朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

私の両親(おまけ)

2020-11-29 11:41:41 | 毒親のこと

30代で結婚した私は地元を離れ、夫と2人の子供と一緒に現在東京で暮らしています。

結婚すること、実家を出ることは母に報告しました。(母の子としてキチンと筋を通したつもりです。)

上の子が2歳くらいの頃、母が上野に来るというので数年ぶりに会いました。会話に困るのを避けるため、待ち合わせは上野動物園にしました。その頃私は下の子を妊娠していました。

ちょうどお昼寝の時間だったので上の子はベビーカーの中で眠っていました。

母と待ち合わせして動物園に入って間もなく、上の子が目を覚ましました。

見慣れない場所と、初めて見る母の顔…(我が子にからしてみれば祖母)そして寝起き。

訝しげな表情を浮かべる我が子に対して母が一言。

「えっ、この子…ちょっと…(なんかあるんじゃない?的なものの言い方)」

「あら~起きたの?」でも「はじめまして」でもなく、孫に対しての第一声がこの一言。

その後も動物を見ながら母は今の暮らしの苦労話をします。母の住むアパートの住民が、他の住民の“生活音”に対して細かくクレームを入れてくるのだとか。母もミシンを使っている時に何度かクレームを言われたそうです。あまりにも細かいので引っ越しを考えたとこもある…と話す母。

「もし引っ越しをする時は(手続きなど)福祉の方が手伝ってくれるの?」と聞くと。

「普通は血縁関係がやるもんでしょ。乳飲み子をおぶってでも(手続きに)来るものよ」と母。

確かに道理でものを言えばそうかもしれません。

“妊娠中の娘にそれを言う!?あなたは私を妊娠してる時も出産したときも亡くなった祖母から上げ膳据え膳で世話をしてもらったでしょうけど、こっちは上の子を出産、退院直後から炊事洗濯をして四苦八苦の毎日でしたよ!!”

私は心の中でそう叫びました。

 

時間も夕方近くなり、「ベビーカーで電車に乗るの大変だから」といって母と別れました。

はっきり言って会わなければよかった。

一目孫の顔をみせてあげたいな。と思った私が馬鹿でした。あの日以降、母には会っていません。

ちなみに父は…第二の人生をのんびりと過ごしています。(家のローンも母の借金も無事返済しました)

 

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母に「この子…ちょっと…」と言われた我が子ですが、現在は鬼滅の刃と図工と習い事が大好きな、どこにでもいる普通の小学生です。年々「ほらー、あれだよ…なんだっけ」と“あれそれ”で話す私のよきブレーンとして非常に助かっています



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