快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み手近の被写体を撮り歩く暇爺。

伝通院於大の方

2009年07月06日 12時12分01秒 | 花のある風景
松平広忠に嫁いで翌年長男、竹千代(のちの徳川家康)を生む。
しかし父忠政の死後水の家を継いだ於大の兄水野信元が、松平の主君今川と絶縁し織田家に従ったため、於大は今川家との関係を慮った広忠に依り離縁され、
実家水野家の・三河の国刈谷城に返された。のちに兄信元の意向で知多郡阿古居城の城主・久松俊勝に再嫁する。
俊勝との間には三男三女もうける。この間、家康と音信を絶えず取り続けていた。
桶狭間の戦いの後、今川家から自立し織田家と同盟した家康は、久松俊勝と於大の三人の息子に平松姓を与えて家臣とし、於大を母として迎えた。
於大は夫・久松俊勝の死後、剃髪して伝通院と号す。

1602年京都伏見城で死去、遺骨は江戸小石川の伝通院に埋葬された。
法名 伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼。彼女の菩提寺は各地にあるそうです。

於大公園にて撮影する。

1画、伝通院於大の碑、

2画、キキョウ (画の左上ききょうの蕾)風船花とも呼ばれている。
「ききょうの花咲くときポンと言ひそうな」

3画、昼顔

4画、泰山木 (モクレン科)

5画、栴檀の実
「栴檀は 双葉より 芳し」と言う諺が有りますが栴檀とは「白檀」の事です。
栴檀の実は、数珠等に加工されるそうです。

伝通院於大の方の画像

伝通院於大の方の画像

伝通院於大の方の画像

伝通院於大の方の画像

伝通院於大の方の画像