昨日も大忙しでしたぁ!
昨日開催された第一回の梅津文化フェスティバルに行きました。
ケメコはうすが完成した5年ほど前からのお付き合いがある
立命の産業社会学部の乾ゼミが協力している梅津のまちづくり。
乾先生からこのイベントの第二部である梅津カーニバルに来て
予算がないけどとフォークソングを歌って欲しいと頼まれ
ビールを飲ましてもらえればと引き受けました。
実は最近出張演奏が多くなったのでハードのギターケースだと重いので
リュックサックのように背中に背負えるソフトケースを購入したので
ちょっと遠くて心配でしたが自転車でよろよろと出かけました。
会場の梅津小学校は嵐山の南側、松尾橋の東に位置するところです。
乾先生の説明によると平安期から、梅の宮大社まえから千代の古道を経て
嵯峨野にいたる街道が通っていたところで、江戸末期には、西高瀬川が開削されるまで、
京北から保津川を下った材木はこの地で桂川から陸揚げされ、
陸路、京の街に運ばれていました
梅津の語源は埋めてつくった港=埋津だという説もあるとか。
今回はその梅津学区で、地域の歴史と今に残る文化を見直し、
ついでに新しい文化を発信してまおう、というイベントです。
昨日ぼくが出くわしたいろんな体験はボリュウムが多いので
今日と明日の2回に分け今日は「七つくど」のお話です。
明日はぼくもステージで歌った「梅津カーニバル」をレポートします。
「七つくど」
七つ!どつくぞ!ではありません。
七つのおくどさん!です。
おくどさん。は分かりますよね。
おくどさんはいわゆる「かまど」です。
ガスもオール電化も無かった時代のコンロです。
梅津小学校の前にかって材木商を営んでいた江戸期からの住宅「林家」があります。
聞くと築後140年くらいのものすごい建物です。
ちなみにケメコはうすは築後約70年ですからその倍になります。
林家は建物そのものも文化財的価値が高いうえに、
京都近郊でも珍しい「七つくど」(7連のおくどさん=かまど)が
そのままの形で、土間や吹き抜けの小屋組みも一緒に残されています。
七つですよ!再び乾先生の説明では
「おくどさんは普通おおくて5つ。7つあるのは庄屋さんなど、
村の共同作業のときに炊き出しをしたりするような屋敷だけだそうです」
ぼくが行ったときにすでに見学会の終わりの頃。
玄関からはいると少し暗くて煙っている広い土間があります。
すこしアールがついた7連のおくどさんが土間に真ん中にあります。
そのうちの二つほどに火が入っていてすでに熾きとなっています。
鉄鍋がかかり湯気が上がっています。
お父さんがおくどさんの前に座り薪をくべます。
壁に取り付けられた神棚にずらりとならんだ布袋さん。
「火要鎮」の書が貼ってあります。
見上げると燻されつづけた大きな梁と吹き抜けの天井。
すべてがなつかしい。
火をみつめながら話をすると心が揺さぶられると言ったのは誰でしたっけ。
みんな無言でただただ炎を見つめていました。
当家のおばあちゃんが学生さんに「私も大学生になりたい」と仰ると
それを聞いていた乾先生が「ぜひ社会人学生でどうぞ!」
ええな!ええな!あんなおばあちゃんが大学生になったらええな!
外へ出るとヨチヨチ歩きの女の子がはしゃいだ声で遊んでいました。
子供と学生とおじさんとおばさんとお年寄り。
年代の壁を越えて多くのひとの笑顔がそこにありました。
今日のケメコ通信ブログ版の写真は「七つくど①~⑦」です。
昨日開催された第一回の梅津文化フェスティバルに行きました。
ケメコはうすが完成した5年ほど前からのお付き合いがある
立命の産業社会学部の乾ゼミが協力している梅津のまちづくり。
乾先生からこのイベントの第二部である梅津カーニバルに来て
予算がないけどとフォークソングを歌って欲しいと頼まれ
ビールを飲ましてもらえればと引き受けました。
実は最近出張演奏が多くなったのでハードのギターケースだと重いので
リュックサックのように背中に背負えるソフトケースを購入したので
ちょっと遠くて心配でしたが自転車でよろよろと出かけました。
会場の梅津小学校は嵐山の南側、松尾橋の東に位置するところです。
乾先生の説明によると平安期から、梅の宮大社まえから千代の古道を経て
嵯峨野にいたる街道が通っていたところで、江戸末期には、西高瀬川が開削されるまで、
京北から保津川を下った材木はこの地で桂川から陸揚げされ、
陸路、京の街に運ばれていました
梅津の語源は埋めてつくった港=埋津だという説もあるとか。
今回はその梅津学区で、地域の歴史と今に残る文化を見直し、
ついでに新しい文化を発信してまおう、というイベントです。
昨日ぼくが出くわしたいろんな体験はボリュウムが多いので
今日と明日の2回に分け今日は「七つくど」のお話です。
明日はぼくもステージで歌った「梅津カーニバル」をレポートします。
「七つくど」
七つ!どつくぞ!ではありません。
七つのおくどさん!です。
おくどさん。は分かりますよね。
おくどさんはいわゆる「かまど」です。
ガスもオール電化も無かった時代のコンロです。
梅津小学校の前にかって材木商を営んでいた江戸期からの住宅「林家」があります。
聞くと築後140年くらいのものすごい建物です。
ちなみにケメコはうすは築後約70年ですからその倍になります。
林家は建物そのものも文化財的価値が高いうえに、
京都近郊でも珍しい「七つくど」(7連のおくどさん=かまど)が
そのままの形で、土間や吹き抜けの小屋組みも一緒に残されています。
七つですよ!再び乾先生の説明では
「おくどさんは普通おおくて5つ。7つあるのは庄屋さんなど、
村の共同作業のときに炊き出しをしたりするような屋敷だけだそうです」
ぼくが行ったときにすでに見学会の終わりの頃。
玄関からはいると少し暗くて煙っている広い土間があります。
すこしアールがついた7連のおくどさんが土間に真ん中にあります。
そのうちの二つほどに火が入っていてすでに熾きとなっています。
鉄鍋がかかり湯気が上がっています。
お父さんがおくどさんの前に座り薪をくべます。
壁に取り付けられた神棚にずらりとならんだ布袋さん。
「火要鎮」の書が貼ってあります。
見上げると燻されつづけた大きな梁と吹き抜けの天井。
すべてがなつかしい。
火をみつめながら話をすると心が揺さぶられると言ったのは誰でしたっけ。
みんな無言でただただ炎を見つめていました。
当家のおばあちゃんが学生さんに「私も大学生になりたい」と仰ると
それを聞いていた乾先生が「ぜひ社会人学生でどうぞ!」
ええな!ええな!あんなおばあちゃんが大学生になったらええな!
外へ出るとヨチヨチ歩きの女の子がはしゃいだ声で遊んでいました。
子供と学生とおじさんとおばさんとお年寄り。
年代の壁を越えて多くのひとの笑顔がそこにありました。
今日のケメコ通信ブログ版の写真は「七つくど①~⑦」です。