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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

あるきんぐクラブは歩き続ける!

2011-10-15 12:36:42 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

 群馬県川場村を拠点に活動する「あるきんぐクラブ」のHPを久々に見てびっくりしました。この地域も放射能に汚染されたため「山の家」を中心とする野外活動計画を一年間全て中止してあたらしい活動のあり方を模索するというのです。リーダーの竹内成光さんの言葉です。

「この春の大震災、そしてさらに6月頃になって<放射能線の値がこの近辺で高い>ということを知りすぐに理事会を開きました。私たちの活動が主に子ども対象で土としっかり交わり・戯れるタイプの活動が多く、中には13泊14日もシート1枚のテントの中で地べた近くに寝るというキャンプや、さらに妊婦や乳幼児も参加するイベントもあるということで、苦渋の判断として、とりあえずイベントを1年間ストップするということになったわけです。大震災に際しては野外活動をしている団体としての能力を発揮して、支援する側に回るという動きを始めていたのですが、なんと、このような状況に。
この藪を抜けるための新しい決断は何なのかを見極めるためにこの1年を使い、希望のある未来につなげたいと思っています。<タケ>」

    出典●「あるきんぐクラブ」http://blog.goo.ne.jp/kaminari56/e/be7c55222bd654756618aa5679a50ced

 竹内さんたちは都会に育ったこどもたちを森に案内して遊ばせるプロ中のプロです。

 

フォトアルバム【野遊び・森遊び】

年間計画を全て中止するというのですから大変な決断です。びっくりしました。しかし、自分の仕事に誇りと責任を持つ人たちにとっては当然のことだったのでしょう。

 近頃、文部科学省が公表したセシウムの汚染地図です。群馬県北部もすっぽりと入っています。

 

 

 

Photo

 出典●http://takedanet.com/2011/10/post_0e5a.html

 竹内さんたちの決断に改めて私たちが置かれている状況を思い知らされました。

 この地図では埼玉県南部は安全地帯のように見えますが狭山茶が汚染され出荷停止になりました。お茶屋さんが倒産し、スーパーや小売店の茶の棚は空っぽです。

3月11日以来、私たちは新しい世界に生きているのです。程度の差はあれ、東電・「福一」がもたらした放射能汚染のただ中で生きていくほかはないのです。

 このことをキモに命じて、どう生きたらよいかを智慧を総動員して模索していくほかはありません。山の家の人たちの偉いのは自分たちが苦難のただ中に置かれているにもかかわらず、常に人々と共にあろうとする姿勢を堅持して活路を見出そうとしているところです。

 ひるまず、立ち止まらず、歩み続ける元気はどこから生まれるのでしょう?


驍(たけし)さんの平穏を祈る

2011-10-14 09:07:12 | 友人たち

10月13日(木)曇

 3泊4日の滞在を終えて伊豆高原~箱根~山中湖~川越と帰ってきました。すっきりとした青空には恵まれなかったものの、妻が天城峠や下田などに連れていってくれ、中空に浮かぶ冨士の姿も見えたので姉にとってはまずまずの伊豆の旅ではなかったのかな。

 北海道十勝池田町の森田農場から今年もじゃがいもが届きました。何十年も続く北の国からのおくりもの。電話でお礼を言いました。珍しく驍(たけし)さんが出たので長話になりました。僕と同じ1941年(昭和16年)生まれです。

 農業からは引退していますが持病が好転せず、散歩途中で苦しくなることもあるということです。片肺の僕よりも肺活量が少ないというのですから心配です。季節の変わり目です。なんとか平穏な日々が続くことを祈らずにはおられません。

 驍さん房子さんご夫婦との付き合いはもうそろそろ半世紀になります。僕が学生だった1962年夏、友人たちと共に池田町に世話になった時以来です。73年夏、池袋商業高校の生徒たちを引率してホームステイをさせてもらうようになってからは格別の世話になってきました。ある年には僕が10日間ぐらい泊めてもらい牛の世話など「農業体験」をさせてもらいました。

