日本経済新聞の1面最下段のコラム「春秋」は、新聞の性格上、堅苦しい経済の話ばかりかと思うと必ずしもそうではなく、意外と情緒溢れる記述がある。
最近のコラムで「春はひと色ではない」と始まるものがあって、その言葉に詩情が溢れて凄く惹かれた。
確かに春は「ひと色ではない」。
春というのは、ポカポカと生温い日が続いたかと思うと、突然、冬の寒さがぶり返し、その寒さに身が縮む時がある。
まぶしい陽光の中で風が鋭く感じられるのも春であり、柔らかな風にぬくむのも春だ。
俳人は前者を「風光る」と呼び、後者を「春風」と詠んだ。(春秋より)
今日は暖かいですね、或いは反対に今日は寒いですねという時候の挨拶を日々の中で交わすのを振り返ると、本当にその通りだと思う。
まさに、春はひと色ではない。
そして・・・・、人生もひと色ではない。
今、僕の友達は丁度そういう年代に差しかかったせいもあるけれど、ひと色ではない人生を送ろうとしている。
KENちゃんは、経営していた老舗旅館から離れることになった。
KAZU君は、長年勤めていたアパレルの会社を辞めた。
少し前になるが、エロシ君は大手の食品会社を飛び出して、本当に旨い食品の製造販売に力を入れている。
misaoは頑張りすぎて、今、その反動に苦しんでいる。
但し、僕の友達は、人生の転機を迎えながらも基本的には元気一杯だ。
ただその元気は、何も見えない若さの勢いだけの元気ではなく、苦渋苦節を経た上での元気だからこそ尊い。
ひと色ではない春は、やがて陽光に包まれた輝いた夏を必ず迎える筈だ。
突っ走ってきた僕の人生も、ひと色で終わることはないだろう。
でも、良い友達に囲まれた僕は、どんな状況を迎えようとも友人達に負けずに元気一杯で行く気概でいる。
<信州にて> 信州の春は名古屋の春とも違う。
最近のコラムで「春はひと色ではない」と始まるものがあって、その言葉に詩情が溢れて凄く惹かれた。
確かに春は「ひと色ではない」。
春というのは、ポカポカと生温い日が続いたかと思うと、突然、冬の寒さがぶり返し、その寒さに身が縮む時がある。
まぶしい陽光の中で風が鋭く感じられるのも春であり、柔らかな風にぬくむのも春だ。
俳人は前者を「風光る」と呼び、後者を「春風」と詠んだ。(春秋より)
今日は暖かいですね、或いは反対に今日は寒いですねという時候の挨拶を日々の中で交わすのを振り返ると、本当にその通りだと思う。
まさに、春はひと色ではない。
そして・・・・、人生もひと色ではない。
今、僕の友達は丁度そういう年代に差しかかったせいもあるけれど、ひと色ではない人生を送ろうとしている。
KENちゃんは、経営していた老舗旅館から離れることになった。
KAZU君は、長年勤めていたアパレルの会社を辞めた。
少し前になるが、エロシ君は大手の食品会社を飛び出して、本当に旨い食品の製造販売に力を入れている。
misaoは頑張りすぎて、今、その反動に苦しんでいる。
但し、僕の友達は、人生の転機を迎えながらも基本的には元気一杯だ。
ただその元気は、何も見えない若さの勢いだけの元気ではなく、苦渋苦節を経た上での元気だからこそ尊い。
ひと色ではない春は、やがて陽光に包まれた輝いた夏を必ず迎える筈だ。
突っ走ってきた僕の人生も、ひと色で終わることはないだろう。
でも、良い友達に囲まれた僕は、どんな状況を迎えようとも友人達に負けずに元気一杯で行く気概でいる。
<信州にて> 信州の春は名古屋の春とも違う。
文章を読んで久しぶりに感動しました。
人生いろいろですが、
『自分が大変な時でも人の事を想いやれる』
昔、知人に褒めて貰えた言葉を大切にしています。
大切にしてたらそれなりのご褒美も貰えています *^_^*
それが今のあたしの活力です。
みんながんばれ。