ライアーという小さな竪琴のクリスマスコンサートを
聴きに行っていました。
初めて触れるライアーの音色。
ライアーを抱く姿と、弦をなでる仕草がとても優しく
やわらかく感じられる楽器でした。
そう、弦を弾くではなく“なでる”感じだったのが不思議でした。
15人くらいでの演奏で、全体の響きとしては
想像と少し違っていたために戸惑いがあり、
いまひとつ入り込めなかったのが残念。
その戸惑いが、演奏に寄るものなのか、
ライアー自体の音に寄るものなのかは今はわからず。
演奏していた場所も、客席のあるようなホールの方ではなく、
入り口を入って正面のいわゆるロビーのようなところだったので、
それも戸惑いの原因のひとつになってしまったんですよね。
(どうやらそこも演奏できるような音響設計になっているようなのですが)
ケロヨンもおしゃべりを始めてしまったので
結局30分ほどしか聞くことができなかったけれど、
今度はソロや少人数のアンサンブルでじっくり
その音色を聴いてみたいな。
生の演奏を聴きながら、昔、吹奏楽をやっていたころを思い出したりしました。
和やかな雰囲気でやって楽しい演奏もあれば、
厳しい中から生まれる素晴らしさもやっぱりあって、
それは音楽に限らずいろいろなものに当てはまるのではないかと思います。
自分の中に厳しさも楽しさも忘れずに、
今、やっていることを一生懸命やろうって襟を正してみたりして。
楽しくても厳しくても、
真剣でなければ伝わらないんですよね、何に於いても。
来年も頑張るぞー。
聴きに行っていました。
初めて触れるライアーの音色。
ライアーを抱く姿と、弦をなでる仕草がとても優しく
やわらかく感じられる楽器でした。
そう、弦を弾くではなく“なでる”感じだったのが不思議でした。
15人くらいでの演奏で、全体の響きとしては
想像と少し違っていたために戸惑いがあり、
いまひとつ入り込めなかったのが残念。
その戸惑いが、演奏に寄るものなのか、
ライアー自体の音に寄るものなのかは今はわからず。
演奏していた場所も、客席のあるようなホールの方ではなく、
入り口を入って正面のいわゆるロビーのようなところだったので、
それも戸惑いの原因のひとつになってしまったんですよね。
(どうやらそこも演奏できるような音響設計になっているようなのですが)
ケロヨンもおしゃべりを始めてしまったので
結局30分ほどしか聞くことができなかったけれど、
今度はソロや少人数のアンサンブルでじっくり
その音色を聴いてみたいな。
生の演奏を聴きながら、昔、吹奏楽をやっていたころを思い出したりしました。
和やかな雰囲気でやって楽しい演奏もあれば、
厳しい中から生まれる素晴らしさもやっぱりあって、
それは音楽に限らずいろいろなものに当てはまるのではないかと思います。
自分の中に厳しさも楽しさも忘れずに、
今、やっていることを一生懸命やろうって襟を正してみたりして。
楽しくても厳しくても、
真剣でなければ伝わらないんですよね、何に於いても。
来年も頑張るぞー。