海老名から甥が遊びに来た。家から車で15分。隣町の宇津ノ谷の旧東海道の宿跡へ散歩。目と鼻の先には国道1号、連休で混雑の中を通り過ぎて行く。そんな一歩裏側に素敵な所が潜んでいるものです。コバルトブルーの空に椎木の新芽がモコモコと、まるでメロンパンの様だ。四方八方から「ホー、ホケキョウ」観光地に成り得る地域なのに人っ子一人いない。時折住人がちらほら。その内5人ほどの女性達がハイキングに街道にやって来た。近くには明治、大正の昔の国道1号のトンネルがある。明治のトンネルは国指定。ここには江戸、明治、大正、昭和、平成のそれぞれの街道が折り重なっている珍しい所だ。でもみんな通り過ぎて行く。だから、のんびり楽しいのだ。
江戸時代を彷彿する旧東海道宇津ノ谷宿、ここからう数キロ先は丸子宿、駿府城へ続く。
この街道を数々の大名行列か抜けて行った。幕末の討幕の志士なども抜けていった。秀吉の立ち寄った羽織屋があった。
北条小田原攻めの豊臣秀吉が家主に世話になったお礼に、帰路に陣羽織を置いて行った。その後諸大名が抜ける度に、それぞれの城主が羽織を仰ぎ、記録の書や品物を残していった。お年寄りが懇切丁寧に説明してくれる。年代から、なにから、なにまで、よくここまで記憶しているものだと感心した。
この急坂を上って峠越えして、岡部の宿へ向かった。江戸時代の旅人もようが、グッと近づいた。
大正時代のトンネルは内部が一部崩壊したのだろう、現在侵入禁止だったが、それより前のレンガの国指定の明治のトンネルは健在だった。技術が上だったのかな。
ここが昔の国道一号なんだ。ガス灯の様なオレンジ色の灯りがレトロナ雰囲気にさせる。のんびり、穏やかな休日の一時だった。
江戸時代を彷彿する旧東海道宇津ノ谷宿、ここからう数キロ先は丸子宿、駿府城へ続く。
この街道を数々の大名行列か抜けて行った。幕末の討幕の志士なども抜けていった。秀吉の立ち寄った羽織屋があった。
北条小田原攻めの豊臣秀吉が家主に世話になったお礼に、帰路に陣羽織を置いて行った。その後諸大名が抜ける度に、それぞれの城主が羽織を仰ぎ、記録の書や品物を残していった。お年寄りが懇切丁寧に説明してくれる。年代から、なにから、なにまで、よくここまで記憶しているものだと感心した。
この急坂を上って峠越えして、岡部の宿へ向かった。江戸時代の旅人もようが、グッと近づいた。
大正時代のトンネルは内部が一部崩壊したのだろう、現在侵入禁止だったが、それより前のレンガの国指定の明治のトンネルは健在だった。技術が上だったのかな。
ここが昔の国道一号なんだ。ガス灯の様なオレンジ色の灯りがレトロナ雰囲気にさせる。のんびり、穏やかな休日の一時だった。