快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み手近の被写体を撮り歩く暇爺。

猿渡川伝説

2010年10月01日 10時54分20秒 | 公園・風景・その他
私の多くのブログの話題をカバーして呉れて居るのが「猿渡公園(ミササガ)と猿渡川」ですが・・・この「猿渡」とはどの様な意味が有るのだろうと常々疑問にしていたが、
昨日の「三井戸」伝説を調べている時に猿渡の意味が解明されました。
猿渡川の由来について次の伝説が残って居ました。
弘仁13年(822)弘法大師が勅命により富士権現参詣し、その帰途刈谷に立ち寄った際(三井戸伝説)親猿と3匹の子猿が川を渡る様子を見て・・・その川を「猿渡川」と言われ、言い伝えられて来ました。

親子猿が川を渡る様子に触れて書いて有りました。
3匹の子猿は、長男猿と次男猿とは親猿が居ないと喧嘩が絶えず・・・親猿は浅瀬を探しながら背中に子猿を1匹づつ背負って渡す訳ですが、親猿の行動は次のようでした。


長男猿A、次男猿B、三男猿Cとしますと、親猿は初めに「Aを背負って向こう岸に行きAを置いて」、こちら岸に戻り「Bを背負い向こう岸に渡し」、帰りに「Aを背負い帰って来て」Aを置いて「Cを背負い向こう岸に向かい」Cを向こう岸に置いて、こちら岸の「Aを背負い向こう岸に渡り」切ったとの逸話が残っています。

一度も長男猿と次男猿は親猿のいない時には一緒には居なくて喧嘩もせず・・・弘法大師は親猿のとった行動に感心されたとか。


刈谷市内に猿渡川に架かる五っの橋が有りますが、猿渡川の最終(下流)に架かっている橋が猿渡大橋、その上流に架かっている(下流から二番目の橋)巡見橋の欄干に親子猿の伝説をもとに親子猿のレリーフがはめ込まれています。

猿渡川も近年川改修工事が行なわれて親子猿が渡れるような浅瀬も無く為って来たようです。

1画は、巡見橋と欄干にはめ込まれている親子猿のレリーフ、

2~3画は、猿渡川の浚渫工事船と案内板、

4~5画は、残土島の撤去作業と案内板、

猿渡川伝説の画像

猿渡川伝説の画像

猿渡川伝説の画像

猿渡川伝説の画像

猿渡川伝説の画像