 若い頃は4Hクラブなど農村の青年運動のリーダーとして活躍しました。その姿勢は生涯を通して変わることがなかった方ですから、人々と交わることが困難になったという近況はさぞ辛いことでしょう。それでも病は運命と受け入れて淡々と生きておられるようです。「オレも仏様にちかくなってきたかなあ」という言葉が聞かれました。

 驍さん・房子さんご夫婦をはじめ、池田町大森の「農業の先生」たちに僕の定年を祝ってもらったのは02年夏のことです。驍さんには中札内の美術館に連れていってもらい相原求一朗の絵を堪能させてもらいました。

      

    (川越出身の画家・相原求一朗美術館蔵「斜里岳」) 

 来年は10年ぶりにお訪ねしてゆっくりと語り合いたいものだ。驍さんが季節の変わり目をうまく乗り切って平穏のうちに春を迎えられることを祈るばかりです。

 

 (北海道池田町大森「北物語」 北の知友が僕の定年を祝ってくれた)

  ●http://www3.ocn.ne.jp/~kitamono/

 

関連記事  

  片桐正一さん●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/34cd90917f36a409c8a518a26efdb721

 


高知県室戸市?小学校・(故)井上享子先生とこどもたち

2011-10-10 02:13:32 | ふるさと 土佐・室戸

10月9日(日)晴れ

新河岸の「曼陀羅」で姉と妻の母(柳子さん・92歳)と私たちで昼食会をしました。二人が会うのは10数年ぶりです。

「曼荼羅」で開いたのはここの主人・井上泰久くんが高知県室戸市浮津の出身だからです。故郷には長く帰っていません。室戸からやって来た姉なら最新の室戸情報を届けてくれます。

 二人は初対面ですが井上くん(僕の高校の後輩でもあるのでふだんからこう呼んでいます)のお母さんが姉や僕の母校・室戸岬小学校の先生だったのですぐにつながります。

 料理が出来るまで井上くんに頼んでご両親のアルバムを見せてもらいました。姉は井上くんのお父さんの記憶もあるようです。仕事場がご自宅に近かったのです。

 井上享子先生が海岸に引きあげられた大敷舟のうえで10数人の女の子たちと一緒に写っている写真がありました。まるで「24の瞳」の大石先生のようです。

 不思議に思って探してみると同じ日に海岸の岩の上で10数人の男の子と一緒に写っている写真も見つかりました。担任をしていたクラスのこどもたちとの記念写真なのでしょう。昭和30年(1955)前後かな?室戸岬町椎名小学校辺りか?

   椎名八王子宮秋祭り 神輿洗い-写真素材

 (室戸市椎名海岸の秋祭り風景)

 先生は三人のこどもを育てながら学校に通勤していたそうです。泰久くんの口から「毎朝、バスに乗り遅れそうになって、ぞーもみよった」と言う言葉が出てきました。遠い昔に聞いたことがあるような?

 僕はもうすっかり忘れていた土佐弁です。『高知県方言辞典』には「ぞーもむ」「気をもむ。心を痛める。心配する」とあります。

 東京生まれであるにも関わらず、室戸の女性たちとの交流が深い妻はなんの違和感もなく理解したそうです。曼荼羅には土佐高校の同級生たちが時々やってくるので井上くんの土佐弁は枯死することがないのでしょう。この日も絶好調。望郷の念を募らせてしまったようです。

 井上享子先生と一緒に写っている昔の「こども」さんたちに先生のその後の消息を伝えてやりたくなりました。どうしたらいいのかなあ?

 今日(10日)から姉と一緒に伊豆高原の保養所に出かけます。2・3日「川越だより」は休刊です。


「標高は4mです」。

2011-10-09 09:22:33 | 川越・近郊

10月8日(晴れ)

 妻と姉とのドライブの途中で富士見市の難波田城公園に寄りました。

  ●ciwww.ty.fujimi.saitama.jp/30shisetsu/11nanbadajyo/

 水塚というものがあることを「市民学芸員」の名札を付けた方が教えてくれ、水害にまつわる話をあれこれと聞かせてくれました。

 解説図とこの公園にある水塚の写真です。

『水塚』・・・・・・過去記事更新版難波田城公園②水塚

この辺りの水田の平均標高は4m位だといいます。これがえらく印象に残りました。東京湾から荒川を30~40kmさかのぼった辺りの標高が4mなのか。自転車で川越~葛西臨海公園を往復してもほとんどUP/DOWNがないのが頷けます。遠い昔は海であちこちに貝塚があるのですから当然といえば当然ですね。

