赤胴車は2020年度中、青胴車は2023年度までには姿を消す予定なのだそうです。
(↑2005年8月撮影)
僕が初めて阪神電車に乗ったのは、1987年だったような気がします。
小学生の頃は阪神の梅田駅まで電車を見に行った記憶はたまにあるんですが、お小遣いといいますか、交通費は家から当時通っていた谷町九丁目の視力回復センターまで「きっちり」としか貰っていなかったから、たまには阪神で今津まで出て西宮北口乗り換えで帰ろうというアタマがなかったのは、良くも悪くもおぼっちゃま育ちだったんですかね、あたしは。
1987年に夏の甲子園を見に、当時住んでいた阪急小林から西宮北口で乗り換えて、当時まだ地上駅だった今津へ急曲線で阪神線と並ぶように到着。
甲子園まで乗ったのは、この青胴車でした。
「赤胴車」は急行以上に使われる車両、「青胴車」は各駅停車の車両の愛称で、運用は何があろうと全く分けられているのが阪神の特徴なんですが、青胴車に初めて乗った中学1年生の感想…。
加速がマジでめっちゃ速い(・・;)
発車したかと思ったら、まるでグイグイ引っ張られるようにあっという間にトップスピードまで持っていく加速力は、いつもゆっくりゆっくり加速していたt、いつも親しんでいる阪急電車の加速とは全く違っていて、軽くなんてもんじゃないです、相当な衝撃を覚えました。
当時でも鉄道ファンだったから、阪神の各駅停車5500系が「ジェットカー」と呼ばれているほどの加速力を誇っているということは知ってはいたんですが、まあびっくりしましたねえ。
実際に知っているのと体験したことがあるのとでは全く違うという話ですな。
甲子園を見た帰りは、なぜか尼崎までジェットカーに乗り、尼崎で後から来た特急に乗り換えたら、特急から降りてきたおっちゃんにぶつかられて、「ワレどこ見て歩いとるんやゴルァ!!」と、めちゃくちゃこってこてな大阪弁で怒鳴られたのがなぜか大きく記憶に残っております。もしかしたら尼崎競艇の帰りの客だったのかしら?
その後、折に触れて阪神電車にはお世話になってはいるんですが、赤胴車にはお目にかからなかった、とうか当たらなかったというか。
以下2枚は2009年8月、あたしの母校八千代東高校が甲子園に出場した際に、西宮北口ガーデンズに寄り道した際に撮影したもの。
こちらは赤胴車の傍系。
生粋の阪神ファンからは「読売電車」と嫌われている、オレンジの優等列車カラー。
このところ赤胴車の影をすっかり見かけなくなったと思ったら道理で、赤胴車の本線壮行は2015年にすでに終了しており、残るは青胴車だけだったのだ。
先にも触れたとおり、赤胴車は武庫川線に残る車両が、来る2020年度に、青胴車はもう少し息が長く、2023年度の置き換えを予定しているのだとか。
とはいっても赤胴車の武庫川線専用車両はもうお目見えしているから、余命いくばくもないと考えたほうがよろしそうで。
赤胴車と青胴車がいなくなったら、それこそ阪神電車じゃなくなっちゃうような気がしますが、これも時の流れでしょう。
最後まで、達者で走ってほしいものであります。
(↑2005年8月撮影)
さよなら阪神の赤胴車、青胴車 昭和のツートンカラー完全引退へ
高度経済成長期から阪神沿線を彩り、60年以上親しまれてきたツートンカラーのベテラン車両が引退することが分かった。クリームと赤の色使いから「赤...
