、翌日にレーまで行くジープは一台だけらしく、
最後部の席を予約する。
宿からの山。
パドゥムでの宿は、
ザンスカール人の友人が勧めてくれた中心部から近い中級ホテル。
一泊2000ルピーを値切り1500ルピー。意外と高い。
清潔で快適でした。
翌日。
レーまでジープで帰る。
ダイナミックな景色だが、もう見慣れてしまった。
同日の夕方5時頃、レーに到着。
いつもの宿に帰宅。
因みに、ザンスカールからのジープは宿まで送ってくれます。
翌日、仲間で打ち上げ。
手前は友人と彼の奥さん。
日本人に顔は似ているが、生粋のザンスカール人夫婦。
ザンスカールの旅、終了。
めでたし、めでたし。
-----
後日、インド独立記念日の祭りがやっておった。
ここもインドだと改めて実感する。
美しいラダックの民族衣装。
若い女性が着込むと輝きを増す。
踊っておりました。
----
ザンスカールの旅を終えて感じる事だが、
ザンスカールは、
僕にとって奥地ではなく、秘境でもない。
ストレスも全くない。
確かに、景色は壮大で素晴らしい。
しかし、
リラックスしてしまい、心が深まらない。
いくらジープが崖ギリギリを走ろうが、
一車線の道を3台でカーチェイスばりに爆走しようが、
圧倒的な風景を見ようが、
心があまり動かない。
なぜだろう。
もっと奥地へ行けば、また違うのだろうか。
カトマンズの場末の茶屋で、
独りで黄昏ている時や、
チベットの奥地で死にそうになっている方が、心が深まる。
僕は心に、ある程度の負荷があった方が、
結果として旅を楽しめるし、
仕事としてもモノを深く視れる。
また、後々、印象に残ったりする。
心への負荷をかける事は何かと大変だが、
心の底へ深く潜ると、
新たな景色が自分の中に広がるのである。
電波も通じないザンスカールは、
一般的には秘境なのだろうが、
もっと強烈な、心馳せる旅をしたいと思ってしまった。
僕にとって、
心が深まる、
心馳せる旅とは、
地理的な事だけでもなく、
物理的な要素だけでもないらしい。
人との出逢いや別れ、
視覚的な要素や、
匂いや雰囲気、
哀愁や悲哀、
苦しみ、
祈り、
死と生など、
それらの複合的な要素が絡まった時に、
僕の心は動くらしい。
色々と想う事は多い。
ザンスカール編
終わり。
これからもよろしくお願いします。お体に気をつけて旅を楽しんでください🙏