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医師会に衝撃のイソジン事件

2014-02-11 18:06:28 | 世の中

2014/02/11日経ビジネスリーダー

 

医師会に衝撃のイソジン事件 

財務官僚が反転攻勢

編集委員 大林尚

 

 日本に暮らす私たちにとって健康保険は水のような存在だ。病気やけがをして病院・診療所にかかったときに払う窓口負担は、原則としてかかった医療費総額の30%。子供や高齢者の窓口負担はもっと低い。さらに入院したり高額医療を受けたりしたときの負担は、所得水準に応じて月々の上限額が決まっている。

 

 健康保険のもうひとつの利点は病院・診療所へのかかりやすさにある。フリーアクセスといって原則どの病院でも診療所でも、患者の側に選ぶ権利がある。あたりまえじゃないか、と思うかもしれない。

 

■40兆円を超えた国民医療費

 

 昨年秋まで3年間スウェーデン大使をつとめた渡辺芳樹・元社会保険庁長官は、彼(か)の地でこんな体験をした。テニスのプレー中に転んであごの骨を折ったとき。国内有数のカロリンスカ医大病院(ストックホルム)に担ぎ込まれたまではよかったが、どうみても重傷なのに医師は出てこない。まず手に負った傷は看護師に縫ってもらった。それから検査。救急担当の外科医に診てもらったときには病院に着いてから7時間がたっていた。そしてあごの手術を受けた翌日には退院させられてしまう。

 

 スウェーデンでは地域地域に配置された一般医にかかるのに1週間待ち、専門医の診察を受けるには3カ月待ち、そして専門医の手術を受けるまでにさらに3カ月待つのが標準だという。医療の技術水準や医師・看護師の技量が高いからこその「アクセス制限」といえるかもしれない。

 

岸信介首相は国民皆保険制の土台を整えた

 今の日本の健康保険の原点は1961年に確立した国民皆保険制だ。その土台を整えたのは安倍晋三首相の祖父、岸信介首相だった。それから半世紀あまり。長寿化と少子化によって人口ピラミッドが頭でっかちになり、経済成長のスピードが鈍り、グローバル化やIT(情報技術)化もあって長期デフレに悩まされてきた日本経済があえいでいるなかで、国民医療費はすでに40兆円を突破した。介護保険のサービス費用と合わせると、すでに国内総生産(GDP)の10%を超える水準だ。

 

 半世紀前といえば、日本経済は高度成長への入り口に立っていた。そのころの設計思想を温存していていいのだろうか。健康保険を運営する厚生官僚や国の財政をあずかる財務官僚は、もうかなり前からそうした疑問を抱いている。しかし皆保険制の「改造」を試みるのは高齢者や患者を敵にまわすという点で、政治のハードルが高い。これまでなかなか前に踏み出せなかった両省の官僚が、そろりと、だが、したたかに動き出した。それを象徴するのが2014年度の政府予算案である。

 

 

昨年12月20日。クリスマスイブに予定されていた臨時閣議での閣議決定をにらみ、財務省2階の財務大臣室で麻生太郎副総理・財務相と田村憲久厚労相との閣僚折衝が行われていた。テーマは予算編成のなかで保険医療費の基礎単価ともいえる診療報酬の改定率をどうするか。国会は久々に衆参両院で与党が多数を占めている。そのなかで、なんとしても増額改定を勝ち取りたい医療界が押し出した自民党議員の圧力を背に、厚労相は懸命に増額を主張した。一方の財務相は4月からの消費税増税を理由に「増税に加えて患者負担を増やすのは納得を得にくい」と、増額に難色を示していた。

 

 結果は0.1%の増額。これは消費税増税によって病院・診療所の仕入れコストがかさむことへの手当てを含む改定率だ。厚労相や医療族議員は増額を勝ち取ったと釈明できるし、財務相にしてみれば増税手当て分を除けば実質は減額だと解釈できる。どちらにとっても都合の良い落としどころだった。

 

■一物二価のイソジンに的

 

 じつは、両相の合意にはこの診療報酬改定よりはるかにインパクトがある決定が含まれてた。A4判の合意文書の末尾には、次のように記されている。

 

 なお、別途、後発医薬品の価格設定の見直し、うがい薬のみの処方の保険適用除外などの措置を講ずる。

 

 そのとき医療族議員のほとんどは改定率に目を奪われ、この文言の意味を考える余裕が乏しかったのかもしれない。それは財務省の主計官僚が仕組んだ巧妙な皆保険改造の第一歩だった。

 

 うがい薬の定番は明治の「イソジンうがい薬」。風邪を引いて医者にかかると、抗生剤などともに、このうがい薬を処方されることが多い。知名度がとくに高い薬のひとつだ。

 

 イソジンは「一物二価」という特性をもつ。医師に処方してもらえば健康保険が利くので薬代の患者負担は原則30%で済む。薬局で市販品を買えば100%負担だ。ドラッグストアなどには値引き販売しているところもあるが、さすがに「70%引き」はあり得ない。成分の違いはほとんどないのに、どのルートで買うかによって価格にこれだけの差がつく商品はめずらしい。医療制度に詳しい国会議員のなかには、丹羽雄哉元厚相らのように古くからこの矛盾を訴える政策通もいたが、保険対象から外すとなるとその作業は困難をきわめていた。

 

 ところが今回はさしたる議論もないままに保険適用の除外がすんなりと決まった。背景になにがあったのか。

 

 厚労省のある官僚は財務省にしてやられたと悔しがる。「イソジンを保険適用から外した場合の財政効果を試算してほしいという依頼がわが省にあったようだが、ほんとうに決めてしまうとは」と、いまも信じられぬ様子だ。厚労相も財務相との折衝時にイソジンの話が出た覚えはないと説明しているという。

 

 だが別の同省幹部は周到に準備していたと証言する。だとすれば、皆保険の改造のために自らの大臣を出し抜くこともいとわなかったことになる。

 

■アリの一穴を恐れる医療関係者

 

 日本医師会をはじめとする医療団体の多くは「イソジン事件」に大きな衝撃を受けている。うがい薬を保険から外すだけでも年間60億円強、財政を改善させる効果があるというのが厚労省の見立てだ。ビタミン剤、湿布薬など処方ルートと市販ルートの違いによる一物二価の薬はほかにも少なくない。

 

 「ビタミン剤や湿布薬にすぐさま広がるとは考えにくい」と厚生官僚は語るが、医療関係者はイソジン事件がアリの一穴となって保険外しが加速する事態を恐れている。半面、市販している薬を保険対象から外すのは、制度としての健康保険の持続性を向上させるには、避けてとおることができない荒療治でもある。

 

 診療報酬の実質減額とイソジンの保険外し。厚労省の医療政策を舞台に、財務官僚の反転攻勢が始まった。


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