1.南通大学医学院
私が最初に住んだ場所は南通大学医学院(南通大学の本部は南約7~8Km離れた別の場所にあります)の隣でした。
大学内に入る門には守衛がいますが、一般人もチェック無しで不通に通行できます。大学寮の1階にコンビニがあったので、行ってみましたが値段は市中と変わりませんでした。大
学寮にはインド人らしい人が沢山いました(街中でも沢山見受けました)留学生と思います。彼らは良く運動場(400mトラック)クリケットをしていました。
運動場の周りは金網の柵で囲われていますが、出入り口は常時開いており、一般市民も入ってランニングや、歩行しています。
特に夏場は陽が落ちると多数の人(主に中年以上の男女)が夕涼みとトレーニングを兼ねてトラックを歩行しています。
また天気の良い日は寮ベランダから布団や毛布を日干ししています。また運動場周りの柵一杯に布団や毛布を掛けて、日干しもしています。
南通大学医学院の前身は 1912年に通州医院附属医科学校として設立され、その後南通医科大学に改名されました。2004年に、南通医科大学は公立南通大学(南通大学)の設立に参加し、南通大学医学部を設立し、それから看護学部、公衆衛生学部、そして生命科学部に分けました。
南通大学医学院は、南通大学の「二級学院(2008年から独立学院と呼ばれている)」の一つです。
<二級学院とは>
1978年以降の改革開放の推進により、高等教育を受けた人材の社会的な需要が拡大し、高等教育規模の拡大のための政策を打ち出しました。
このような過程で「二級学院」が続々と登場しました。二級学院は簡単に言うと、高等教育に市場メカニズムを利用し民間の投資を呼び込んで作ったもので、ブランド力を持つ有名校の看板を借り民間運営している大学です。
中国の大学では「軍隊訓練」に参加しなくてはいけません。
9月には国家の軍隊訓練指導官がやってきて、軍服を着た新入生たちに行進や打撃練習などをしている様子を目にします。中国では国家のために戦う訓練が施されているのです。
2.受験事情と一人っ子政策
小学校の校門付近は下校時間になると、生徒を迎えに来る自動車やバイクでごったがえしています。
共働きの家庭が多いため、その大半が生徒の祖父母が迎えにきています。中国でも学区制度が採用されているものの、進学実績の高い学校への越境入学が人気のため、送り迎えが必要になるからです。
学校も別料金を徴収し、学区外からの生徒を喜んで受け入れているそうです。
学区内のいい学校に入れるため住居の変更も行われています。
下の写真は小学校の送り迎え時の写真です。大変混んでいます。
会社から帰る時ある私立中学校の前の道路を通って帰ることがありますが、金曜日にこの学校前の道路が大変混雑します。寄宿生が実家に帰るため、家族が車で迎えに来るからです。
<下の写真の道路が交通渋滞を起こします>
学校の教師に金品を贈ることは普通に行われているそうです。会社の同僚も、学校の教師へお金を払ったと言っていました。
この同僚は女の子供さんが二人いますが、姉と妹は別の小学校に通っています。妹も姉と同じ小学校に行かせたかったそうですが、学区外だったので、妹は選に洩れたと言っていました。
また二人目が生まれた時には罰金が払えなかったので、戸籍がなかったが、4年後に支払い戸籍を獲得したそうです。罰金額は基準年収の(3~6倍)の範囲で決められているそうで、彼は5.5万元(日本円換算で~100万円~)支払ったと言っていました。
子供達は幼稚園から熾烈な勉強と競争を強いられ、外で遊ぶことはないそうです。街角で、子供たちが遊んでいる風景を殆ど見たことがありませんでした。
中国では高齢化が急速に進行していおり、寿命が延び、高齢人口が膨れ上がっているが、それを支える生産年齢人口が減ってきています。これを懸念して、2016年に、この一人っ子政策は一人から二人と緩和されました。
しかし出産率は上がっていないようです。経済成長した中国では日本と同じように子育てに大変な費用がかかるため、二人目の出産を躊躇しているのではないかとおもいます。そのうち、二人以上の出産をしないと、罰則を果たす法律が作られるかもしれませんね。
<完>
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