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高度経済成長期から阪神沿線を彩り、60年以上親しまれてきたツートンカラーのベテラン車両が引退することが分かった。クリームと赤の色使いから「赤胴車」、同じく青の「青胴車」と呼ばれる阪神電気鉄道(大阪市)の車両で、老朽化のため、2023年度までに順次運行を終える。
「赤胴車」は1958(昭和33)年から用いられた。外装の上半分がクリーム色、下半分が赤色で、国民的人気の漫画キャラクター「赤胴鈴之助」にちなみ愛称が付いたという。
かつては本線(梅田−元町)、武庫川線(武庫川−武庫川団地前)、旧・西大阪線(尼崎−西九条)を急行などとして走った。しかし西大阪線が大阪難波まで延伸してなんば線となった09年に同線の運行を後継に譲り、15年には本線からも退き、現在は8両が武庫川線でのみ各駅停車で走行している。
青胴車は赤胴車導入の翌59年に登場。本線と西大阪線の普通用車両に使われ、今も本線を走る。加速・減速の性能が優れていることから「ジェット・カー」とも呼ばれる。
同社によると、現在の赤胴車と青胴車は製造から約40〜50年がたち、老朽化が進む。赤胴車は20年度中に順次運行を終え、黄や緑色などを基調とした別の車両に替わる。32両ある青胴車は23年度までに、青色主体の新型車両、通称「ジェット・シルバー」に置き換えられる。
沿線住民らの生活を半世紀以上支え、昭和、平成にかけて阪神電車のイメージカラーとして定着していた赤胴と青胴が、令和のはじめに姿を消す。「(なくなることに)寂しさはある」と同社の担当者。車両の色は時代背景に合わせて変えてきたといい、「新しい色に期待してほしい」と話している。
僕が初めて阪神電車に乗ったのは、1987年だったような気がします。
小学生の頃は阪神の梅田駅まで電車を見に行った記憶はたまにあるんですが、お小遣いといいますか、交通費は家から当時通っていた谷町九丁目の視力回復センターまで「きっちり」としか貰っていなかったから、たまには阪神で今津まで出て西宮北口乗り換えで帰ろうというアタマがなかったのは、良くも悪くもおぼっちゃま育ちだったんですかね、あたしは。
1987年に夏の甲子園を見に、当時住んでいた阪急小林から西宮北口で乗り換えて、当時まだ地上駅だった今津へ急曲線で阪神線と並ぶように到着。
甲子園まで乗ったのは、この青胴車でした。
「赤胴車」は急行以上に使われる車両、「青胴車」は各駅停車の車両の愛称で、運用は何があろうと全く分けられているのが阪神の特徴なんですが、青胴車に初めて乗った中学1年生の感想…。
加速がマジでめっちゃ速い(・・;)
発車したかと思ったら、まるでグイグイ引っ張られるようにあっという間にトップスピードまで持っていく加速力は、いつもゆっくりゆっくり加速していたt、いつも親しんでいる阪急電車の加速とは全く違っていて、軽くなんてもんじゃないです、相当な衝撃を覚えました。
当時でも鉄道ファンだったから、阪神の各駅停車5500系が「ジェットカー」と呼ばれているほどの加速力を誇っているということは知ってはいたんですが、まあびっくりしましたねえ。
実際に知っているのと体験したことがあるのとでは全く違うという話ですな。
甲子園を見た帰りは、なぜか尼崎までジェットカーに乗り、尼崎で後から来た特急に乗り換えたら、特急から降りてきたおっちゃんにぶつかられて、「ワレどこ見て歩いとるんやゴルァ!!」と、めちゃくちゃこってこてな大阪弁で怒鳴られたのがなぜか大きく記憶に残っております。もしかしたら尼崎競艇の帰りの客だったのかしら?
その後、折に触れて阪神電車にはお世話になってはいるんですが、赤胴車にはお目にかからなかった、とうか当たらなかったというか。
以下2枚は2009年8月、あたしの母校八千代東高校が甲子園に出場した際に、西宮北口ガーデンズに寄り道した際に撮影したもの。
こちらは赤胴車の傍系。
生粋の阪神ファンからは「読売電車」と嫌われている、オレンジの優等列車カラー。
このところ赤胴車の影をすっかり見かけなくなったと思ったら道理で、赤胴車の本線壮行は2015年にすでに終了しており、残るは青胴車だけだったのだ。
先にも触れたとおり、赤胴車は武庫川線に残る車両が、来る2020年度に、青胴車はもう少し息が長く、2023年度の置き換えを予定しているのだとか。
とはいっても赤胴車の武庫川線専用車両はもうお目見えしているから、余命いくばくもないと考えたほうがよろしそうで。
赤胴車と青胴車がいなくなったら、それこそ阪神電車じゃなくなっちゃうような気がしますが、これも時の流れでしょう。
最後まで、達者で走ってほしいものであります。
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