 これでは大水が出たときに満潮と重なれば洪水被害が大きくなるのは自然のことです。

水塚を作って財力のある人たちはその上に倉を建てたのです。宅地は水田より約1m高く、水塚はさらに1・5m土盛りされています。つまり水塚の土盛りの頂までの標高は6・5m位です。災害時の緊急避難の場所として利用したのでしょう。倉には米や味噌などのほかお母さんの嫁入り道具などがしまってあったそうです。

 1910年(明治43年)の大洪水時のこの辺りの最高水位を示す表示が志木の郷土館にあるといいます。

     標高8195m

これでは水塚の上に逃げてもどうもなりません。当時の荒川・新河岸川の堤防は田面から2m位だったそうで洪水にはとても歯が立たなかったのでしょう。川越なども含めて大変な被害があったようです。荒川放水路の建設をはじめとする大治水工事が始まるきっかけになったようです。

 明治43年(1910)水害●http://www.ktr.mlit.go.jp/arajo/arajo00035.html

 水害に悩まされたこの辺りも今や穀倉地帯です。青山士(あきら)をはじめとする荒川改修に人生をかけた人々のことを改めて思ったことでした。

 それでも、とも思います。1000年に一度の天変地異にあったときこの広い広い平野はどうなるだろうか?遠い遠い昔、貝塚が作りあげられた時代のように海がここまで来てもおかしくはないのでは?

 今度は水子貝塚公園にも行ってみよう。

水子貝塚公園

  ●http://www.city.fujimi.saitama.jp/30shisetsu/10mizuko/


 


闘病の友へ

2011-10-08 07:26:55 | 父・家族・自分

 コメント欄に秀紀くんの入院・手術の知らせがありました。僕の最初の生徒の一人で、7つ違いです。うまくいってくれるように願うばかりです。この秋には秀紀くんたちと会って来し方行く末を語り合えるかなあと楽しみにしていました。心臓の手術は進歩がめざましく回復も早いようです。無理をせず、養生につとめて欲しいものです。

 昨夜はHさんの入院・手術の知らせを受けました。こちらは60前後、病気は胃がんです。消化器系統の癌は治療法も日進月歩で回復率も高いと聞きます。

 病気になったのは運命のようなものです。それを受け入れて一日一日を大切に生きる、それしかありません。医療の力が加勢してくれるでしょう。

 癌研有明病院に見舞いに寄ってくれた日の姿を思い出しています。頑張ってね。

 僕は左肺摘出手術からもうすぐ6年。2年後に右肺に転移しましたが元気に闘病中です。今は毎朝一錠、「イレッサ」という薬の世話になっています。懸念された副作用は今のところありません。

 一錠6600円くらいはする薬です。健康保険のおかげでなんとか飲み続けられています。なんぼかは社会の役に立たなければとは思っているのですが‥。



「小沢一郎抹殺作戦」を打ち破ろう

2011-10-07 07:00:11 | 政治・社会

政権交代が現実のものになろうとした時から民主党代表だった小沢一郎さんに対する検察・マスコミが先導する攻撃は度を超えたものです。「小沢一郎抹殺作戦」とぼくは呼んでいます。

 作戦は功を奏し、小沢一郎を欠いた民主党政権は漂流を続けて自民党政権と変わるところはありません。霞が関と「アメリカ」に牛耳られています。

 昨日から仕組まれた「裁判」が始まりました。でっち上げられた特別法廷です。万が一にもマスコミが作り出す「世論」に迎合する判決がくだされるとすれば失われるのは小沢一郎の政治生命だけではありません。日本の民主主義と人権、そのものです。

 先日の陸山会事件判決に見られるように日本の司法そのものが「霞ヶ関」の意志の代弁機関です。国民がよっぽどの関心をもって見守らなければ取り返しのつかないことになりかねません。

 僕ははっきりと小沢一郎さんの側に立ちます。

小沢元代表 初公判の全発言

10月6日 14時0分 twitterでつぶやく(クリックするとNHKサイトを離れます)

