照れるのですが英国生まれの俳優ショーンコネリーです。
ご存知のように彼は、有名な映画007シリーズの初代ジェームスボンド役者を努めました。
コネリーの顔になりたいわけはというと、
古の賢人の戒め?なのでしょうか“40歳を過ぎたら男は自分の顔に責任を持て”といいます。
映画スターに限らず、年を重ねるごとに容姿が衰えてゆくのは、生物である限り宿命です。でもこの人ほど年齢に相応しい魅力的な顔に、それも自ら責任を持てる顔に、変貌を遂げていった俳優は、ほかに見当たらないと思うのです。
ロマンスグレイとか、いぶし銀の中年の魅力とかに、形容される渋さが讃えられるのは、取りも直さず、おのれの生きざま、美学の履歴書だから、とも言えそうです。
歴代のアメリカ大統領で、今以て人気投票第一位の、ケネディー大統領の愛読書のひとつだったイアンフレミング原作、英国諜報部員007ノベル。
ジェームスボンド役のオーディションのさい、作家フレミングも立ち会ったが、ショーンコネリーの第一印象はよくなかった。
ただし第一作目として世界にリリースされた007ドクターノオのラッシュを見て「私の抱くジェームスボンドのイメージにぴったりだ」と役者コネリーを称賛したという。「TV月曜ロードショーで映画評論家・荻正弘の007サンダーボール作戦解説録画ビデオより」
その後ボンド役者から脱皮したい、と降板し多様な役柄を演じてみせ、また請われてジェームスボンド役にカムバックしたりしましたが
役者として研鑽していたのでしょう。
因みに、007は二度死ぬは国内でも数ヶ所で撮影が行われ、私の郷里もその一つで、当時高2の私は、友人と撮影を見に行きましたがその日は、主役コネリーの出番はなく、秘密兵器のテストと、その吹き替え撮りに費やされていました。その後封切館のスクリーン上では、わずか60秒ほどのシーンでした。
第二次世界大戦後、破竹の勢いのアメリカに比べて、翳り沈みゆく、かつての大英帝国・イギリスの外貨獲得に大いに貢献したとして、当時世界のミュージックシーンを征服した「ザ・ビートルズ」、モデル・ツイッギーの「ミニスカート」、そして女王陛下に捧げる「007映画」と、ユニオンジャックをはためかせて、この3つの大ブレイクスルーにエリザベス女王陛下もさぞかし感激されたことでしょう。
ザ・ビートルズの4人とショーン・コネリーはサー(ナイト爵)の称号を女王から授与されている。
単に俳優ショーン・コネリーのファンだからということになってしまいましたが、アングロサクソン系のコネリーの顔とは、似ても似つかない極東モンゴロイド系日本人顔の私ですが、叶うなら責任の持てる男として、この人の顔になりたい。
"You Only Live Twice" Trailer
The Beatles - Yesterday
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