日経新聞の「私の履歴書」は毎日欠かさず読んでいる。
今月は、遠州茶道宗家 小堀宗慶氏の履歴書だ。
茶道をたしなむほど僕は洗練されておらず、不勉強ながら氏のお名前さえ初めて聞く不勉強ぶりだ。
正直、今月の「履歴書」はきついかなと思った。
しかし…。
今、連載中の履歴書は凄まじい内容に充ち充ちている。
大陸で終戦を迎えた氏は、ソ連軍にだ捕され、シベリアへ連行される、
そして、悪名高きシベリア収容所に抑留され、極寒のもとで重労働を強制される。
死亡率6割とも7割とも云われる環境の中で、氏は子供の頃から培った知恵、知識を駆使しながら、小隊長として部下を率い、サヴァイヴァルしていく。
その過程が毎日、克明に記述されていく。
『まずは、火種確保と凍傷との闘い。
子供の頃、火打石で切り火をしたのを思い出し、鉄のような金属と硬そうな石を打ち合わせた時に一番具合良く火花が飛ぶことを見つける。
その火を衣服の綿を使って熾そうとするが上手くいかない。そこでサルノコシカケを乾燥し試したら、傘の裏の網目状の部分にうまく火が回った。それで火種を確保することに成功する。
極寒時の野外作業で一番恐いのは凍傷だ。汗や雪解けの水のついた手足をよくぬぐっておかないとたちまち凍傷にやられてしまう。
指先は直にローソクのように白くなる。そこで白くなったら雪でゴシゴシとこする。するとぽーっと血が通いだして凍傷にかからないことを学ぶ。作業中、仲間の顔を見て、鼻先や耳が白くなりかけたら「おい、鼻ッ」「おい、耳ッ」と怒鳴りあいながら雪をつかんでお互いにこすりあって凍傷から免れた。
生きるうえで、もっとも重要なのは食料の確保である。支給される粗末な食料だけでは生き延びることが出来ない。
自然界に有るありとあらゆる食べられるものを探した。
夏の間はシベリアでもユリの花が咲いた。ユリ根を掘り出して、ゆでて団子にして食べた。野ばらの実も摘んでジャムにした。キノコもたくさんあったが、中毒が恐いのでロシア人が取る種類をよく見て覚えて、同じ種類のものを取った。松の皮も塩茹でにして食べた。干瓢のような味がした。松の芯にいる芋虫も食べた。作業につかうシャベルをフライパンがわりにして、熱して芋虫をいためて食べた。タンパク源である。蛇も食べた。肉は勿論、こんがり焼いた骨の部分は貴重なカルシウム補給となった。
かわったものでは松脂をチューインガムもようにして食べた。ビタミンを取る助けとなった。
そして思いもかけない甘露は白樺の樹液である。白樺の幹に傷を付けておくと、樹液がしたたりおちてきて、それを飯ごうに受けて飲んだ。この樹液が凍って固まったものはまさしくアイスキャンデーの味がして小躍りしたくなるほどの美味だった。
寝起きする丸太小屋も自分たちで建てなければならない。零下40-50度のシベリアですきま風は命取りだ。精密に壁を作らなくてはならない。しかし、丸太にいくら土を塗りつけても簡単に剥げ落ちてしまう。そこで、シベリア大地を分厚く覆うコケに目をつけた。コケを丸太の間にぎゅうぎゅう詰め、その上に細い板を打ち付けた上で土を塗るとうまくいった・・・・』
僕は人間の本当の価値とは、お金でもモノでも勿論学歴でもなく、何も無い極限の中でも生き残ることの出来る生命力と、理不尽に襲いかかってくる暴力を排除する力にあると思っている。
それは、究極的に肉体的な力に依存する。
僕には、残念ながらそんなに強い肉体は無い。
そして僕と同じように強い肉体を持っているはずのない茶道の名家の苦労知らずの跡取り坊ちゃんが、はからずしも追いやられたシベリヤという極限の中で生き延びていく。
小堀氏は書く。
『強さとは、単に体力のことだけではない。子供の頃から身につけた知識や知恵が、シベリア生活で私の武器になった。生きて日本に帰還する一助になった。』
この言葉は重い。
氏が身につけていたのが本当の知識や知恵であり、僕を含め多くの人の頭に詰まっているのはジャンクな情報であり、知識や知恵ではない。
そんなことを考えているときに領海侵犯とやらで、日本の漁船がロシア警備船に銃撃され、船員が一人死亡し、他の乗組員はだ捕された。
日本が戦争に負けたと同時に襲い掛かるように奪っていったのが北方領土だ。
戦火を直接交わしていないのに何十万という人を捕虜としてシベリアへ連行し、過酷な強制労働の果てに殺し、そして本来日本の領土にほかならない場所で漁をする漁師達を領海侵犯という口実で撃ち殺す旧ソ連、ロシアという国は度し難い。
今月は、遠州茶道宗家 小堀宗慶氏の履歴書だ。
