(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−67(中世前期の石見の来住者−1)
27. 中世前期の石見の来住者 鎌倉時代の初めまでは、人々は遠くに移り住むことは少なかった。 有力な武家でも、分家した一族は惣領の近隣の地に住み、その地を開墾して惣領を支える、...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−68(中世前期の石見の来住者−2)
<鎌倉末期の石見豪族達の大まかな分布図> (図の点線は現在の市町村の境界を示す) ...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−69(中世前期の石見の来住者−3)
27.5. 石見小笠原氏 小笠原氏が石見国に姿を現わすのも、吉見氏と同じく弘安の役 (1281年) で沿海防備のため益田周辺に進駐してきたのに始まる。 やって来たのは、四国阿波...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−70(中世前期の石見の来住者−4)
<鎌倉末期の石見豪族達の大まかな分布図> (図の点線は現在の市町村の境界を示す) 27.6. 平田氏 平田氏は文治4年(1188年)平田嘉貞が伊賀国平田邑より移って今...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−71(両統迭立)
28. 両統迭立 両統迭立とは「一国の世襲君主の家系が2つに分裂し、それぞれの家系から交互に君主を即位させている状態」をいう。 鎌倉時代後期、後嵯峨天皇ののち持明院統(後深草天...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−72(太平記)
29. 太平記 『太平記』は、日本の古典文学作品の1つである。いわゆる歴史文学に分類され、「日本の歴史文学の中では最長の作品」とされる。 全40巻で、南北朝時代を...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−73(後醍醐天皇−1 正中の変)
30. 後醍醐天皇 後醍醐天皇は朝廷政治を行った最後の天皇である。 「朝廷」の「朝」は政治を、「廷」は庭を意味し、漢字文化圏で君主制の政府や政権を表わす言葉として使われてきた...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−74(後醍醐天皇−2 元弘の乱)
30.3. 元弘の乱 正中3年(1326年)3月20日、皇太子の邦良親王(後二条天皇の第一皇子)が死去する。 後醍醐天皇は自分の子を皇太子にしたかった。 しかし、持明院...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−75(後醍醐天皇−3 笠置山の戦い)
30.3.元弘の乱 30.3.4. 笠置山の戦い 日野俊基が捕縛されたという知らせを聞いた後醍醐天皇は、自分の身にも危機が迫っていることを感じた。 後醍醐天...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−76(後醍醐天皇−4 赤坂城の戦い)
30.3.元弘の乱 30.3.5. 赤坂城の戦い 赤坂城の戦いは、河内国・赤坂城(下赤坂城)に於いて、楠木正成が笠置山を落ち延びた護良親王を擁し、寡兵をもって...