伊勢神宮は日本国の霊的中枢ということは前回のブログにも書きましたが、伊勢神宮と各地の鎮守さんが同等であると書くと一見矛盾するように思うかもしれません。けれども一個人から見た伊勢神宮と鎮守さんは、両方ともにも重要で、どちらが偉くどちらが低いということは全くもってないのです。これはお父さんとお母さんの関係のようなもので、社会的には会社で働くお父さんの役割が上ですが、家庭での役割はお母さんが上というようなものです。伊勢神宮が陽だとすると鎮守さんは陰。伊勢はやはり個人的な願いとかではなく、世界や国家の平和とか大きな事を願い、自分や家族がほんの少しでもそういうことにお役にたてれるよう祈る場所です。かつては私幣厳禁といって個人の祈祷は長い間禁止されてきました。反対に鎮守さんは個人や家族、仕事のことなどこまごまとした面倒を見てもらえる場所です。この二つが相揃うことで素晴らしい力を発揮するのです。
近所の鎮守さんが、どんなに小さくても、そこの重要性は微塵も変わりませし、鎮守という我が国にある凄いシステムがわかればわかる程、大切にしようという気になってきます。(過去記事参照)地域社会の無縁化と鎮守さんの寂れは同時に進行してきましたが、絆の復活が求められる今、もう一度鎮守さんを核として地域の繋がりを復活して欲しいものです。特に地域活動のボランティアやNPOをされている方々は是非とも鎮守さんのお力を使って頂きたい。まずは活動を始める際に挨拶からはじめ、大きなイベントや計画があれば事前に後押しを願い、節目節目にお参りされると良いです。特に個人の願いを超えた地域全体や他人のための活動は鎮守さんのもっとも喜ばれるものですから、きっとそのような願いを待っていらっしゃるでしょう。
パワースポットブームで全国の有名な神社に人々が殺到していますが、小さくても地域の鎮守さんこそがパワーの源泉だということに気付かない人があまりに多すぎます。有名であるとか社殿が立派である事が即その人個人にとって御利益があるとは限らないのです。チルチルミチルの青い鳥ではないですが、本当の幸福はすぐ足もとにあるものです。パワースポットブームが一歩踏み込んで鎮守さんの重要性を認めるようにならないかと願うばかりです。