川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

星落秋風五丈原

2012-02-19 06:57:11 | 映画  音楽 美術など

2月18日(土)☼

日差しはあるが冷蔵庫の中にいるような寒さです。それでも何日ぶりかで外に出てベーグルを買ってきました。昼前には「ふるさとの湯」に連れて行ってもらいゆっくり温まりました。

どういうわけか高校生の時に習った土井晩翠の詩が声になって出てきました。

家に帰って黒い箱で調べると全体はこんな感じです。声に出して何回も読んでみました。

高校生の頃、意味は良くはわからなくてもこの長詩を朗読するのは好きだったのです。よかったらみなさんも声に出して読んでみてください 

星落秋風五丈原

 

              土井 晩翠

一、
  祁山(きざん)悲愁の風更(た)けて
  陣雲暗し五丈原(ごじょうげん)
 
 零露(れいろ)の文(あや)は繁くして
  草枯れ馬は肥ゆれども
  蜀軍(しょくぐん)の旗光無く
  鼓角(こかく)の音も今しづか
  丞相(じょうしょう)病あつかりき
  丞相病あつかりき

 

二、
  夢寐(むび)に忘れぬ君王の
  いまはのみこと畏(かし)こみて
  を焦(こが)し身をつくす
  暴露(ぼうろ)のつとめ幾とせか
  今落葉の雨の音
  大樹ひとたび倒れなば
  漢室の運 はたいかに
  丞相 病あつかりき

 

三、
  四海の波瀾収まらで
  民は苦しみ 天は泣き
  いつかは見なん 太平の
  のどけき 春の夢
  群雄立てり ことごとく
  中原(ちゅうげん)鹿を争ふも
  たれか王者の師を学ぶ
  丞相 病あつかりき

 

四、
  嗚呼(ああ)南陽の旧草廬(きゅうそうろ)
  二十余年のいにしへの
  夢はたいかに 安かりし
  光を包み香をかくし
  隴畝(ろうほ)に民(たみ)と交れば
  王佐(おうさ)の才に富める身も
  ただ一曲の梁歩吟(りょうほぎん)
  丞相 病あつかりき

 

五、
  成否(せいひ)を誰れかあげつらふ
  一死尽くしし身の誠
  仰げば銀河影冴(さ)えて
  無数の星斗 光濃し
  照すやいなや英雄の
  孤忠の胸ひとつ
  其壮烈にじては
  鬼神も哭(な)かむ 秋の風

 

六、
  嗚呼(ああ)五丈原秋の夜半
  あらしは叫び 露は泣き
  銀漢清く星高く
  神秘の色につつまれて
  天地微かに光るとき
  無量の思(おも)い 齎(もた)らして
  千載の末 今も尚
  はかんばしき 諸葛亮(しょかつ・りょう)
  名はかんばしき 諸葛亮

出典● http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-efda.html 

歴史を学ぶには●http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-aa31.html(この方のブログは深い学識にもとずく現代社会批判が展開されています)

「荒城の月」の詩人・土井晩翠の長い長い詩の六番までに曲を付けて歌い継がれてきたといいます。歌は初めて聞きました。創価学会の「学会歌」にもなっているとか。弾圧に倒れた牧口常三郎と諸葛孔明を重ねているのでしょうか。僕の生徒だった創価学会の友人たちはうたっているのかな?

「星落秋風五丈原」の歌●http://www.youtube.com/watch?v=0ygkqq3DLGY

この長詩に解釈を付けてくれている方がおられます。「解釈」と詩を続けてどんどん読んでみました。まるで歴史のただ中にいるようです。諸葛孔明に寄せる晩翠の深い敬意が伝わってきます。

「星落秋風五丈原」解釈

 

 

Photo_23星落秋風五丈原1

 

三国志の雄大なロマンの世界。中でも、その知略、軍略の巨人・諸葛孔明・亮にスポットを当てて、その後半生を余す処無く描ききった、土井晩翠の「星落秋風五丈原」の詩を、解釈してみたいと思う。
劉備に三顧の礼で迎えられた孔明は、その才知を駆使し、劉備を蜀の皇帝に就かせ、劉備亡き後、息子の劉禅をよく守り立て、宰相として蜀の国を統治していたが、隣国・魏の国と五度、五丈原で覇を競い、終に、その陣中で病に倒れたのである。
劉禅以下、蜀の国の人々は、嘆き悲しみ、その行く末の危惧を感じていたのであった。              

           祁山悲秋の風更けて
           陣雲暗し五丈原
           零露の文は繁くして
           草枯れ馬は肥ゆれども
           蜀軍の旗光無く
           鼓角の音も今しづか

           丞相病篤かりき


日本で云えば、天下分け目の天王山、或いは関ヶ原と云った有名な地が五丈原である。
その五丈原の横に祁山がある。
祁山に吹く秋風は、孔明が倒れたとて、嘆き悲しむ様に、益々強く吹き荒んでいる。
蜀軍が、野営をして陣を張っている処には、不吉な暗雲が垂れ込めて来た。
秋の夜明けは、草葉に玉為す露を織り成している。
この戦陣の真直中にあって、戦備は万端抜かり無けれども、何故か、我が蜀軍の旗は、弱々しく、垂れ下がっているばかりだ。
鼓の音も、角笛の音も、今は鼓舞する事無く、鳴りを潜めている。
それもこれも、丞相の病が、相当重い為であろうか。


            清渭の流れ水やせて
            むせぶ非情の秋の声
            夜は関山の風泣いて
            暗に迷ふかかりがねは
            令風霜の威もすごく
            守るとりでの垣の外

            丞相病篤かりき


秋も深まり、あれだけの清き川の流れも、今は、水量も枯れなんとしている。
こんな大事な時に、孔明に病を与えるとは、非情極まる運命かな。
夜は夜で、風さえ嘆きの声を立てている。
この暗澹たる事態に、我が蜀軍も、路頭に迷おうとしている。
風に誘われて、明方には、四囲は一面、霜の色だ。
ああ、この冷気が、孔明様の御身体に障らなければよいのだが…


            夢寐に忘れぬ先王の
            いまはの御こと畏みて
            心を焦がし身をつくす
            暴露のつとめ幾とせか
            今落葉の雨の音
            大樹ひとたび倒れなば
            漢室の運はたいかに

            丞相病篤かりき


我を三顧の礼で、ここまで見出してくれた、今は無き劉備様の事は、夢にも忘れた事は無い。
その劉備様が、死の床で、我に語った遺言を思い起こすに、身が引き締まる。
以来、常に、劉禅様の事を想い、全身を投げ打って、事に当たって来た。
戦陣にも、幾度か、活路を見出して来た。
されど、今この陣中は、病葉が秋雨に打ち叩かれている。
孔明様が病に倒れたならば、蜀の国の行く末は、一体どうなってしまうのであろう。
我等の嘆きを他所に、孔明様の病は、芳しからず。

(ここまではまだ入口です。あとは「出典」にあたってください)

 出典●「歴史は人なり」http://rekisinton.cocolog-nifty.com/blog/cat3932585/index.html



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