FUNAGENノート

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労働の意味の再考とジェンダー問題の解決

2018-08-14 13:10:47 | コラム
労働の意味の再考とジェンダー問題の解決
 東京医科大学の入試における男女差別は、いろいろな問題を提起しいているように思う。
最近、医師の過重労働が問題になっている。医師ばかりでなく、教師の過重労働も課題になっている。企業の中にも、結構激務のところはあるだろうし、過労死も起きている。そんな中で、女性が激務に耐えられなくなるのは、家庭での子育て、その他家事全般を全て背負っているという、従来からの日本の風習から、完全に抜けられないことが影響しているとように思われる。
 それでも、現代の若者たちは、幾分夫婦共同で子育、家事全般を行うよう努力していると思う。そういう光景は良く目にする。ただ、そこに制約が立ちはだかる。それが先に述べた風習である。
 夫にしても、多くの仕事を強いられる中、子育てや家事は共同と言っても、なかなかうまく行かないであろう。だから、ついつい女性の方が、会社の仕事を軽くさせてもらうことになり、職場での女性の役割が限られてしまう。あげくは非正規雇用とか、パートということになる。それが現実かもしれない。
 もちろん、おる程度裕福だと、専業主婦という生き方もある。しかし、これにに飽き足らず、仕事を選択する女性も増えているようだ。そうなると、思う存分仕事をしたい。男と対等に仕事をしたいと思うだろう。そうすると、結婚の機会は限られたものとなるだろう。
 だから、この東京医大の男女差別問題も、ただ単なる男女差別(東京医科大の差別試験は、当然否定しなければならないのだが・・・)ではなく、我が国に残っている風潮、仕事は男、家庭は女というジェンダー問題を解決することなしに、真の解決はないだろう。
 確かに、女性の活躍する場は、増えてきているが、活躍しているのは、ジェンダー問題(子育てや家事における性差)に影響をあまり受けない方々なのだろう。当然、いや、私は無理して努力してやっているという方々もいるだろうことは認める。
 外国メディアは、日本人の猛烈な仕事ぶり(これが、過重労働となっている)を皮肉を交えて報道している。フランスでは夕食時の一家団欒は普通だと。今回の東京医大の入試差別にふれて、フランスの女性医師は、全体の45%だという報道もある。
 ところで、私が学生のころ(昭和31年~34年)を思い出してみると、私の所属していた教育心理学教室で、約30人中女性は2人だった。私の時代は、女性が大学へいくなど、まだまだ、一般化されていず、女性は結婚して家庭をもち、子どもを育てることだという風潮だったのだろう。もちろん、兄弟も多いし、経済的問題もあったであろう。
 現在は北海道教育大学(私の母校)の進入生の男女比は、男49%、女51%だそうだ(2017年入試)。ずいぶん変わったものだ。しかし実際には大学における比率が示すほど、男女平等は定着しているわけではないことは、先に述べてきたところである。ジェンダー問題はいまだ解決していないということだ。
 職場の仕事というものを、家庭での共同作業と同じように、共同作業によって成立することを、認めなくてはならない。しかも、職業としての仕事は、もうれつという意味での共同作業であってはならないであろう。もしそうなれば、家事はだれがするのか、子育てはだれがするのか、ということになるからである。
 アーレントが言うように、労働した後の達成感、充実感も(スポーツを終えた時のような快感のように)あることが理想なのだろうが、それとは別に自分のプライヴァシーな空間も確保されなければならないだろう。そういう自分の空間が確保されていて初めて、仕事の達成感は得られるものだ。リズムに快感を覚えるように、私たちの空間には「めりはり」が必要なのだ。ところが、オカネのための労働と、消費社会への飽くことなき往復(近代の科学技術の発展と消費社会の形成によって、歯止めを失った「過程」生を帯びることの問題・アーレントの言)が、限りない労働超過となっている。それに少子高齢化による人手不足が拍車をかける。
 いずれにしても、「もうれつ」という姿勢はNGでなければならないだろう。そして、男も女も同格に勤め先の仕事も家庭の仕事も携わるということでなければ、真の男女平等とはならず、今私たちの言っている平等は、形だけのものになるだろう。
 一番の理想は、結婚し家庭を持ち、子育てに励むことだとしても、そうもいかないのが現実だ。第一にお金がかかり、おいそれと結婚できない若者が結構多い。それと、先から述べている仕事が忙しすぎて、心にゆとりをもてず、家庭どころではない若者も結構多い。先行き不安な人生もそれに拍車をかけている。そんな中で、はじめから独身を決め込む若者も増えている。
 このような問題をどうするのか。そのためにどのような手立てが必要なのだろうか。第一は、仕事の量より質への変換(ただ長時間働けば良いという問題でなく、量より質が大事ということ・つまり、労働と自己のプライヴァシー空間の確保)、労働における男女差の是正など、これらは企業や関係機関(政府機関や地方自治体、各種団体)の意識改革が問題になってこよう。家庭における仕事(子育て、家事全般、親の介護など)の夫婦共同参画、これは本人同士の意識改革が必要。子育て支援のためのケア、親の高齢化にともなう介護関係のケア、授業料の無料化、医療機関の拡充などは、政府・地方自治体の取り組むべき課題なのであろう。決して、観光を宣伝したり、テーマパークを作ったりして、観光客を呼び込むことではない。観光客などは、気まぐれなもの、すぐ飽きて他の地に心がうつる。
 理想像をイメージ的に言えば、一家団欒、朝食や夕飯を一緒にとり、そこで会話が弾み、なやみ事や、今していること(ライフワークなど)、考えていることを交流し、それが、さらなる飛躍につがる。そういう家庭の実現こそが求めれよう。家庭の構成員全が、なんらかのライフワークを持つ(同じライフワークでも、もちろん違っていてもよい。)ことも必要なのだろう。
 地方自治体も、仕事と家庭とライフワークの一体化を目指す工夫が求められていると思う。若者が集まる魅力的なまちづくりをめざすことが、過疎からの脱出のきっかけとなるだろう。農業、漁業、林業などの第一次産業、あるいは地域の地場産業などへ若者を取り込むための方策、地の利を生かした再生化エネルギーの開発と事業展開、魅力ある文化・芸術・スポーツの普及などが求められよう。そこへ若者や高齢者の集う共同体を作れば、街は活気づくことだろう。
 そういう地道な政策が、結果的に人口減少に歯止めをかけることになるのではないか。そして、今回取り上げた男女間格差(ジェンダー)の是正、真の意味の男女平等を勝ち取ることができるのではなかろうか。
 注・ハンナ・アーレント(ドイツ出身の哲学者・思想家)。ここでの彼女の言は、「〈政治〉の危機とアーレント・佐藤和夫著・大月書店)より引用


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