KEVINサイトウの一日一楽 

人生はタフだけれど、一日に一回ぐらい楽しみはある。

父さんの買ってくれたM社のカメラ

2007年07月20日 | others
地方都市出身の僕は、故郷を後にし、東京の大学で学んだ。

 写真が好きだった僕は、学校の帰り道である大通り沿いのカメラ屋に鎮座するM社の一眼レフを、毎日、ため息をつきながら眺めていた。
 シルバーのメタルで出来た操作部と黒い革張のボディ。ボディは開閉式になっており、ボディを開くと蛇腹が伸びてレンズが飛び出す。その美しいシルエットは、つんと澄ました美人の鼻ようであり、或いはハリウッド映画の女優のバストのようであった。そのカメラの美しい造作と、精巧なメカニックは、僕を惹きつけて止まなかった。

 大学4年の暮れ、それまで手紙など書いたことのない父から下宿に速達が届いた。
 「もう直ぐ、卒業、就職だから、今年の暮れには必ず実家に帰ってきなさい」とその手紙にはあった。

 僕は、毎年、暮れには実家に帰り、大晦日も元旦もきっちり家族と暮らしてきたのに、何故、あらためてこんな手紙を、しかも速達で寄こしたのか、   
 父の行動をいぶかしく思った。

 父の手紙の如何に関らず、僕は例年通り、12月の20日過ぎに在来線で帰省した。
 車窓から見る年末の景色は、例年と何ら変わることはなかった。
 車内で食べる弁当の味も、いつもと同じだった。

 そして、生まれたときから住んでいる木造の古ぼけた実家に着いた。

 一夜明けて朝ごはんを食べていると、普段は無口な父が饒舌に僕に話しかけてくる。あげくの果てに、卒業祝いに何かを買ってやるという。
 僕は、高すぎるかなと思いながらも、思い切ってM社のカメラの名を挙げた。
 意外にも、父は、それは良い買い物だと言う。
 しかも、これから、早速、駅前のカメラ屋に買いに行こうと言う始末だ。

 そんなことで、憧れのカメラがあっさりと僕のものになった。
 憧れの美人に思い切ってプロポーズしたら、案外、簡単にOKしてくれたような感じで、嬉しさの中に少しだけ戸惑いがあった。

 M社のカメラを手にした僕は、毎日、上機嫌で年末の実家を過ごした。

 そして、年の瀬も迫った12月30日に父が倒れた。そして、それこそあっけなく逝ってしまった。
 父は若い頃から心臓が弱く、それが父の立身出世の妨げになっていたわけだが、その持病が急激に悪化したらしい。
 カメラが、文字通り置き土産になってしまった。
 父はまだ50代だった。

 僕は茫然自失となった。しかし、21歳の若さで喪主になった僕に、世間は泣く時間を与えてくれなかった。
 葬儀の準備と執行、初七日の法要。

 そして、父が唯一残してくれた幾ばくかの土地には、複雑な債権、債務がついており、それを弁護士と相談しながら、綺麗にするのに予想以上の時間と労力がかかってしまった。

 僕が東京に戻ったのは、卒業式の十日前だった。

 随分、長く空家にしていた下宿には、たくさんの郵便物が溜まっていた。
 その郵便の束から一枚の葉書がこぼれ落ちた。

 それは何と父からの年賀状だった。
 父が年賀状をくれたのは、後にも先にもこれが唯一だった。
 父は明らかに自分の死期を悟っていたのだ。
 そして、この官製年賀葉書は、何とお年玉くじの2等に当たっており、僕は毛布を貰った。
 父の息子に対する強い思い、魂が、こんな奇跡のような出来事を起こしたとしか思えない。

 三月というのに底冷えする下宿の一室で、僕は毛布にくるまり、M社のカメラを撫でながら、泣いた。

 父は若い頃からの療養生活で、僕に父親らしいことが出来なかったことが悔しかったに違いない。
 僕には、よその子供のように父とキャッチボールした思い出も、大きな背中におぶわれた記憶もない。
 しかし、寂しいのは僕でなく、父の方だった。

 僕は、そんな父の思いを最後の最後になって痛感し、改めて自分の中での父の存在の大きさを感じた。
 ろくに父と語り合わなかったことを悔いた。

 M社のカメラを思い出すと、今でも涙が出てくる。

 父さんの買ってくれたM社のカメラ。



日経新聞7月19日夕刊
連載「こころの玉手箱」第三話 NTTドコモ元会長 大星公二氏「父が買ってくれたマミヤのカメラ」を読んで、涙が止まらなかった。
殆ど丸写しだが、自分なりに脚色してみた。
脚色というより、改悪になってしまったが・・・。







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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ウェ~ン (sato)
2007-07-21 09:30:08
朝から泣けてきた~。
返信する
どこがどう変わったのか? (いそちゃん)
2007-07-21 10:23:22
日経の夕刊はとっていないので、この連載のことは
知りませんでした。
とてもいい話ですが、KEVINさんがどう脚色されたのかとても興味があります。
どこかで夕刊をゲットしなきゃ。
返信する
脚色 (Kevin)
2007-07-21 18:34:37
Iso ちゃん

マジに恥ずかしいです。脚色なんて大げさなモノではないないです。ほとんど丸写しですから深読みしないで下さい。あー本当に恥ずかしい。
返信する
父親 (魔人ブゥ)
2007-07-23 21:32:00
大切なお話しだと思いました。

父親の大きな背中を常に見ながら
育ってきたんだと子供を持った今、
ようやく感じつつあります。
キャッチボールやサッカーを二人の
子供とするのが僕の夢なのですが
簡単に叶うようでいて、一方で
とても大切な時間なんだと思いました。
改めて気付かせていただいてありがとう
ございます。

KEVINさんがどう脚色されたのかも気に
なりましたが・・・。
返信する
両面 (Kevin)
2007-07-24 19:17:01
魔人ブゥさん

僕の脚色は、ともあれ、父を思う子供の立場からの自分と、子供を持つ親としての自分。

その両面にシンパシーを感じながら、この話を紹介しました。

あなたの父上も沖縄出身のベテラン、フォークシンガーを追いかけている素敵な方だそうですね!
返信する
そうです (いそちゃん)
2007-07-27 10:19:46
「あなたの父上も沖縄出身のベテラン、フォーク
 シンガーを追いかけている素敵な方だそうです  ね!」

その通りです! すごくエネルギッシュな若々しい
方です。
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