茶道をたしなむほど僕は洗練されておらず、不勉強ながら氏のお名前さえ初めて聞く不勉強ぶりだ。
正直、今月の「履歴書」はきついかなと思った。
しかし…。
今、連載中の履歴書は凄まじい内容に充ち充ちている。
大陸で終戦を迎えた氏は、ソ連軍にだ捕され、シベリアへ連行される、
そして、悪名高きシベリア収容所に抑留され、極寒のもとで重労働を強制される。
死亡率6割とも7割とも云われる環境の中で、氏は子供の頃から培った知恵、知識を駆使しながら、小隊長として部下を率い、サヴァイヴァルしていく。
その過程が毎日、克明に記述されていく。
『まずは、火種確保と凍傷との闘い。
子供の頃、火打石で切り火をしたのを思い出し、鉄のような金属と硬そうな石を打ち合わせた時に一番具合良く火花が飛ぶことを見つける。
その火を衣服の綿を使って熾そうとするが上手くいかない。そこでサルノコシカケを乾燥し試したら、傘の裏の網目状の部分にうまく火が回った。それで火種を確保することに成功する。
極寒時の野外作業で一番恐いのは凍傷だ。汗や雪解けの水のついた手足をよくぬぐっておかないとたちまち凍傷にやられてしまう。
指先は直にローソクのように白くなる。そこで白くなったら雪でゴシゴシとこする。するとぽーっと血が通いだして凍傷にかからないことを学ぶ。作業中、仲間の顔を見て、鼻先や耳が白くなりかけたら「おい、鼻ッ」「おい、耳ッ」と怒鳴りあいながら雪をつかんでお互いにこすりあって凍傷から免れた。
生きるうえで、もっとも重要なのは食料の確保である。支給される粗末な食料だけでは生き延びることが出来ない。
自然界に有るありとあらゆる食べられるものを探した。
夏の間はシベリアでもユリの花が咲いた。ユリ根を掘り出して、ゆでて団子にして食べた。野ばらの実も摘んでジャムにした。キノコもたくさんあったが、中毒が恐いのでロシア人が取る種類をよく見て覚えて、同じ種類のものを取った。松の皮も塩茹でにして食べた。干瓢のような味がした。松の芯にいる芋虫も食べた。作業につかうシャベルをフライパンがわりにして、熱して芋虫をいためて食べた。タンパク源である。蛇も食べた。肉は勿論、こんがり焼いた骨の部分は貴重なカルシウム補給となった。
かわったものでは松脂をチューインガムもようにして食べた。ビタミンを取る助けとなった。
そして思いもかけない甘露は白樺の樹液である。白樺の幹に傷を付けておくと、樹液がしたたりおちてきて、それを飯ごうに受けて飲んだ。この樹液が凍って固まったものはまさしくアイスキャンデーの味がして小躍りしたくなるほどの美味だった。
寝起きする丸太小屋も自分たちで建てなければならない。零下40-50度のシベリアですきま風は命取りだ。精密に壁を作らなくてはならない。しかし、丸太にいくら土を塗りつけても簡単に剥げ落ちてしまう。そこで、シベリア大地を分厚く覆うコケに目をつけた。コケを丸太の間にぎゅうぎゅう詰め、その上に細い板を打ち付けた上で土を塗るとうまくいった・・・・』
僕は人間の本当の価値とは、お金でもモノでも勿論学歴でもなく、何も無い極限の中でも生き残ることの出来る生命力と、理不尽に襲いかかってくる暴力を排除する力にあると思っている。
それは、究極的に肉体的な力に依存する。
僕には、残念ながらそんなに強い肉体は無い。
そして僕と同じように強い肉体を持っているはずのない茶道の名家の苦労知らずの跡取り坊ちゃんが、はからずしも追いやられたシベリヤという極限の中で生き延びていく。
小堀氏は書く。
『強さとは、単に体力のことだけではない。子供の頃から身につけた知識や知恵が、シベリア生活で私の武器になった。生きて日本に帰還する一助になった。』
この言葉は重い。
氏が身につけていたのが本当の知識や知恵であり、僕を含め多くの人の頭に詰まっているのはジャンクな情報であり、知識や知恵ではない。
そんなことを考えているときに領海侵犯とやらで、日本の漁船がロシア警備船に銃撃され、船員が一人死亡し、他の乗組員はだ捕された。
日本が戦争に負けたと同時に襲い掛かるように奪っていったのが北方領土だ。
戦火を直接交わしていないのに何十万という人を捕虜としてシベリアへ連行し、過酷な強制労働の果てに殺し、そして本来日本の領土にほかならない場所で漁をする漁師達を領海侵犯という口実で撃ち殺す旧ソ連、ロシアという国は度し難い。
「私の履歴書」読み始めました。
最初から読んでなかったことが残念です。
図書館に行って、最初から読んでみたいと思っています。