民主党の小沢元代表は6日に開かれたみずからの初公判で、「うその記載には当たらず、共謀したことも断じてなく、私が罪に問われる理由は全くない」と述べて全面的に無罪を主張しました。

【小沢元代表の発言】

今、指定弁護士が話されたような事実はありません。裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の主張を申し上げます。

 指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。なぜなら、本件では間違った記載をした事実はなく、政治資金規正法の言う虚偽記載には当たりませんし、ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。以下にその理由を申し上げます。

 そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、ひいては国民の主権を侵害するおそれがある。だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけがおととし3月以来1年余りにわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。

 それ以上に、本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。まだ間に合う、私はそう思います。裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。

 


季節が変わる

2011-10-06 19:00:13 | 川越・近郊

10月5日(水)曇のち雨

 娘と妻が車で羽田まで出かけ姉を連れてきてくれました。飛行機から空港出口まではJALの職員が車椅子を手配して送ってくれたそうです。

急な気温降下で僕はアウト。朝からコタツに入ったり、寝たり起きたり。夜はエアコンを入れて休む有様。それでもやや喘息症状。毎年、季節の変わり目にあることです。

10月6日(木)晴れ

 昼前から心地よい青空。妻は姉と連れ立って川越の街歩き。デパートや商店街をさまよったようです。

 僕は自転車で古谷のグリーンパークから上江(かみごう)橋をわたる。ここからは荒川左岸をさかのぼって入間大橋へ。北関東の山々の眺めが良い。赤城山・榛名山そしてずうっと左に浅間山。あちこちで散歩中の同世代とあって言葉を交わした。

 入間川の河川敷はもうススキの穂波。本格的な秋の到来だ。

 

 出典●http://kcv-net.easymyweb.jp/member/sekinetoshikazu/default.asp?c_id=32809

 


負けてなるか、小沢一郎さん

2011-10-05 07:11:00 | 政治・社会

9月26日の陸山会事件の東京地裁判決(登石郁朗裁判長)には驚いた。こんなデタラメまでがまかり通るのか。ここ数年続く小沢一郎抹殺作戦に権威を落とした検察に代わって裁判官が登場したというところだ。

 江川紹子さんの談話が要を得ている。

 

判決を傍聴したジャーナリスト・江川紹子さんの話

司法に対する時代の要請は、プロセスを明らかにし、客観的な証拠を大事にして判断するというもの。

今回の判決は、証拠ではなく推測や裁判官の価値観で事実認定をしていく手法で、非常に危ないと感じた。

例えば、水谷建設が石川被告に渡したとされる裏金。渡した側は「渡した」と言っているが裏付ける証拠もない。何人かが「やった」と言えば事実になってしまう。時代に逆行した判決だ。

昨年明らかになった証拠改ざん事件以来、検察改革の機運が高まってきたが、客観的な証拠が薄くても裁判所が認定するという、誤ったメッセージを送っている。裁判所こそ一番改革が必要ではないか。(朝日新聞 2011年9月27日)

 3日夜、一時間ばかり小沢一郎民主党元代表の話をインターネットで録画視聴した。敵に恐れられるだけある「しっかりした政治家だ」と思った。この国に民主主義を打ち立てるために頑張って欲しいと思う。

 みなさんはどう思われるだろうか。小沢嫌いの人も一度は話を聞いてみたらどうだろうか。

 「日本を語ろうー フツーの市民vs小沢一郎 vol.2」

http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1220.html


姉・20年ぶりの川越訪問

2011-10-04 08:23:49 | 父・家族・自分

明日から我が家では家族が一名増えます。土佐・室戸に住む姉が2週間ほど滞在してくれるのです。どうしたら喜んでもらえるか、妻、娘共々あれこれ計画中です。

 姉が訪ねてくれるのは1992年以来ほぼ20年ぶりです。前回は晩年の父や母とともに日光から会津若松あたりまでの旅をしました。今回は腰の手術を余儀なくされたあとでもあり、伊豆高原の保養所でゆっくりする予定を立てました。

