私の町 吉備津

私の町 吉備津

再び見扇に付いて

2013-09-11 09:33:57 | 郷土の歴史
  少々宮内を書くのも飽きてきたのではないのですが、「こげんことをしても、どうにもならんでえ」という意見もあって、書く意欲が<のうなってしもうたけん>書くのを中止しておったんですが、あまりにも退屈なもんで、又、変な癖が湧いて来たんで続き始めようかと思もよんじゃけん、まあよかったら、よんでみてつかあせえのう



 宮内では天保に入ると益々能狂言が隆盛を極めます。最初は藤井高尚などの社家の75軒の人々によって此の地に取り入れられますが、そのうちにあの真野竹堂らの社家以外の人々の間にも広まり、町中から、盛んに其稽古などの風景が、次第に一般化していくようになります。それは、近隣の岡山などの武家を中心とした上層階級の諸名士の人々の参加も見るようになり、益々、能狂言が此の地で盛んになります。
 この盛んになったの宮内の能を語るには、どうしても真野竹堂の養嗣子である真野松蔭を忘れることはできません。この人が使っていたと云われる能扇が、前回この欄で御紹介した、私の家に伝わっておる扇です。
       

 漆塗りの骨10本、黒く変色はしていますが銀粉で塗られたバックに紫色の雲でしょうか5つ描かれています。もう随分とうす汚れや傷が目立つのですが、大切に保管しております。