朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

母と祖父の話④

2022-06-29 20:45:42 | 毒親のこと

祖父の車を廃車にしてくれた業者さんに向かう車の中でも祖父と母は言い争います。
母はまるで今まで祖父の面倒を見てきたかのような口振りで祖父を責め立てました。
しかし、今まで祖父の身の回りの世話をしてきたのは亡くなった祖母と同居している“いとこちゃんのお母さん”です。
母は実の両親、義理の両親、双方と同居をしたこともなければ、所謂“介護”などもしたことがありません。
“小姑が居ては兄貴に嫁さんがこない”と理由をつけて“できちゃった結婚”をした母。
“お父さんの実家からは何の援助も受けてない”、“お父さんは中学しか出てない”と父に対していつも文句をいいますが、限界集落で生まれ育った6人兄弟の父。
確かに裕福な家庭ではありませんが、逆を言えば“煩わしさ”もありません。実際母には同居も介護の心配もありませんでした。さらに父の親族を“毛嫌い”していた母。離婚するずーっと前から父の親族には会っていません。
自分達の生活だけを考え、守っていけばよかったのに…

廃車工場に到着後、業者の方に祖父の車の場所まで案内をしていただきました。「解体する前でよかったですね~」と業者さん。
一昨日、父や伯父さんと来たときには気付きませんでしたが、改めて祖父の車を見ると車体のアチコチに大小様々な傷やへこみがついていました。
車の運転が大好きだった祖父。
祖父の車はいつもピカピカで、車内もゴミひとつ落ちていない記憶があります。暇さえあれば車のマットを外してパンパンとはらっていました。一昨日も「けめこの車はリッター何キロ走るんだ?」など車に関する話題を話しました。そんな祖父の車が傷だらけ…
祖父から車を取り上げるのは本当に残念ですが、伯父さんの判断は正しかったと思います。
そして、肝心の“お金”ですが…
なんと祖父の言うとおり本当にお金が出てきました。
マットの下
座席の隙間
トランクのドアの窪み
まるで“ヘソクリ”ですΣ(゚ロ゚;)
祖父は悲しい声で「直せば乗れるのに」と言いながら車内のアチコチから“ヘソクリ”を取り出していました。
母は宝さがしでもしてるかのようにキャッキャと興奮しながらお金を探していました。ここに来るまでの争いがウソのようです。

祖父が満足するまで車の中を捜索し、別れを惜しむように廃車工場を後にしました。
時間はお昼を少し過ぎていました。
私は伯父さんに連絡を入れ、祖父をどのように帰すか相談しました。伯父さんは「駅まで俺が迎えに行くから新幹線に乗せちゃって」と言いました。
「おじいちゃん一人で乗せちゃって大丈夫ですか?」
「大丈夫。探したい物も見つかって満足してるから心配ない。ホームで待ってるから乗った時間と座席を後で教えて」

伯父さんとの電話を終えた後、私たちは駅の近くの中華料理店で食事をしました。
ここで私は母の“嫌なところ”を見ます。
3人それぞれ違うメニューを頼み、料理が運ばれてきました。
この時わたしが注文した料理のお肉がほんの少しだけ“冷凍焼け”のような臭いがしました。
ちょっと臭うかな?…でもまぁ、いっか…と思いながら食べていると、私の異変に気づいた母が「どうしたの?」と聞いてきました。
「お肉が少し臭うんだけど、でも大丈夫。」
その会話を聞いていた祖父が「なんだ?なんだ?」と聞いてきましたが、面倒なトラブルは起こしたくないと思い「なんでもないよ。大丈夫だよ。」と答えました。
食べ終わって会計をする時、レジで財布からお金を出してる私に向かって「あのことを言ったら?」と母が言いました。
お店の方が「なにかありましたか?」と尋ねてきたので「お肉が少し“冷凍焼け”のような臭いがしました。でも大丈夫でした(食べられました)」と伝えました。
祖父はこの会話が聞き取れたのか「悪くなった物をだすのか!」と怒りのスイッチが入ってしまいました。迎えに行ったファーストフード店同様、このままでは収拾がつかなくなります。
お店の方もオロオロしています。
私の後ろにはお会計を待っている人がいます。
私は「おじいちゃん大丈夫だから」と宥めている時、ふと母の顔を見ると、母は上目遣いでニヤニヤと“さぁどうするの?”といった表情で店員さんを見つめていました。
本当に嫌な表情でした。
わが母ながら残念すぎる表情でした。
料理を食べたのは私
大丈夫と言ったのも私
会計を支払うのも私です。
私が“大丈夫”と言ってるのだから、これ以上“おおごと”にしたくないのに。
祖父を連れて先に駐車場に行って欲しいのに。
仕事中の私を呼び出し、早退させ、自分の実家、自分の親のことなのに伯父への連絡も何もかも私に丸投げ。なのに祖父に対して“私はおじいちゃんに尽くしてきた”と言う母。
いまこうして当時を振り返っても母の言動が理解できません。
そしてオロオロする店員さんをニヤニヤ見つめる母の表情が脳裏にこびりついて離れません。私も自分が気付かないうちにあんな表情をしてるのかな…本当に嫌だ。


ブログをご覧いただきありがとうございます。
その後祖父を新幹線に乗せ、伯父さんと連絡をとり、祖父は無事に帰宅できました。
車を廃車し、運転免許を返納した祖父は認知症が進行し家の留守を任せることが出来なくなったそうです。間もなく施設に入居しました。
大好きな祖母もいません。
道に迷いながら会いにいった母は祖父の気持ちに応えませんでした。
祖父の“命の灯”はどんどん小さくなってしまったのかもしれません。
桜の花がチラチラと散り始めた季節に祖父は空へと旅立ちました。
母は祖父の葬儀には来ませんでした。