 お互いに年をとって病気を抱えたりするようになると、川越に来てくれるのはこれが最後の機会になるのかなと思ったりします。妻の母との会食や息子の横浜のバー訪問などを考えています。小さい頃よく喧嘩をしたという従弟や隣家の章(ふみ)ちゃんにも会えるかな。

 室戸は10月に入ると祭りのシーズンです。月末の日曜日には「津呂の神祭」(王子宮の秋祭り)があり、姉にも氏子としての務めがあり、帰らなければならないようです。川越の祭りは15・16です。規模の大きさやひと出の凄さにびっくりすることでしょう。

 

 高知県室戸市室戸岬港(津呂港)に建つ土佐日記に関わる碑。紀貫之がここに泊まったというが‥?。

 

 他にも楽しい企画が進行中です。二つとも僕が事務局を担当しています。ハラハラドキドキ旧友・新友との交信を楽しんでいます。

①25日 「旧・池袋商業高校 沢谷さんを囲む会」 昔の同僚たちが10数名銀座に集います。

②29日~30日  第13回「きいちご移動教室」  参加希望者は現在33名です。定員は45。12名を公募中です。よかったらどうぞ。

   きいちご基金●http://www.geocities.jp/kiichigokikin/event.html


ご案内 きいちご移動教室「奥武蔵」

2011-10-03 06:54:48 | 出会いの旅

きいちご移動教室は中国残留孤児・脱北帰国者などと交流しながら日本の自然を楽しむバス旅行です。13回目が10月29~30日に行なわれます。

 高麗神社・埼玉平和資料館・埼玉こども動物自然公園・川の博物館・和紙の里などを訪ね、ときがわ町でみかんがりを楽しみます。のんびり、ゆっくり奥武蔵の旅はいかがですか。

 

<第13回きいちご移動教室>

 
奥武蔵‥‥里の秋 ミカン狩り

 
 秋の移動教室は埼玉県西北部の奥武蔵・秩父(ちちぶ)地方を訪ねます。朝鮮半島などから渡来した人々が移り住んで古くから開けたところです。柿や栗の収穫期ですが、ここはミカン栽培の北限地でもあります。里の秋の風景に包まれ、遠い昔に思いを馳せたりしたあと、ミカン狩りも楽しみます。宿舎は温泉こそありませんが広々とした森の中の国立の施設です。散歩を楽しみながらゆっくりと過ごせるでしょう。ご家族、友人などお誘い合わせの上参加くださるようご案内申し上げます。

 
 ①目的地 奥武蔵(おく・むさし)

 ②宿舎 国立女性教育会館(埼玉県比企郡嵐山町)
   
     電話 0493-62-6723


 ③日程 2011・10・29(土)~10・30(日)

 ④集合時間 29日(土)7時50分(バスは定刻8時に発車します)

 ⑤集合場所 JR日暮里(にっぽり)駅東口広場(JR日暮里駅北口改札を出て右に行くと東口広場があります)

 ⑥参加費(旅行傷害保険料を含む)

    大人(高校生以上) 5300円

    小学生・中学生   3300円

    幼児(3歳以上)  1300円 

 ⑦必需携帯物品 29日の昼食(弁当)寝間着 タオル 洗面具 レジャーシート 雨具

 ⑧服装 散歩に適した服装と靴

 ⑨参加申し込み

   ○申込期限 10月10日(月) ただし、先着45名で締切です。早めに申し込んでください。

   ○申込方法 電話 ハガキ Eメール FAXなどで鈴木啓介まで申し込んでください。申し込みは家族単位で参加者
の氏名、生年月日を明記し、代表者の住所、電話番号、メールアドレスを知らせてください。

   ○これまで移動教室に参加したことがある人は氏名だけで結構です。
   ○FAXで申し込んだ人は必ず、電話で届いたかどうか再確認をしてください。

   ○費用送金  申し込みとともに費用を郵便振り込みで送金してください。

       郵便振替口座 00150-6-483807 きいちご多文化共生基金


  主催 きいちご多文化共生基金

    電話(FAX)049-224-4646 Eメール keisukelap@yahoo.co.jp

 


