川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「俺もてだのふぁになりたいな」

2009-07-22 12:15:06 | こどもたち 学校 教育
 昨日、大崎博澄さんからコメントをいただきました。

 感謝とお知らせ (大崎博澄)
             2009-07-21 14:09:05
拙いお話をこんなに受け止めて頂いて感謝です。田舎者のぼくは、川越がどこにあるか知りませんが、関東かな?と思ってお知らせします。9/26(土)13:10から、明治大学リバテイタワー3F1031教室で開催される 開かれた学校づくり全国交流集会で「子どもという希望・土佐の教育改革」と題して講演します。フリーで入場できます。もし、会場でけいすけさんにお会いできれば、老骨のよき冥土の土産になります。

 19日に久しぶりに大崎さんのブログを開いてこの日掲載されたばかりのお子さんに送る詩を読ませてもらい、20日に「川越だより」に紹介したばかりでした。何というよろこびでしょう。
 9月26日(土)です。暦にすぐに書き入れました。皆さんの中で都合のつく方がいたら、どうですか。今からその日が待たれます。

 資料の整理をしていたら昔の生徒の作文が出てきました。ぼくがHR担任をした1974年度池袋商業高校3年3組と1978年度1年5組のそれぞれほぼ全員の読書感想文です。どういう事情で手元に残っているのか忘れてしまいましたが、今あらためて読み始めました。いずれクラス会がある時に本人に直接返したいと思っています。

 78年1~5は灰谷健次郎の『太陽の子』です。「地理」の時間に読み合いました。今日は出席番号1番の浩二くんの感想文を紹介します。


  『太陽の子』 1年5組 浩二

 太陽の子、太陽の子ふうちゃんはまさしく「てだのふぁ」であると思う。
 だれにでもやさしく、温かい心を持ち、人のことを深く親身になって心配してくれる。

 ほんとうにいやなことばかり起こるこの日本の中にこんなすばらしいお嬢さんがいるなんて思うとなんだか俺はうれしくなってくる。
 ふうちゃんのお父さんを思う気持ちは、なんだか、3年前おやじを亡くした俺と同じ気持ちだと思った。

 ふうちゃんの心の中にはたえずお父さんの姿が合った。と、同時に、この俺にもあったのだ。
 ふうちゃんは毎日お父さんを散歩に連れだしていた。お父さんの顔にはすでに笑顔がなく、何もしゃべらないような状態だった。それでもふうちゃんはそんなお父さんを見て悲しみをこらえ、お父さんに何か一つでいい、返事を返してもらいたい、そんな感じで色々話しかけていたと思う。

 俺のおやじが入院したとき、俺はまさかおやじが死ぬということなんか知らなかった。時々病院に行っておやじを見舞ったが、おやじの体力が落ちていくのが体に現れ始めたとき俺はもう怖くて、恐ろしくて、でもそんなことあるものかという気持で自分を押さえていた。ふうちゃんもまたそうだったろうと思う。

 ふうちゃんのお父さんは死んでしまったがふうちゃんは泣かなかった。
 
 俺なんかおやじが病室で死ぬ1時間ぐらい前、おやじは「家に帰るんだ!おい」と叫んでいた。俺はおやじに何もしてやれないし、話もかけられない自分のいくじのなさに腹を立てたがどうしようもなかった。ただ涙をこらえるのがやっとだった。おふくろはおやじの顔をじっと見て目が赤かった。そして、おやじが死んだとき、もうそんなことは忘れて赤ん坊のようにみんなして泣いたものだった。

 ふうちゃんも最初は通夜の席でじっとたえていたが、キヨシ少年が呼んでふうちゃんは目を上げた。「これ、やる」キヨシ少年は小袋を突きだして姉の形見のコンパスを出した。それを見たとたん、ふうちゃんの目に涙が浮かんだのだ。けなげなキヨシ少年の心にうたれたのだと思う。
 
 俺はそんなキヨシ少年が大好きだ。

 ちょっぴりひねくれ者だったがふうちゃんのやさしい心をだんだんと理解し、兄妹のようになっていく。キヨシ少年には1人のお姉さんがいたが19歳の若さで自殺をしてしまった。やがてキヨシ少年のお母さんは見つかったがキヨシ少年はお母さんを憎んで口も聞かなかった。
 ふうちゃんはそんなキヨシ少年を見て「キヨシ君のあほ」といった。キヨシ少年はなんだか困ったような顔をしていた。俺はそんなキヨシ少年を見ていると憎めないいいやつなんだなと思った。
 
 不良少年たちと別れるために大ゲンカをして命まで危なくなる傷を負わされたのにもかかわらず、キヨシ少年は「ショウヘイのこと、あんまり悪うおもうたんなや、あいつらも俺といっしょで、いろいろあるやつやさかいな」といった。俺はそれを読んだとき、何か、ジーンと来るような感じがした。

 俺は他の人たちのこともいいたかったが、やっぱり、ふうちゃんとキヨシ少年はその中で一番印象深く考えさせられるところが多いのでそれについて書いた。

 太陽の子ふうちゃん、ふうちゃんばかりでなく、キヨシ少年もてだのふぁだと思う。

  太陽の子 ふうちゃん。

  太陽の子 キヨシ君。

  俺も てだのふぁになりたいな。


 「てだのふぁ」は沖縄の言葉で、「太陽の子」。浩二くんはキヨシ少年も太陽の子だといっています。そういう人間観を持つことが出来た浩二くんがぼくは大好きです。

 大崎さんはこう書いておられます。

   もし、あなたの人生に不幸が訪れたら

        それはもっと深い幸福に出会う機会が訪れたと思ってください

        もっと深い幸福とは、人の心の痛みを受け止める想像力を持つということ

        其のときあなたは、人生で初めて本当の友達に出会うことができる

        その友達があなたを支えてくれる

        不幸を背負うことで、あなたはもっと深い幸福に至る切符を手にすることができるのです


 ふうちゃんとキヨシ少年も「人生ではじめて本当の友達に出会う」ことができたのでしょう。教室でここのところを読むとき嗚咽をこらえるのに精一杯だったことを思い出します。

 31年前の15歳か16歳です。「てだのふぁになりたい」と書いた浩二くんはどんな人になったのかなあ。あって人生の話を聞いたり、したりしてみたいなあ。
 

 

 

 




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