昨日の夕方、母から電話がかかってきました。
私が結婚して地元を離れて十数年。
どういう訳なのか、私の宿命なのか
私が日常生活にささやかな幸せを感じていると母から電話がかかってきます。
はじめの頃は電話に出ていました。
電話の内容は今までの恨み辛みです。
「私は不幸だった」
「私は恵まれていなかった」
「だけど私は人の為に尽くしてきた」
「なのに報われない人生だった」
あぁ…なんだかこうしてブログに書くことも馬鹿馬鹿しくなります。
この人はなんでこんなことしか喋れないんだろう。
「年をとってからの立振る舞いは人生の成績表」
私がいつも心に留めている言葉ですが、母は本当に残念な立振る舞いをしています。
母の恨みつらみの負のオーラが電話線を通ってこちらまで届きそうでした。
実際、母からの電話の後は肩に憑き物でもついたのかと思うほど疲れました。
でも母の恨み節を聞いてあげることが、私が唯一できる“親孝行”なのかな…と言い聞かせ我慢していました。
でも我慢の限界。このままでは私の心まで飲み込まれてしまう。
私がいま一番大切にしなければいけない人たちを不幸にしてしまう。
私が会社員だったころ、私は母に「中途半端に接してこないで」とよく言われました。
母がいう「中途半端」が未だによくわからないし、母から言われた「中途半端」がその後の私の人付き合いにも影響しています。
「私の言動は中途半端なのかな?」
「本当はちょっとしんどくなってきてるけど、もう少し頑張らなきゃだめなのかな?」
幼稚園でのママ友付き合い、PTAの役員のこと…加減がわからなかったし、自信がなかった。人の目が気になって、他人からの評価が怖かった。
幼稚園のママ友付き合いとPTAで余裕がなくなって、子育てでも色々あって、ここ数年は母からの電話にも出ませんでした。
よほどのことなら留守電にメッセージが入るだろうし、もしもの時は母がお世話になっている福祉から電話がかかってくるだろうし。
実際、一昨年母が引っ越すことになり福祉の方から私の元に電話がかかってきました。
私は「新しい住所は教えていただかなくて結構です。私は母に何の援助もできませんが、母が最期を迎えた時は身の回りの片付けにいこうと思っています。母がお世話になります。よろしくお願いします。」と伝えました。
話は戻って昨日の夕方。
私のスマホに母から電話がかかってきました。
先々週から家族全員コロナに罹患して、少しずつ“日常”を取り戻してきたところです。
私は咳の症状がまだ続いているため、処方された咳止めを今週いっぱい服用します。
職場から「薬の服用が終わってから職場復帰です」と言われたので今週いっぱい仕事を休まなければいけません。
今回のコロナ罹患で3週間仕事を休みました。生活面に影響がでちゃうな…切り詰めた生活をしなくちゃいけないな…と少し不安を感じていました。
それでも、子ども達が学校に登校できること。持病持ちの私が重症化しなかったこと。大黒柱の夫が高熱を出さずにすんだこと。この程度ですんでよかったと思っています。
そんな時に母からの電話。
2回かかってきても留守電には何もメッセージが残されていません。
それからしばらくして別室にいた夫が家電の子機を持ってわたしの所にやってきました。
「お母さんから…どうする?」(夫は私と母との関係を全て知っています)
「いま出かけてるって言おうか?」と言ってくれましたが、私は母からの電話に出ることにしました。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
「もののけ姫」の中で祟り神の呪いがアシタカの腕に巻きつくように
母からの恨み節の電話は耳から呪いが侵入して私の心を蝕みます。
私は母が望むような親子関係は築けないし、母が「中途半端」というならばもう私は母との付き合いを「ゼロ」にするしかない。
それを「親不孝」と思っても構わない。
なのにどうして私を放っておいてくれないの。もう親離れ子離れしたいよ。
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