「原発いらない!」250人が川越市街をデモ

2011-10-02 10:58:55 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

10月1日(土)曇

 3時半ごろ川越駅西口に行くと噴水広場に人が集まってくるところです。僕は22日に丸木美術館で行われる講演会のビラをひとりひとりに手渡ししました。みんな喜んで受け取ってくれます。100枚があっという間になくなってしまいました。

 

 呼びかけ人の早崎仁さんという方の短い挨拶がありました。所沢在住の若い方です。22日に入間市駅前(3時半)で「ツィター発・原発いらないデモ」をやるという方のアピールが印象に残りました。「だめだめだめ。絶対!原発なんて、やめちまえ!」と大書されたビラをもらいました。田中冽(68)さんと言われます。いかにも精悍な同世代です。

 早崎さんといい田中さんといい、思い立った人がツィターで呼び掛け、共鳴した人々が集まって相談してデモをする。そういう魅力的な行動がこの地方でも始まっているのです。「原発はいらない」「こどもを守れ」‥これが合い言葉です。右も左も真ん中も市民としての責務を自覚できるものなら力を合わせることが出来ます。

 私たちは今、絶体絶命の時代を生きています。放射性物質が目に見えないので多くの人がまだまだこのことに無自覚です。川越と言わず、室戸と言わず、津々浦々で声を挙げて100万人が立ち上がれば「さよなら原発」を実現できるでしょう。ドイツなどのように。

 僕は「呼び掛け人」にはなれませんが呼びかけに応えて歩くことはできます。みなさん一緒に歩きましょう。

 定刻の4時に出発。僕は「原発やめよ 命がだいじ」という丸木俊さんの言葉を書いたプラカードをもって市街地を約一時間かけて歩きました。仕事場から娘も駆けつけて来ました。

デモの様子です。が鳴り立てる機動隊はいません。数人の警察官が交通整理をするだけです。これが普通の警察の役割です。11月3日に再び川越でデモをやると聞きました。

    動画・ 10・1「さよなら原発」川越デモ●http://www.youtube.com/watch?v=8ZecuwKUj8o


「原爆から原発まで、内部被ばくの怖さ」

2011-10-01 05:16:01 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

今日から10月です。秋本番、土佐から姉と功くんが相次いで訪ねてくれます。きいちご移動教室、池商Sさんを囲む会、知友との交流も続きます。豪華で大切な日々です。

 今日(10月1日)は「原発さよなら」集会とデモが3時半から川越駅西口で行われます。川越に住んで42年あまり、初めて(多分)この街のデモに参加します。

 僕はただ歩くだけですが丸木美術館(東松山市)で行われる講演会のビラを配布するつもりです。94才になられるお医者さんがお話になります。広島で被爆したあと66年間、被爆者とともに生きてこられたといいます。内部被曝の怖さについて語ります。ご都合をつけて参加くださるように呼びかけます。

原爆の図・丸木美術館

当日の入館券が必要です。

起こるべくして起きた福島の原発事故。
66年前あれだけの放射能被害を受けた日本は、またしても原発の放射能にさらされている。
肥田さんは、自らも被爆し、医者としてずっと被爆者の方達と共に生きていらっしゃいました。
内部被曝はその時すぐには症状が表れないけれども、何年か何十年か経って、だるくて何もできなくなる 「ぶらぶら病」など原爆病と認めてもらえない症状の患者さんと今も向き合って、 内部被曝の恐ろしさを私達に発信しています。
福島から電話が入り、「子どもの下痢が止まらないんです」と訴えたお母さん。
福島でも放射能の被害者がすでに出ているということです。

私達は、知らなければならないのです。
人工的に作られた放射能の恐ろしさを……そして子ども達の未来を私達大人が奪う権利はどこにもないのです。
今からでも遅くはありません。
私達が気づいたときに、黙ってないで行動していくことが子ども達を守ることにつながっていくのだと思います。

~たくさんの人達が聞いてくれることを願っています~

肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)
1917年広島生まれ。
1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。
1945年広島にて被爆。被爆者救援にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。
現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。
著書に『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房)、『内部被曝の脅威』(共著、ちくま新書)など。

  原爆の図・丸木美術館●http://www.aya.or.jp/~marukimsn/