著者2人の会話は、歩きながら思いついた他愛のないことを言い合っているようだ。
ナビゲータ辻本氏の話
明治になって廃仏毀釈が三重県と和歌山県で特に強力に推し進められた。熊野三山でかろうじて残っているのが那智の青岸渡寺。本宮にももともとはかなりの数のお寺があったがほとんど残っていない。(新宮の)神倉山も、仏像はぜんぶ谷に捨てられてしまった。徹底して仏教を排斥した。
ナビゲータ新宮市観光協会森本氏の話
商業都市として発展してきた新宮の背景には熊野川沿いの山林が生み出す富があったんです。ですから、(熊野)本宮の人たちにとっては、新宮に富を吸い取られているという感覚があるように思います。だからあんまり関係がよくなくて、市町村合併のときに、本宮町は新宮市ではなく田辺市と一緒になった。
釈徹宗の話
熊野信仰を日本中に拡大させたのは、(中世の念仏者・一遍が開いた)時宗の人たちと、熊野比丘尼です。小栗判官を熊野の地まで引っ張ってきたのも時宗の人たち。一遍の仏道では信じる人も信じない人も、神様も仏さまも道教も儒教もすべての境界が解けて南無阿弥陀仏になる一元化仏道。